お題:バス停

 人が来ないバス停、というのはどこの街にもあるのだろう。

 毒にも薬にもならぬという言葉があるが、田舎だが山奥ではないこのバス停はまさにそういったものだろう。通学ルートからは微妙に外れ、前後では人が乗り込むのにここだけ利用者が妙に少ない。平日だろうが休日だろうが、晴れだろうが雨だろうが雪だろうが、利用者はいつも家から最寄りの僕一人だ。

 微妙に錆びた空欄だらけの時刻表を暗記できた頃、その変化に気付いた。土曜日の朝にだけ、同じ女性が利用しているのだ。年は高校生ぐらいに見える、背伸びして流行の服を纏っている少女だ。

 その子は決まって土曜日にだけ、このバス停を利用する。最初は物珍しいぐらいに思う程度だったが、いつしかその少女がいることで土曜日を想起する程度にはなじみの存在になっていた。

 しかし、別段話すようなこともない。僕にナンパをするような勇気がないからだ。僕が十分前に着いて、彼女が五分前に着いて、少し距離を置いて待つ。顔を覚えたコンビニ店員ぐらいの距離感でしかない相手に何かを求めることもない。スマホを眺めて五分間の沈黙を潰す。

 その沈黙が不思議と嫌いでないのは、バス車内で少女の良心を目にしているからなのだろう。

 少女はよく席を譲る。老人にも、小さな子どもにも、まだお腹が膨れていない妊婦さんにも。時折、偏屈な老人に怒鳴られている姿も見る。周囲の気分まで汚染する老害へ苛立つ僕とは対照的に、少女は笑顔で陳謝して、また別の人に席を譲るのだ。

 このような小さい良心をどこかに置き忘れたのはいつだったろう。青の横断歩道でクラクションを鳴らされた時だったか、人間関係のこじれで諸悪の根源扱いされた時だったか、はたまた大人モドキになった自分に絶望した時だったか。とにかく、僕はポケットから手を出せなくなった。他人に何かを与えることを極端に嫌がるようになってしまった。

 そんな自己嫌悪を、小さな陽だまりにいる少女の姿で中和しようとしている。情けない大人になってしまった。

 少女のおかげで知ったことがある。マタニティマークというものだ。妊婦への配慮を行いやすくするために作られたものであるらしい。

 丁度、それをつけた女性がバスに乗り込んできた。僕は逡巡する。

 この気遣いはいらぬものではないのか。余計なお世話と手を払われるのではないか。

 ポケットの手を出せない。この迷いのうちに、少女はまたも手を差し出す。

 この子はきっと、断られたり、拒まれたりすることが怖くないのだろう。痛みを知らないのではなく、受け入れている。

 僕はまだ、冷え切った手を差し出せそうにない。

 ただ、繰り返されるバス停の五分が重なった先で、僕はまた動き出せそうな気がする。

 今日、こそ。

 老人が乗り込む。僕はひとつ早いバス停で降りた。

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