爆弾の訳
――いつから先輩とよく話すようになったか、今となってははっきりと覚えていない。専門種目も学部も違う、接点は同じ陸上部というくらい。
よく話すようになってから気づいたのは、先輩はわたしの本気についてはいつも肯定してくれるということ。何かと否定されがちなわたしだから、それは居心地がよかったんだと思う。
特に大きかったのは、夢を肯定してくれたことだった。昔から研究者になりたいと思っていた。けれど、両親を含めて周りの人はあまりいい顔はしてくれず、もっと少し普通に働けばいいじゃないかと言われることが多かった。当時、リケジョなんて言葉も出てき始めていたけど、まだまだ遠い世界の話のようだった。
そんな時に先輩はわたしを全肯定してくれた。それが自分でも驚くくらいストンと落ちて、夢に向かって頑張ることができた。
ある日、先輩が時々部室に現れているという情報を耳にしてからは、明確な目的があるわけではないものの、私は時間を見つけて部室に行くようにした。なかなか先輩と出会うことはなかったが、ある日、コーヒーメーカーが置いてあるのを見つけて、淹れてみることにした。
それがおいしいかどうかはわからなかったけど、自分がなぜ部室に来てコーヒーを淹れたかに思い当たった。わたしは先輩の気持ちを知ろうとしていた。その根底は、肯定してもらうだけでなく、これからも、もう少し傍にいてほしいという想いだった――
部室で受け取った手紙には、そういったことが遠回しに記されていた。それは、二条なりに正面からぶつけてきた思いの丈。でも、その手紙を読んでから二条と会う機会がないまま卒業の日を迎えていた。
昼過ぎから始まった卒業式が終わり、同期や後輩と一通り話してから部室に向かう。
示し合わせていたわけではないけど、そこには当然のように二条の姿があった。卒業式後の見慣れぬスーツ姿の見慣れた二丈の存在に少し安心する。
部室にはコーヒーの香りが広がっていた。
「お疲れ様です、先輩」
あの日とは逆に、二条がコーヒーを差し出してくる。サンキュ、と立ったまま口に運ぶと、確かに自分が淹れるコーヒーとは味が違う気がした。どちらがおいしいとかではなく、個性が違うといった感じ。詳しいことはよくわからないけど。
「この前、淹れ方を直接研究したはずなんでけどね」
「これもおいしいと思うけど……そうだ、これ」
カバンからラッピングされた洋菓子を取り出す。
「ブラウニーのお返し。ホワイトデーには遅くなったけど」
「……驚きました。きっと気づいてないんだろうなと思ってました」
目を丸くしている二条に苦笑する。その通り、正直気づいていなかった。ニブチンと言われ色々思い返してみて、やっと気づいた。少し言い訳をすると、ブラウニーをもらったのは14日ではなかったし、それがチョコレートという認識もなかった。
二条は洋菓子の包みをカバンにしまう。お茶菓子代わりでもいいかなと思ったけど、嬉しそうなその様子に黙ってコーヒーを再度口に運ぶ。
知らないうちに口の中がカラカラに渇いていた。
「それから――これ」
胸ポケットに潜ませていた封筒――あの日受け取ったものよりずっとシンプルな横封筒――を二条に差し出す。二条は緊張の面持ちで受け取り、俺の方を見る。俺が首を縦に振るのを見て、二条は慎重に封筒を開けた。中から出てきたのは、封筒に負けず劣らずシンプルなもの。
「向こうに行っても知り合いとかほとんどいないからさ、二条が来てくれると……助かる」
封筒に入れていたのは、1か月後の東京までの新幹線のチケット。4月から俺はその先で働いている。
「——センパイっ!」
あの日のピエロのように突然飛び込んできた二条を、すこし後ろによろめきながら受け止める。コーヒーとは違う香りが鼻のあたりをくすぐる。
「ちょっと回りくどくないですか?」
「……そうだな」
耳のすぐ横から聞こえてくる声。表情を見ることはできないが、唇を尖らせている様子が想像できる。
「でも、先輩っぽいです。ありがとうございます。嬉しいです、先輩がわたしを受け止めてくれて」
二条を支える手に少し力を籠める。この部室もコーヒーの香りも置いて行くことになるけど、この手元の暖かさは確かに傍で支えていこう。
――今後は爆弾を作らせなくていいように。
部室と珈琲。それから爆弾 粟生真泥 @midoron97
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