お題:愚痴

「その様子だと、またなんかあったんスか?」

 部活の後輩がニヤりと笑い、背中を小突いた。

「背中のベースが泣いてますよ、パイセン」

 不思議なもので、このウザ絡みばかりしてくる後輩は俺に懐いている。普段から粗雑に扱っているのに、俺を嫌う素振もない。

 ……いつも、俺の変化に気付くのもこいつだ。

「……まあ、あったよ。悪かったな辛気臭い顔して」

「ええ、そりゃもう私以外でも気づいちゃうぐらいの落ち込み顔っスね!」

 それを聞いて、俺は深くため息を吐いた。背負ったベースがやけに重たい。胃の奥に融けた鉛が居座っているみたいに気分が悪い。視界も心なしか暗く見えてくるほど、心が参っていた。

 理由は顧問との不和だ。ただでさえ人数不足の軽音部だというのに、俺を蛇蝎の如く嫌って侮蔑する。今日もその延長線だ。好きで始めた音楽を、嫌いな人間のせいでやめようか迷う毎日。いい加減、気も滅入る。

「すまん。普段なら構ってやれるけど、いまは余裕がない」

「優しいっスねぇ。そんなパイセンには、とっときのストレス発散法を教えてあげましょう!」

「……何」

 後輩はドンと自分の胸に手を置いて、堂々と宣言した。

「私の胸を貸してあげましょう!」

「…………」

「……あの、無視はヘコむんスけど」

「言ったろ。構ってやれる余裕もないんだよ」

「もう、わかったっスよ。私が話を聞いてあげるってことです!」

 小さく、鼻で笑うように嘆息する。

「お前が?」

「む、これでも私は友達からメンタルカウンセラーとして一定の地位をですね」

「そういうのは友達だけにしとけ」

 つむじの辺りを指で小突いて、帰路につくため踵を返した。

「俺みたいな根暗の話聞いても、気分が悪くなるだけだぞ」

「そんなこと……」

「ほら、部室戻っとけ。俺はもう、お役御免だから」

 数歩進んだとき、ぐっと背中が重くなった。後輩が俺の両肩を掴み、半ばぶら下がるようにして引き止めていた。

「重いからやめろ……」

「素直じゃないパイセンですね……! いいからこのカワイイ後輩に愚痴るっスよ!」

「お前に愚痴っても解決しねぇんだっての……!」

「でもパイセンの心がちょっとは軽くなるでしょ!」

 似合わない必死な顔でそう言う後輩を見て、苛立ちが加速した。後輩にも、自分に対しても。

「俺は他人に迷惑かけたくねぇんだよ……俺は性根が悪いんだ。この腹ん中ぶちまけたら、お前の気分まで悪くなる。そんな真似したくねぇ……わかったら離せ」

「ヤです!」

「テメェなぁ……!」

 振り向いた瞬間、後輩の小さい手が俺の両頬を捕まえる。そして、後輩は大きくを振りかぶった。

「パイセンのォー……あほォ!」

「づッッッ!?」

 渾身の頭突きが額にブチ当たる。俺が脳への衝撃と疼痛に悶える中、後輩は涙目になって叫んだ。

「パイセンのアホ! バカ! えっと、アホ!」

「何しやがんだテメェ……!」

「他人なんて寂しいこと言わないでください! 私はパイセンの後輩です!」

 そうだ。俺とお前は先輩と後輩。。先輩が後輩に何かを要求する権利もないし、後輩が先輩に気を遣う義務もない。ひとつベールを剥がせば、俺たちは他人だ。

 ……なのに、その顔を見ると何も言えなくなった。なんでお前が泣くのか、わからなかった。

「頼ってほしかったんス……パイセンだけが私にずっと構ってくれて、嬉しいから……恩返ししたいんス……」

「……お前が恩を感じるようなことしてねぇよ」

「してるんスよアホぉ……」

 泣くのをこらえようとする顔が、溢れた涙で濡れる。強がる子どもみたいに見えた。

 きっと、お前には俺がそう見えたんだろう。

「私、パイセンが落ち込んでるの見たくないっス……物静かだけど口が悪くて、けど優しいパイセンがいいっス……」

 難しいものだ。心配とか迷惑をかけないようにしたつもりなのに、かえってそれがこいつを泣かせる原因になった。

 バツが悪いので頭を掻きながら、少ししゃがんで目線を合わせた。

「悪かった。……頼られたいなら泣き止め」

「……愚痴、話してくれますか?」

「はァ……待っててやるから荷物とってこい。ファミレスで飽きるまで愚痴ってやるよ」

「っ! わかりました!」

 ぱたぱたと階段を駆け上がって部室へ行く背中を見送る。いざ、人にこの黒いはらを吐き出すと考えると、怖くなって、黙って消えたくなった。

「……でもまあ、さすがになぁ」

 年下にあそこまで言われたら、逃げるわけにもいかない。

 じっくり覚悟を決めようか。愚痴を吐き出す覚悟を。

 あの階段から、急ぎ足が駆け下りてくるまで…………

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