お題:ため息

「はぁ……」

「…………」

「はぁーあ……」

 放課後の図書室。僕が黙々と読書する対面で、わざとらしく彼女はため息を吐き出す。辟易するほどいつも通りだ。

 無視すれば反応するまでため息を繰り返し、回数を増すごとにその音量は強くなっていく。

「はぁーあッ!」

「わかったわかった」

 身を乗り出してきたので本を閉じて応じるが、どうせ用件はいつも通りだ。

「ヒマ。構えよ」

「小説読んでるんだけど」

「そんなことよりあたしを構えよ」

 僕の都合などないかのように堂々とした姿は、飼い主を下に見ている猫を思わせる。だが、彼女の本質は猫よりも犬だ。構うと果てがなくなる。

「もうちょっと待って。この章終わったら相手するから」

「ぐぬ……わかった」

 僕も彼女を憎からず思っているのだが、放課後は僕にとって貴重な時間なのだ。兄弟がやかましい家では集中して本が読めないので、誰もいない放課後の図書室は小説へ没入できる数少ない機会なのだ。

 渋々納得したようだが、さっきも行った通り彼女の本質は犬だ。

「…………」

「…………あの、見つめられると集中できないんだけど」

「あー? 贅沢なヤツだな」

「三国志の漫画読んでなよ」

「面白かったからこの前全部読んだ」

「ああそう……」

 くそ、漫画で時間稼ぎはもう無理か。とはいえ小説を読ませると秒で貧乏ゆすりし始めるし……

「図鑑でも読んだら?」

「おぉ、いいな。ちっさい頃は魚図鑑とか好きだったぞ」

 意外と食いつきがよく、トタトタと大判の図鑑を運んできて隣で読み始めた。

「…………」

「……あ、見ろよコレ!」

「ぐぇ」

 ガッと肩を組まれ、顔を引き寄せられる。

「ニモだぞニモ! あたし、こいつ好きすぎて自分ちの図鑑から切り抜いてたわ!」

「首締まる、苦しい……」

「おう悪い」

「もうちょっとだから。もう反応しないからね」

「……わかった」

 しおらしく頷く頭には、ぺたんと寝た犬耳が幻視できた。

 この顔になると、しっかりと我慢してくれる。まあ、限界が来るのにさほど時間はかからないのだけど。

 邪魔をしないようにと天井の角を見たり、意味もなく顔を右往左往させたり、ほっぺたを左右交互に膨らませてみたりと色々な手持ち無沙汰な姿を見せてくれる。真上をジッと見つめだしたら限界のサインだ。数秒もすると、決まって体を倒して僕のふとももに頭を乗せる。

「……まだかよー」

 退屈を持て余した子どものような表情を見て、僕はふっとため息を吐く。

「わかったわかった」

「よしゃ! アイス食いたい! 限定のデカいヤツ!」

「……残したら僕に押し付ける気?」

「へへへ」

 隠しもせずに笑いながら図書室を出る彼女を追って、僕は開く前と同じページにしおりを挟んで本を閉じた。

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