お題:道

 昔から、知らないものが怖かった。

 子どもは好奇心があったらすぐに挑戦して、失敗して学んでいくものだ。なのに、私は挑むことを怖がってきた。いつもと違う帰り道も、田んぼ沿いのカエルも、近所にいた野良猫も、全部を怖がって、遠ざけ続けてきた。

 そのツケがいまの私だ。平々凡々、何の起伏もない、つまらない人間。芸能人や配信者のとんでもエピソードを聞いていると羨ましくなる。過去に立ち返ることはできないし、いまの私には階段を五段飛ばししたり、雑草を食べたりする勇気もない。

 ずっと言い訳して、挑まず、望まず。そのくせ何かを成し得た人を妬む。本当に、つまらない人間……――


「う……」

 鈍い痛みを全身に感じながら身を起こす。肘をついた地面から枯葉のひしゃげる音がして、苔の匂いが厭に鼻につく。私はすぐに思い出した。

「そうだ……私、足を滑らせて……」

 学校遠足の山登りの下山中、森のような場所に落ちた。学校指定のジャージは泥だらけで、膝は生地が破れて血が滲んでいた。

「ほんっと、最悪……」

 苛立ちを吐き捨てて、なんとか立ち上がった。道らしきものは上に見える。だが、岩や木の根が乱立する斜面を登るのは無謀だ。大人しく待っていれば、そのうち助けが……

「おーい、大丈夫か!」

 その男子は、声と一緒に上から降ってきた。クラスでも変わり者に属する子だ。

「足折ったりしてないか?」

「え、うん……ってか、え? なんで降りてきたの?」

「心配だったから」

 当然のようにそう答えた。この男子は、友達でも恋人でもない私の安否確認のためだけに、この斜面を降りてきたのだ。あまりにも無鉄砲で呆れてしまった。

「ちょっと痛いけど平気……」

「よかった。じゃあ、さっさと登るか!」

「……は?」

 私の返答など聞かず、その男子はいましがた下って来た獣道に近い斜面を登り始めた。

「いやいやいや、待ってたら助けがくるでしょ!?」

「こんぐらいならいけるだろ」

「バカ、ほんっとにバカ! こういう時は下手に動かない方がたぶんいいんだってば! というか本当になんで降りてきたのこのバカ!」

「そんだけ元気ならいけるいける」

 と、また軽い調子で登り出す。

 怖くないのだろうか。落ちるかもしれない。足場が崩れるかもしれない。道の無い場所を進むなんて、怖くてできない。

「……私なんかにできるわけないじゃん。運動神経ゼロだし、私なんかが……」

「うっさい!!」

「っ?!」

「やってみりゃわかる!」

 その男子は一旦飛び下りて、催促するように私の背中を押した。

「ちょ、無理だって!」

「落ちたら俺がクッションになるから心配すんな。やってみようぜ。危なくなったら俺が助けるし、怪我したら……まあそん時はそん時だ!」

 任せろとばかりに笑うのは、同じクラスってだけの他人だ。無責任な言葉で焚き付けて、私を失敗させようとしてるんだ。いままでだって、何回も無責任なやってみようとか、がんばれを言われて、そのたびに失敗して、私はみじめな思いを何回も何回もしてきたんだ。

 ……なのにどうしてだろう。

 私のことなのに、まるで我が事のように自信満々なその顔を見たら、心が動いてしまった。この男子は本当にいままでも「やってみよう」で来たんだろう。それが他人にもできるって、無責任に信じてる。

 本当にバカだ。こんな単純なことに触発されるなんて。

 いまなら。道なんてないはずの斜面を、いまなら突き進める気がしたんだ。


 結局、私は二、三回ほど落ちそうになりながらも自力で元の道へ戻ることができた。同級生からは謎の拍手が巻き起こり、先生は勝手な行動をした男子を叱りつけてた。

 そこから先? 私も知らない。

 だって、いまはいくつも進みたい道が見えるんだもの。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る