お題:お姫様
「お姫ー、ボール行くよー!」
「はいー。あー」
「三歩ぐらい遅れてんじゃん!」
体育館の反対側で可憐な笑い声が上がる。バレーボールをする女子の中でも、俺は清楚に微笑する女の子に視線を注いでいた。
常にぼんやりしていてどんくさいけど愛嬌があって、ジャージ姿すらもどこか上品に見えてしまう。そんなあの子のあだ名は「お姫」。かくいう俺も、そんな「お姫」に横恋慕な一般男子だ。
「お前なぁ、そんな見てると変態臭いぞ」
「うっせ。どうせバスケ部補欠の俺にとっちゃ高嶺の花なんだ。見てるぐらいはいいだろ」
「開き直るぐらいなら玉砕すりゃいいのに」
「玉砕する勇気がある者だけが俺に石を投げろ」
「誰も投げれねぇな」
実は、「お姫」に告白した男子は一人もいない。誰も彼も懸想しているというのに、一歩踏み出す勇気は誰も出せなかった。あまりに澄み切った水だと魚も住めなくなるように、中学生男子にとって「お姫」はあまりにも清楚で、高潔すぎたのだ。
そんなこともあり、いまでは『「お姫」に告白してはならない』みたいな不文律が存在するほどになっている。
「きっかけがあれば、なんて想像は誰もがしてんだろうなー……」
そんな事を考えてぼーっとしてたから、バチが当たったのだろう。
「危ねぇ!」
「は、ぐぶッ!?」
俺の後頭部に空気満タンのバスケットボールが直撃した。ハンマーで殴られたような衝撃で脳が揺れ、勢いのまま俺は膝に鼻を打ちつけて、床を舐めることになった。
「大丈夫か!?」
「うぅ……頭痛ぇ……」
「先生! 保健室連れて行きます!」
友達に肩を借りようとしたとき、鼻先に冷たいものを感じた。パタタッと鮮血が落ちる。
「うげ、鼻血……」
鼻をつまんで、上を向こうとした時だった。
「ダメです!」
普段の声からは想像もつかないほど真剣な声色に、俺は思わず前を向く。「お姫」がこっちに駆け寄ってきた。
「鼻血の時は下を向いてください!」
「え、うん……あ、だけど下向くと血が垂れて……」
次の瞬間、俺の鼻を包んだのは柔らかな芳香だった。「お姫」がジャージの袖を俺の鼻に押し付けたとわかったのは、フリーズした脳が十秒ほどかけて動き出してからだった。
「私、保健委員なので連れて行きますね」
有無を言わさず、俺は手を引かれて体育館から連れ出される。保健室に着くまでの間も「お姫」は袖で俺の鼻を塞いでいて、止まらない血がじわじわとジャージを侵食していくのを感じるたびに死にたくなった。
「これで大丈夫ですっ。頭を打ったりしてませんか?」
「…………」
「あ、あの?」
「へっ、あ、ごめん。頭ね、頭……は……ちょっとぼけてるかも」
「やっぱり、後頭部を打ったから……氷を取ってきます!」
呼び止める間もなく「お姫」はクーラーボックスへ向かう。たぶん、頭がぽわぽわしてる原因は好きな女子の匂いを過剰摂取したせいなのだが。
氷嚢を取って来たその腕には、血がべっとりついていた。俺の顔が曇ったのがわかったのか、「お姫」は不安そうに言う。
「お加減、悪いですか?」
「あ、いや……えっと……ごめんな、服汚して……」
「そんなの気にしないでください! あ、でも、その……」
もじもじと指を突き合わせ、上目遣いでぽしょぽしょと声を細めて呟いた。
「汗の匂い……はしたない、ですか……?」
「―――――――」
俺はその破壊力にやられ、再び鼻血を出した。大わらわの「お姫」が救急車を呼ぼうとするのを引き止めるのが大変だった。
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