第2話 最強の男、日本到着
――日本、成田空港。
ファーストクラスラウンジとも違う、一般人には存在すら知らされていないVIP用の特別室に二人の女がいた。
一人は年齢二十七歳。艶のある黒髪を肩までの前下がりボブにした、目元の泣きボクロが色っぽい理知的な美人。
タイトな黒スーツがグラマラスな曲線美を引き立て、彼女をよりいっそうセクシーに見せている。
もう一人は十六歳の少女。長い黒髪をツインテールに結んだ、男ならだれでも見惚れてしまうような美少女だ。
七月の暑さを吹き飛ばすような爽やかな水色のワンピースを着ている彼女は、部屋の中央に置かれたソファに座って、すらりと長い脚を組んでいる。
その少女――時任こよりは意志の強そうな大きな瞳を不機嫌そうに細めた。
「まだなの? そのカシマってやつは」
「そう焦らないの、お嬢様。ほら、マカロンでも食べてなさい」
「私は甘いものは嫌いよ」
テーブルに置かれた皿の上にのったマカロンを、スーツ姿の女性――赤名麗華がすすめるけれど、こよりはツンと顔を逸らしてそれを断った。
十も年が離れているのに、一見して力関係は対等、それどころかこよりの方が上に見える。
赤名麗華は警察庁公安部の刑事。
そして時任こよりは警察庁長官の娘である。
それだけではなく、二人は十年来の友人でもあった。
「ねぇ、そのカシマって奴……本当に前大統領を殺した犯人なの? それに懲役3657年って、そんな長い刑、有り得るの?」
「米国は刑が累積されていく仕組みだもの。カシマの犯歴は連邦裁判所爆破、科学技術研究所からの情報奪取、それから紛争地帯でのゲリラ活動――加えて前大統領暗殺とくれば、そのぐらいにもなるでしょうね」
「そんな奴、日本に呼び寄せるなんて危険すぎるわ」
「あら、お嬢様。ビビってるの? お顔が固いわよ?」
「び、ビビってなんかないもん! 私は犯罪者が大嫌いなだけ! 」
「まぁ、私も犯罪者は嫌いだけどね。でも彼じゃなきゃ成せない任務があるのよ」
米国の大統領が暗殺されたというニュースは、二年前、日本でも大々的に報道された。だが犯人は捕まったという情報だけで、素性などは一切明かされず。
世界中の記者や好奇心旺盛なネットの住民たちが「犯人は誰なのか」と情報をかき集めようとしたが、外見も名前も特定されることはなかった。
一部では前大統領は政府に殺されたのだ、という陰謀論まで出ている。
それがまさか日本人の同い年の少年だなんて。にわかには信じられない。
そして更に信じられないのが、その少年が極秘裏に出所して日本である「任務」をこなすことになったということだ。
こよりと麗華はそのパートナーに選ばれた。なのでこうして、アメリカから軍用ジェット機で護送されてくる彼を空港で待ち構えているというわけである。
飛行機の発着場からこの部屋まで、膨大な人数の日米両方の軍人が警備に当たっている。つまり――それほどその少年が危険視されているということである。
こよりと麗華が待機しだして一時間。
特別室の扉が重い音を立てて開いた。
二人の視線がそこに集まる。
「ハーイ! ハジメマシテ! ワタシはジェイでーす!」
するとそこには日本人の少年ではなく、両手を上げた陽気な白人。
オールバックにした金髪に、ダークグレーのスーツ姿。だけど真っ白い歯を全部見せた満面の笑みには、緊張感のかけらもない。
「な、なに、あの人……」
「CIAのエージェントの、ジェイ・レストレッドよ。カシマに同行してこの任務に参加するって話を聞いてるわ。……あんな人だとは思っていなかったけど」
引き攣った顔のこよりと麗華に、ジェイがずずいっと近寄ってくる。
「オウ、あなたたちがれいかチャンとこよりチャンですネ! 二人ともビュリホーです!」
二人の手を取り、ぶんぶん振って挨拶するジェイ。
その後ろから、一人の少年が姿を現した。
加嶋暁。――懲役3657年の、超凶悪犯罪者。
(こいつが……?)
こよりは彼の犯歴から勝手に、それこそ悪役プロレスラーのような巨漢の凶悪顔を想像していた。
だが目の前の少年はいたって普通。身長は175センチ前後、中肉中背、顔は悪くないが特別カッコイイというわけでもない。
普通の髪型、白いTシャツにジーンズという普通の恰好。
唯一普通じゃない点といえば、首に黒いリングのようなものを嵌めていることと、腕に手錠がかけられていること。
こよりは少年に近づいた。
「……あなたが加嶋 暁?」
「ああ」
「本当に前大統領を殺したの?」
「…………」
少年は答えない。茶色がかった少し長めの前髪からのぞく目には何の感情も浮かんでいない。
誰かに質問を無視されるという経験のないこよりは苛立ち、「なんとか言いなさいよ」と少年を大きな瞳で睨みつけた。
「ハイハーイ、お嬢さん、そこまでデース! それよりも、ハイこれ」
二人の間に割って入ったジェイはこよりの腕を取り、細い手首に黒いリングをカチャリと嵌めた。
「なによ、これ」
「これはアキラの首のリングと繋がっていマース。こよりチャンとアキラが100メートル以上離れた場合、またはこよりチャンの生体反応が無くなった場合、アキラの首が吹っ飛びマース!」
「――はぁ!? な、なによそれっ」
「アキラの逃亡防止のためデース。我慢してネ~」
「そんな危険なもの、人の許可なくつけないでよ!」
「ダイジョウブ! お父様の許可は下りていマースカラ!」
父親の名前を出され、こよりは息を飲んだ。
犯罪者と自分の娘を物理的に結び付けるなんて普通の父親なら絶対にしない。
だが、あの男なら。
こよりに愛情のカケラも抱いていないあの男なら、やりかねない。
「……仕方ないわ。貴方が無理を言ってこの任務に参加したんだもの」
俯いたこよりの肩に、慰めるように麗華が手を置く。
――そうだ。こよりはそんな父親に復讐する力を得るために、この任務に参加することにしたのだ。
「それではみなさん行きましょうか! 楽しいドライブへレッツゴー!」
四人は駐車場へと移動した。
麗華が運転席、助手席がこより、後部座席に暁とジェイという並びで車に乗り込む。
東京に向かって順調に走る車はまもなく首都高に乗る。
こよりが後部座席を振り返り、ジェイに尋ねた。
「ジェイ、あなたもこの任務に選ばれたってことは『エリクサー』なのよね?」
十五年ほど前から、世界には突如として異能を持つ人間が現れ始めた。
常人より硬い肉体を持つ、とてつもない腕力を持つ、電気を操る、透明になれる――そんな能力を持つ人間が何をするかといえば、犯罪に決まっている。
それを取り締まるために、各先進国が国を挙げて誕生させた異能者を狩る異能者。それが『エリクサー』である。
彼らは国によって知能・運動能力・精神力・血筋までも厳正に審査されたエリート中のエリート。そして異能をその身に宿す際、彼らは軍や警察関係者として命を賭して国家と世界平和のために働くことを誓わされる。
こよりと麗華もエリクサーとして、異能を持つ者だった。
こよりの質問に、ジェイはニコっと笑って答える。
「もちろんデース♪」
「どんな能力か訊いてもいい?」
「そうですねー、この任務に最適な能力、とだけ言っておきまショウ」
「それじゃあ……あなたは?」
こよりが暁に目を向ける。
だが、やはり暁は答えず、窓の方を向いて流れる景色を見ている。
「……ジェイはこいつの能力を知っているのよね? 教えてよ」
「いいえ、アキラの能力は誰も知りまセーン」
「そんなのあり得ないわ。国家所属のエリクサーじゃなくても、異能犯罪者の能力や素性は各国で共有されているはずだもの」
「そうですネ。でも、アキラはその範囲外なんデスよ」
「なによ、それ。こいつの能力がたとえば自爆とか……そういう危険なものだったらどうするの? 私たち、突然こいつに殺されるかもしれないじゃない」
「ダイジョウブでーすヨ。ワタシの能力はそれを阻止できるものですから」
「……意味わかんない……」
過去もそうだが、現代において大統領の警備にはエリクサーがつくのが基本。
ということは、暁はアメリカでも相当上位の能力を持つエリクサーを倒したということになる。それがまさか無能力者なわけがない。そして――危険な能力じゃないわけがない。
それなのに、暁の能力も知らずに日本政府は彼を呼び寄せ、任務に就かせる気だというのか。
到底納得ができず、こよりが眉をしかめたその瞬間。
ドンッ、と大きな衝撃音が聞こえてきた。
「なにがあったの!?」
前を向くと、衝撃的な光景が広がっていた。
首都高を走る車と車の間を縫うように、一台の車が猛烈なスピードで逆走してきたのだ。
逆走車が、こよりたちの車の目前まで迫ってくる。
――ぶつかる!
「くっ」
麗華が見事なハンドルさばきで、間一髪、その車との接触をかわす。
さきほどの衝撃音は、その車にぶつけられて跳ね飛ばされた車がスリップした音のようだ。
何台かの車が道路脇に横転している。こよりたちの後ろにいる車もよけきれず跳ね飛ばされていき、ドガンッ!ドゴンッ!と衝撃音が相次いで聞こえてくる。
『警視庁より入電、銀行強盗が逃走中、首都高を逆走との情報が――』
車のステレオから音声が流れてくる。
「あの車ね。まずいわ、ここで食い止めないと――」
「ジャパンは平和な国と聞いていましたが、初日から強盗と遭遇なんてびっくりデース」
厳しい顔になった麗華とは対照的に、ジェイはのんきなことを言う。
暁は相変わらず窓の外を見ている。まるで何事も起きていないかのように。
「麗華、あの車を追ってちょうだい」
こよりは麗華に言った。
「ええっ、ワタシたちはアキラを護送する重大任務中デスよ!?」
「大丈夫、すぐ済ませるわ。麗華姉、お願い!」
「……仕方ないわね」
麗華が窓を開け、車の上に赤いサイレンを取り付けた。
ウー!ウー!とサイレンの音が首都高に鳴り響く。
そして麗華が急ハンドルを切り、こよりたちの車も逃走車を追って首都高を逆走し始めた。
物凄いGがかかり、こよりとジェイの身体がドアに強くぶつかる。
「ちょ、ちょっと待ってクダサーイ! 日本の警察がこんなにワイルドなんて聞いてませんヨー!」
泣き言を言うジェイ。その横で暁は微動だにせず窓の外を眺めている。
麗華のハイヒールがアクセルを踏みぬき、車が急加速して逃走車を追う。
見事なドライビングテクニックで、周りの車には一切ぶつからない。
自分たちを追ってくる警察車両の存在に気付き、慌てたように逃走車もスピードを上げる。
「慌てたって無駄よ。私からは絶対に逃げられないんだから」
不敵に笑って、こよりは窓を開けて身を乗り出した。
ツインテールの片方を解く。途端、風になびいてぶわりと広がった長い髪から十本抜き、それを指にくくりつけ、逃走車に向かって放つ。
その瞬間、こよりの細い髪は鋼鉄の糸に姿を変え、長く長く伸び、意志を持った生き物のように逃走車に巻きついた。
ボンネットとトランクにガッチリと巻き付いた糸に引っ張られ、逃走車の動きが完全に止まる。
こよりたちの車も逆走を止めた。
「なっ、なんだこれっ」
「クソっ、この化け物じみた技、あの警察『エリクサー』か!」
「だったら――殺っちまうしかねぇ!」
逃走車の窓が開き、身を乗り出した犯人の一人がこよりに向けて銃を構える。
だが、こよりはフンと鼻を鳴らした。
「だから、無駄だってば」
犯人の構えた銃口から鉛が放たれる前に、こよりが再び指を動かす。
その瞬間、糸の巻き付いた逃走車のボンネット側が持ち上がり、ドゴンッッ!と音を立ててひっくり返った。
「ぐわああっ!」
「た、助けてくれ……! 死んじまう!」
犯人たちの悲鳴が聞こえてくる。
「今パトカーがこっちに向かってるから、逮捕されるまではそのままね」
こよりはフンと笑って、窓から乗り出した身体を車内へ戻す。
「こよりチャン、すごいデスねー! こんなにキュートなのにかなり実戦的な能力デース!」
「まぁね。私の能力は今見せた通り、自分の髪を自由自在な長さ、強度、太さの糸に変えられるというものよ。――私がこの任務に選ばれた理由、わかってもらえたかしら?」
解いたツインテールの片方を結び直しながら、こよりは後部座席に座る暁を見て、挑発的に笑う。
「たとえあなたが任務を放棄して逃げようとしても、私が必ず捕まえる。この能力でね」
だが、暁は相変わらず窓の外を向いたまま。
「――無理だな」
「……なんですって?」
「あんなの、避ければいいだけの話だ」
「っ、避けるですって!? 出来もしないこと言わないでよ!」
「まぁまぁ、二人ともケンカはダメでーす! あ、ほら、パトカーも来たことだし、ワタシたちは目的地に向かいマースよ!」
ジェイに宥められ、銀行強盗たちの引き渡しを終え、四人は目的地へと再び車を発進させた。
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