第4話 高校生活開始

「はじめまして、赤名こよりです。よろしくお願いします」

「……赤名暁。よろしく」

「はいみんな、仲良くしてあげましょうね~」


 真新しい夏仕様のセーラー服と学ランに身を包み、二年A組の転入生として黒板の前に立たされた二人。

 本名ではない赤名姓を名乗り、微笑んで頭を下げたこよりとは対照的に、暁は微動だにせず無表情のまま挨拶する。


 転入生はただでさえ目立つが、この二人は異彩を放っていた。

 兄妹が同じクラスに転入、一人はとんでもない美少女で――もう一人はとんでもない愛想なし。

 朝のHRが終わり、担任が出て行った瞬間にこよりの席にはたくさんの生徒が集まってきて質問攻めが始まる。


「ねぇねぇ、こよりちゃんって呼んでいい?」

「ええ、もちろん」

「こよりちゃん、すっごいかわいいよねぇ。ほら、他のクラスの子まで見に来てるよ」


 クラスメイトの言うとおり、教室の廊下側の窓に他のクラスの男子生徒が群がって鼻息荒くこよりを見つめている。

 さっき挨拶をしたばかりなのに、もう美少女転校生の噂が流れているらしい。


 もっとも、こよりにとってこういうことは珍しくなかった。

 通っていた女子校でも、近所の男子が校門に列をなして毎日代わる代わる告白してきていた。自分より弱い男には興味がないからすべて断っていたが。


「でも、こよりちゃんのお兄さんちょっと怖いね……」

「全然しゃべんないし、さっきからまばたきもしてなくない?」

「すごい背筋伸びてる……こわ……」

「それにあの首輪みたなやつ、なんなの? 厨二なの?」


 窓際の席に座った暁はぴしりと背筋を伸ばし、無表情のまま虚空を見つめている。こよりと違い、誰も話しかける者はいない。そりゃそうだ。あんな無愛想な奴、誰が友達になりたいと思うものか。


(高校に行きたいって自分から言い出したくせに、社交性も協調性も皆無じゃない)


 初日数分で完全なるボッチ確定のその姿の哀れさ加減は、昨日「いつでも殺せる」と脅してきた奴とはまるで別人のよう。

 こよりは心の中で、ざまぁwwwと高笑いして、肩にかかるツインテールをさらりと手で払う。


 そのときだった。


「俺ともお話してくれよー、転校生ちゃん♡」


 一人の男子生徒がこよりの席の前に立ち、からかうような声でそう言ってきた。


「ち、近澤くん……」

「こ、こよりちゃん、また後でねっ」


 途端、こよりを囲んでいた女子たちが蜘蛛の子を散らすようにいなくなる。

 こよりは近澤と呼ばれた男を仰ぎ見た。おそらく180センチ以上ある背、がっしりした体格は高校生の中でも相当逞しい方に入るだろう。だけどだらしなく伸び、根元の黒い金髪頭から見るに、部活を熱心にやっている感じでもない。


(ヤンキーの問題児ってとこね。くだらないわ……)


 異能者のこよりからすれば、一般人はヤンキーだろうが格闘家だろうが、十把一絡げで雑魚である。

 だが、内心そう思っていても初日から彼と争いになってクラスメイトの印象を悪くするわけにはいかない。こよりはにっこりと愛想笑いを浮かべて近澤と対する。


「なにか御用ですか?」

「おう、用ならあるぜ。あんた、かわいいから俺の彼女にしてやるよ」

「……は?」

「なぁ? こいつを俺の女にしても、文句ある奴いねーよなぁ?」


 近澤が威圧するように大声を出すと、クラス中がしんと静まる。廊下側の窓にへばりつく他クラスの男子たちも緊張した顔をしている。

 こいつはどうやらクラスだけでなく学年全体のボス猿らしい。


 だが、こんな奴に屈するこよりではない。


「すみませんが、」


 あなたとどうこうなる気は一切ありません。

 そう続けようとして、言葉が途切れた。

 暁が近澤のそばにやってきたからだ。


「あ? ンだよ、おにーちゃん。妹が心配ってか?」

「嫌がってる。やめとけ」

「キモ。シスコンかよ。おえ~」


 近澤が舌を出して吐く真似をする。

 どこまでも人を馬鹿にした態度だ。見ているこよりの気分まで悪くなってくる。


「オニーチャンはひっこんでろ、よっ!」


 近澤が拳を振り上げた。

 きゃあっ、と幾人かの女子が悲鳴を上げる。


 バシィンッ!!


 破裂音にも似た激しい殴打の音が教室に響く。

 だがそれは近澤の拳が暁の顔面を殴った音ではなく、暁がその拳を手のひらで受け止めた音だった。


「……は?」


 止められた方の近澤がぽかんと呆けた顔をする。

 全力で振りぬいた拳を素手で、微動だにせず受け止められた経験など一度もない。

 暁は無表情のままぽつりと呟く。


「遅いな」

「――ってっめぇ!」


 近澤がもう一度暁を殴ろうとする。

 だが、暁の手のひらが拳を包んできて。振り払おうとするが、びくともしない。


「な、んなんだよ、てめぇ!」

「知ってるか? 手の粉砕骨折はもっとも厄介だ。不便だし、後遺症も残りやすい」

「ぐあ……ッ!」


 近澤が低く呻いて顔を歪める。

 暁は平然とした顔をしているが、制服のカッターシャツから伸びる腕には血管が浮くほど力がこもっている。


(まさか、折る気……!?)


 そんなことをしたら初日から大問題になってしまう。

 こよりは慌ててその腕を掴んだ。

 

「ちょっと、カ――お兄ちゃん!」


 カシマ、とは呼べなくて。昨日麗華に言われたことを思い出して。

 こよりがそう叫ぶと、暁が目をわずかに見開いてこよりを見た。

 初めて表情の変わるところを見て、こよりの方が動揺する。


(な、なによ。しょうがないじゃない、兄妹の設定なんだから!)




「こらっ、なにやってるの!」


 教室に次の授業の担当教師が入ってきた。

 暁の気が逸れた隙に、近澤がばっと手を振り払う。


「……チッ、テメー覚えてろよ」

「近澤くん!どこ行くの!」

「腹痛いんでー、保健室いってきまーす」


近澤は暁を睨みつけ、教室を出ていった。


自分の席に戻ろうとする暁の制服のシャツをこよりがクイと引っ張る。


「?」

「……あ、あの……」

「なんだ」

「……っ、なんでもない! 早く席戻れば!」


お前が引き止めたんだろ、という顔になる暁。

自分でもそう思う。だがどうしても素直にありがとうの言葉が言えなかった。


(べつに、自分でもあんな奴の対処ぐらいできたし。余計なお世話なのよ!)

 

でも、暁がまさか助けてくれるとは思わなくて。

なんだかそわそたした気持ちになるこよりだった。




 今日は土曜日なので、四時間で授業が終わる。

 放課後。

 朝と同じく背筋を伸ばして無表情で虚空を見つめる暁の席まで行き、こよりは言った。


「私、先生に呼ばれてるから職員室行くんだけど」

「そうか」

「…………」

「…………」

「そうか、じゃなくて。ついてきたほうがいいんじゃないの?」


 とんとんと自分の首元を指さすと、暁が小さく、ああ、と言う。

 100メートル以上離れたら爆発するリングのことをすっかり忘れていたらしい。


 帰り支度をしてカバンを持って教室を出ようとすると、「また明日ねー、こよりちゃん」とひやかすような声が聞こえてきた。近澤である。

 舌打ちしたいような気分だったが、学校で騒ぎを起こす気はない。


 席を立たない暁の制服のシャツの肩のあたりをちょっとつまんで、こよりは言った。


「行きましょ、……お兄ちゃん?」


 こよりを見上げた暁がわずかに目を丸くする。


「なっ、なによ。兄妹なんだから、こう呼ぶのが自然でしょ……」


 さっきもそうだが、そんな反応をされると照れる。

 顔が熱くなるのを感じて、こよりは俯いた。

 でも、加嶋とも呼べないし、暁と名前で呼ぶのはもっと無理だ。男性の名前を下の名前で呼んだことなどないのだ。


 会話することも無く、少し距離を取って歩き、二人は職員室に向かう。


「ここで待っててちょうだい」


 職員室に入ってすぐのところに暁を待たせ、こよりは担任の元へ向かった。


 用事を終えると、「ハーイ」と聞き覚えのある声がする。

 振り返ると……。


「ジェイ!」

「ハーイ、こよりチャン、朝ぶりデスねー!」

「えっ、どうしてここに?」

「あれ、言ってませんでした? ワタシ、ここの英語の非常勤講師」

「ええっ???」

「ちなみに麗華サンは保健の先生になってマース」


 全然知らなかった。昨日は自分たちがこの高校に転入するという情報だけで頭がいっぱいになっていたのだ。

 たしかに暁を監視する目的なら、学校に教師として潜入していた方がやりやすいだろう。


「麗華サン、美人でセクシーダイナマイツな保健医さんが来たって保健室に男子生徒がつめかけてきて、苦労しているみたいデースよ」

「ほんっと、男子ってバカばっかり……」


 こよりはうんざりとため息をついた。

 近澤のこともそうだし、一日中まるで動物園のパンダのようにじろじろ見られて疲れ果てているのだ。

 自分の容姿が人目を引くことは知っているけれど、それで得をした経験はない。

 むしろ幼いころは警察庁長官の娘ということで誘拐されかけたことが何度かあるが、そこにロリコンの変態も加わってさらに厄介だった。こよりの男嫌いはそこから始まったと言ってもいい。


「それで、アキラはどこデスか?」

「ああ、そこで待ってるはず……って、いない!?」


 待ってろって言ったのに。

 こよりは慌てて職員室を飛び出す。


 すると、職員室の向かい側の中庭で、少女と二人で喋っている暁がいた。




 ――こよりを待っていた暁だったが、暇になってふらりと職員室を出てみた。

 すると、廊下を挟んで向かい側にある中庭に、一匹の野良猫が迷い込んでいるのを見つけた。

 なんとはなしに眺めていると、猫は七月の暑さにもめげず、芝生に転がって腹を出して寝ようとしているではないか。

 その警戒心もクソもない様子に興味をひかれ、ふらふらと中庭に寄っていく。

 ちらりと職員室を振り返る。余裕で100メートル以内だ。

 暁はひょいと窓を飛び越え、中庭に降り立った。


 暁がすぐそばに立っても、猫は腹を出したままだ。

 しゃがみこみ、じっと観察する。パンダみたいな白黒の模様で、野良のくせにまるまる太っている。もしかしたらこの学校で誰かが餌付けしているのかもしれない。

 近くに生えていた雑草を一本抜いて、その葉先で腹のあたりをふよふよとくすぐる。すると、くすぐったいのか気持ちいいのか、猫は体をくねらせた。


「その子、かわいいよねぇ。すごく人懐っこくて」


 背後から声がして、暁は振り向いた。

 そこには一人の少女がいた。

 猫遊びに夢中になっていたせいか、気配に気づかなかった。……こんなことは初めてだ。


「えへへ。赤名くん、ねこ好きなの?」


 じっと見上げる暁に、少女はふわりと微笑みかけた。

 150センチぐらいしかない低い身長。ほわんとゆるい笑みを浮かべるその少女は、大きなたれ目も、肩までの長さのふわふわ柔らかそうな色素の薄いベージュの髪も、全部が綿菓子のように甘い。

 すぐに顔と名前が一致する。クラスメイトだ。

 

「……あんた、天生 羽(あもう つばさ)か」

「ふえっ? いま初めて話したのに、わかるの?」

「人の顔を覚えるのは得意だ」


 一度見たものは忘れない。人の顔も、道や風景も、機密情報も。


「えへへ。うれしいなぁ。赤名くん、いいひとだね?」

 

 だけど、そんな風に言われたのは初めてだった。


「赤名くん、もっと笑えばいいのに。いいひとなのに、こわい顔してるからみんな話しかけられないんだよう」

「俺が、いいひと?」

「ねこ好きに悪い人はいないでしょ?」


 羽が暁の隣に膝をかえてしゃがむ。小さな身体が丸まってさらに小さくなる。飴玉のような丸い瞳が暁をのぞきこんだ。


「今日ずっと、話しかけられ待ちしてなかった?」

「…………」

「あ、当たりだぁ。ふふふ。そう思ったんだけどね、顔こわいし、全然まばたきしないから話しかけるのやめちゃったんだよう」

「……まばたきは普通にしてた」


 野良のくせに腹を出して寝る不思議な猫と、臆せず話しかけてくる不思議な少女に囲まれて、暁は腹の底がむずむずするような落ち着かない気分になる。


「笑い方、わかる? ほら、こうやって」


 そう言って、羽は両頬を指でひっぱって、笑顔を作る。

 にょいーーんと伸びた柔らかそうなほっぺたを見て、暁は目を丸くした。


「あんたの顔、すげぇ伸びるな。ピザのチーズみたいだ」

「ふえ。そっち? ふつう、おもちに例えない?」

「餅は食ったことない」

「えー、もったいない! お醤油つけたおもちときなこのおもちの無限ループ、したことないの?」

「ない」

「あー、わかった。だから笑えないんだよう。おもちを食べたら自然と笑顔がこぼれる! はず!」


 どれだけ餅に全幅の信頼を置いているんだ、この少女は。


 そのとき、背後に気配を感じた。

 振り返るとなんだか不機嫌そうなこよりが腰に手を当てて立っている。


「待てもできないの? オニイチャン」

「……用は済んだのか」

「ええ。帰りましょ」

 

こよりは羽をちらりと見る。


「一緒に帰るなんて、なかよしでいいねぇ」


 にこにこ笑って、羽は二人に手を振った





 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る