「あの野郎、今度会ったらドタマかち割（わ）ってやる！」

　物騒（ぶっそう）な怒りをあらわにするのは、養鶏業（ようけいぎょう）を営（いとな）むシュペルム氏（45）だ。

　先日の夕刻（ゆうこく）、シュペルム氏は、鶏肉（けいにく）となる雄鶏（おんどり）の出荷のため、鳥籠（とりかご）を積（つ）んだ荷馬車（にばしゃ）を隣村（りんそん）へと走らせていた。通り道になっている渓谷（けいこく）は、ダークウルフの生息区となっている。そのため出発前には、旅商人から購入した〝魔物除（よ）けの聖水〟を荷馬車全体に振（ふ）り撒（ま）き、盤石（ばんじゃく）の体勢を整（ととの）えていた。

「これで旅路（たびじ）は安泰（あんたい）だ。ダークウルフの『ダの字』だって見えやしねえ！　……そう思っていたんだがよ」

　ダダダダダッ！

　という騒々（そうぞう）しい物音に振り返えれば、黒々とした毛並みが、荷馬車に向かって怒涛（どとう）のごとく押し寄せて来ているところだった。

「それからはもう狼（オオカミ）どものやりたい放題だったぜ」

　荒れ狂う黒波は、一塊（いっかい）となり雪崩（なだ）れ込（こ）んだ。そして次から次へと鳥籠（とりかご）を咥（く）わえ、あれよあれよという間（ま）に去って行ったのである。飛散（ひさん）した雄鶏（おんどり）の羽根（はね）だけを残し、荷台の上がガランとしてしまうまで、ほんの数秒だった。

「オレと愛馬（あいば）が無傷で済（す）んだのが、せめてもの慰（なぐさ）めさ……」

　その後、隣（とな）り村へと辿り着いたシュペルム氏は、酒場へと足を運んだ。なにも自棄酒（やけざけ）をしようというのではない。滞在中の冒険者一行（いっこう）に、この度（たび）使用した〝魔物除けの聖水〟の効力が確かなものだったのか、鑑定（かんてい）を依頼（いらい）するためである。

「あんちくしょうの旅商人はよぉ、『このお品（しな）であればグリフォンでも寄せ付けませんよ』なんてことまで、口ひげを撫（な）でつけながら得意（とくい）げに謳（うた）っていやがったんだ。それがこのザマだろ？　だからよ、もしかすっと粗悪品（そあくひん）を掴（つか）まされたんじゃねぇかと思ってな」

　その、もしかすっと、だった。

　鑑定を依頼された冒険者の青年は、〝魔物除けの聖水〟をひと舐（な）めしてこう断言（だんげん）した。

「ああ～、これはただの塩水（しおみず）ですね」

　シュペルム氏によれば、粗悪品どころか全くの紛（まが）い物（もの）を売りつけた旅商人は、恰幅（かっぷく）がよく、鼻の下に口ひげを蓄（たくわ）えた中年男性。背中にまん丸と膨（ふく）らんだリュックを背負（せお）っているとのことらしい。なお同氏は、その旅商人を賞金首として申請（しんせい）することはせず、自ら捕まえてドタマをかち割ってやると息巻（いきま）いている。