第2話
「……遅刻常習者指導」
「お姉さんの時代からありました?」
「あったよ。テストとテストの間に5回以上遅刻したら、生徒指導部からお呼びがかかる楽しいイベントでしょう」
「茉弥、あれに引っかかっちゃって。だから僕ひとりだけで」
「……ちょっと待って?」
わたしは、ちびちび飲んでいたバタースコッチラテを一思いに飲み干すと、カップを静かに置いた。
「わたしの知る限り、茉弥はいつも普通の登校時間に家を出ているよ。なのに遅刻常習者指導って、おかしくないかな」
「……」
「ね。海斗くん。なんでなのか、理由知ってるんだよね。……言って」
「いやあ……」
「わたしはあの子の姉として、そのことを知っておかなければいけないの。きみに迷惑はかけないから。……ね」
海斗くんや茉弥よりも、わたしは何年間かだけ早く、この世界に生まれ落ちている。
だから、言いよどんでいる相手に何かを白状させる方法は、この子たちよりも理解していると思っている。
できるだけそんな気持ちを押し殺した瞳のまま言葉を待っていると、やがて、海斗くんはゆっくりと口を開いた。
「……茉弥、いつも学校行くふりして家を出て、そのまま遊びに行ってたらしくて」
「らしくて、ってことは」
「僕は行ってないです。それだけははっきり言えます。一応は一般と推薦を併願するつもりですし、内申にキズつけたくはありませんから」
「まあ、そうは言っても、彼女は欲しいよね」
わたしがにやつきながら言ったちょっとイヤな言葉にも、海斗くんはどこか曖昧に微笑むだけだった。
かまわずに続けた。
「それで……なら茉弥、家を出たあとにどこへ行ってたんだろう」
「単に街をウロウロしたり、どこかで他の友達とだべったりしてたらしいです。もうそんなことするな、って言ったんですけど。でも茉弥のやつ、僕と付き合うより先に、もう5回以上遅刻してたみたいで」
「ふーん」
「それで、今日は茉弥は居残りで、僕だけ先に帰ってきたところです。今頃は反省文か……」
「生徒玄関の下駄箱掃除、ってところかな」
「お姉さんの時も、そうだったんですか」
「わたしのこと、名前でいいよ。……でも、もう忘れちゃったかな?」
「……茜、さん」
「なんだ。きみも憶えてくれてたんじゃん」
すっと手を伸ばして、海斗くんの髪に手をやった。見た目に反してなんだかふわふわとしていて、猫でも撫でているような感覚が伝わってくる。
さっきと同じように頬はもちろん、耳まで赤くなっている。
ふうん。茉弥、こういう子も好きなんだ。
そんな感想を抱いた自分が、冷静なんだかなんなのか、よくわからない。
でも、いま確かなのは、海斗くんの髪を撫でたわたしの掌が、なんだか熱を持っていて。
消えてくれなくて。
なんなんだよ、って思った。
わたしと茉弥の両親は、かなり口うるさい。わたしはこの歳になってもいい子を演じているけど、茉弥は別だった。そろそろ進路に関する事柄もちらついてくる学年だったし、普段の素行も相まって、最近は茉弥と両親は頻繁に言い合いをしている。特に父親は昔ながらのカタブツだから、この事実を知ったら、通学以外の外出無期限禁止くらいは簡単に言い渡すことだろう。
つまり、このことは間違いなく、茉弥にとっては大きな弱点になるわけだ。
ふうん。面白いね。
心で呟きつつ、わたしはおもむろに髪をかきあげながら、言った。
「ね、海斗くん。おうちは厳しいほう?」
「え……いや、うちは別にそうでもないですけど」
「じゃあ、今日は茉弥の代わりに、これからわたしと一緒に遊ぼうか」
「へ?」
海斗くんは、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。
たたみかけるように、わたしは言葉を続けた。
「大丈夫、大丈夫。こんなの浮気のうちに入らないって。彼女の家族と一緒にいるだけでしょう」
たぶん一般的な考えに則れば入りそうな気もするが、それは言わぬが花というやつで。
おそらくこの子は強気な女子に弱いはずだし。そうでなければ、茉弥のような女の子とうまくいくわけがないはずだ。
だから、わたしは「いや、でも……」とうろたえはじめる海斗くんに対する攻撃の手を緩めない。
「あー、いててて。おなかがいたいなあ。だれかわたしのことたすけてくれないかなあ。ちらっちらっ」
「なんですか、その棒読みの台詞は」
「これで、わたしと一緒にいる大義名分はできたよね。きみはわたしを介抱する。もうなんの問題もないね」
「えぇ……」
「いま、ここでわたしのこと置いていくなら、さっき聞いた話の何もかも、ウチの両親に話しちゃうよ。茉弥が彼氏と一緒に学校さぼって遊んでるよー……って、ちょっとばかり彩って。海斗くんってわたしと会ったのは先週が初めてだけど、母親には会ったことあるんだよね? 茉弥がぜーんぶ教えてくれたよ。訊いてもいないのにさ」
「いやいやいや! さっきも言ったように僕は……」
「うるさい。きみに拒否権はない。スタンドアップ」
わたしは席を立って、さっきと同じように海斗くんの手をひっつかむと、椅子から強引に立ち上がらせた。
周りにいる男性と比べても、海斗くんは腕も足もなにもかもが細くて、なんだか頼りなさげによろよろとしていた。
でも、なんだろう。
海斗くんを見ていると、わたしは胸がゾクゾクするのだ。
なんだか、もっともっと、いじめてやりたくなる。
わたしの中で眠っていた加虐性愛が、目覚めそうになる。
今のわたしは、本当にわたしなのか、境目すらも怪しくなってきた。
彼の耳元に顔を近づけると、茉弥と同じ香りがして、また胸がちりちりと痛む。
有名な、ユニセックスの香水のかおりだった。
まだ始まったばかりでも、一応はカップルだから、同じ香りをまとおうとでも思ったのだろうか。
ふーん。
確かにそれは、美しい青春だね。
でも今はそんなもの、たとえ相手が誰でも、全部壊してやりたいんだ、わたし。
唇をうすく開く。
「……どうせなら、茉弥とできないような遊び方、しよっか」
つかんでいる手が、ぴくりと一度、はっきりと震えた。
***
前会計の店だから、そのまま何食わぬ顔で店のドアを出た。帰宅時間帯のターミナル駅なんて、どこを向いても人の姿ばかりだ。
いま、わたしの隣にいる、妹の彼氏の姿を見やると、さっきまでうろたえていたのに今は口を真一文字に結んで、斜め45度くらい下に視線を這わせている。
それでも、なんだかんだわたしの手をしっかりと握っているあたりが、なんだかいじらしい。
初めて対面した日の夜、リビングで見た、茉弥の笑い顔がよぎる。
そんなんで大丈夫なの……みたいに、嘲るような顔。
ねえ。
お姉ちゃん、あんたの弱点だけじゃなくて、いっそのこと何もかも全部、かすめとってあげるよ。
あまり見くびらないでもらえる?
わたしは彼の手を引いて、歩き出す。
人波の中に姿を溶かしたのと同時に、なにか違うものも、一緒に消えていった。
恋に焦がれて恋壊ス 西野 夏葉 @natsuha
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます