お題:魚
「本当にいいんですね?」
覚悟を問うように後輩の男子が私を見つめる。私は弱音を飲み込み、頷いた。
「では……どうぞ」
後輩がクーラーボックスを開く。瞬間、調理室に広がったのは潮の香り。私は後退りしたい気持ちを押し殺して、その中を覗き込んだ。
活きの良いサバが狭い
「いやぁぁぁぁむりぃぃぃぃぃ」
「どっから出てんスかその笛みたいな悲鳴」
「生きてるぅぅぅすいすいしてるぅぅ」
「料理部だから魚捌けるようになりたいって言ったのは先輩でしょ?」
呆れた様子の後輩が言う通り、このサバは私が依頼したものだ。
この春から晴れて料理部の部長になったのに、私には魚が捌けないという料理部にあるまじき弱点がある。これでは示しがつかないということで、後輩に頼み込んで生きた魚を持ってきてもらったのだ。
でも、無理なものは無理だッ!!
「むりむりむりむりむり」
「……やっぱやめときます? まな板の上に乗せてからもそんな調子じゃ、魚が苦しむだけですし。フツーにスーパーのやつ買って練習しましょうって」
「うぅ……無理なんだよぉ。死んだ目と目が合うと怖すぎて動けなくなるんだよぉ」
「だからってショック療法は生き急ぎ感ありますけどね」
彼の言う通り、既に締められたものを捌くべきなのだろう。だけど、それじゃダメだった。生きている姿を知っているからこそ、そのままの形で死んでいるモノに触れるのがまず怖い。そして魚の冷たくてぬるりとした感触。この相互作用が最悪のマリアージュなのだ。
「うぅぅ……浅はかな部長でごめんね……情けなくてごめんね……」
「……荒療治する覚悟はあるんですよね?」
「う、うん。何か方法があるの?」
そう尋ねると、後輩は私の後ろに回って私の両手首を掴んだ。
「ひぇ!?」
「二人羽織です。先輩はラジコンになりますけど、感触はわかるでしょ?」
「は、刃物持つから危険! それに、まな板で苦しませるの可哀想って……」
後輩はサバを手づかみにしてまな板に寝かせると、エラに包丁を入れて何かを切った。
「いま締めました。じゃあ血抜きから落ち着いてやりましょう」
「手際しゅごぉ……」
言われるがまま、私はラジコンになった。手に手を重ねられ、半ば無理矢理に魚を触る。
「ひぇぇぇヌメるぅぅ」
「そういうモンですって。いいですか、普通はやりませんけど、魚を締めるときはエラに包丁入れて、中骨を断つんです。そしたら即死します」
「あ、ホントだ……なんかある……うひぃぃぃ」
「ちゃんとわかりました? じゃあ次は尻尾へ切り込みをいれて……――」
そうして、血の量や内臓に悲鳴をあげながらもされるがままに調理を進めた。躊躇しようとお構いなしに手が動くので、回避のしようもない。私はグロさという概念がマヒしていくのを感じながら調理を終えた。
「これで三枚おろし完成です」
「はへ?」
「呆けてないで見てくださいって。先輩がやったんですよ? 一応は」
まな板を見下ろす。そこには、魚の切り身があった。
記憶がほぼなかった。しかし、恐る恐る切り身に触れると、数々のゾッとする記憶が指先を襲う。嫌な実感だが、同時に達成感が湧きおこる。
「やったぁー!! 三枚おろしできたぁぁ!」
「おめです。じゃあ、後片付けしますかね」
「あっ、私がやるよ。結局お世話になっちゃったし」
「そりゃありがたいッスけど……大丈夫スか?」
何が、と尋ねようとした瞬間、意味がわかった。
洗い場に置かれたビニール袋の中には、私と彼で捌いた魚の残骸が無造作に放り込まれている。つまり、臓物と頭である。
血まみれの目と、ばっちり目が合った。
「みゃぁぁぁぁぁぁ」
「あぁー、またトラウマになったか」
私が再び魚を直視できるようになるまで、十日にわたる凄絶な特訓をすることになった。その地獄を越えたおかげか、私はお母さんより早く魚を捌けるようになりました。
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