639 教育掛

 王宮においてはマリア王女の家庭教師して教授し、私塾においてはマリア王女の婿候補の教育に当たるサルンアフィア。そのサルンアフィアと国王ロマーノとの連絡役を担ったのは、子爵となった友人アーレントだった。アーレントは国王の侍従として、頻繁にサルンアフィアと会っている。


 二人が交わす内容は、当然ながら私塾で預かった貴族子弟とマリア王女の話。王国を取り囲む全ての懸案事項が消えた今、マリア王女の婿候補が、この時期の王国にとって最重要課題だった事が窺える。サルンアフィアが推していたのはトーレンス伯の嫡嗣ワルターという子弟。


 トーレンスというのは内大臣トーレンス侯の先祖だろう。飲み込みが早く、思慮深い。年齢は十九歳と十七歳となったマリア王女と釣り合いが取れるというのが、推す理由。次いで挙げたのが、シャウマン子爵家の次男ドメツク。才気煥発、応用力に優れており、包容力があるとサルンアフィアは評している。


 文章を読む限り、サルンアフィアとしてはこのドメツクを推したいのが見て取れるが、そう単純にはいかないようだ。ドメツクの年齢がマリア王女と同じ十八である事や、嫡嗣ではない上に、子爵家の次男というのが大きな課題だと指摘している。身分的な釣り合いが取りにくいと言いたいのだろう。


「その人、有名な人だよ」


 このドメツクという人物をトーマスは知っているというのである。ドラウト=シャウマン伯ドメツク。女帝マリアとその子カールの二代に渡って仕えた内大臣であるという。宰相のアルベルティ公ブラード、統帥府の長である大元帥ドナート侯テルメディットと合わせ「三府三臣」と称せられたと、トーマスが話す。


 俺はドナート侯爵家が昔、統帥府を抑えていた事に驚いた。今は中枢から離れているように見えるドナート侯。長い歴史の中で色々あったのだろう。女帝マリアとカールの時代に現在の宰相府、統帥府、内大臣府の三府が整備されて制度化されたのだと、トーマスが教えてくれた。トーマスがエレノの歴史に詳しいというのが、妙に新鮮だ。


 サルンアフィアは私塾設立の目的の一つに側近の育成を挙げていた。婿にならぬとも、婿候補からは外れた者を将来の側近とする。いわばマリア王女と婿を守り立てる役割を期待しているというところか。事実ドメツクは、その狙い通りに女帝マリアの有力側近となった。この辺り、サルンアフィアの目は確かなものである事を示したものであろう。


 マリア王女の婿候補の育成。王命を受けてサルンアフィアが取り組んていた為か、王宮内で事態が動いた。前国王ディマリエ一世の実子、サイファン王子が臣籍降下を願い出たのである。臣籍降下とは王族から臣下に降る事を指す。よって実質的には王位継承の放棄。これにはさしものサルンアフィアも驚いたようで、「青天の霹靂」と記している。


 外にあってはジニア公領がサルジニア公国として独立し国境線には結界が張られ、内にあってはモルト教が禁教となって壊滅。内と外の大きな問題が解決された今、現国王ロマーノに取って代わろうと思ったところで、名分そのものが喪失してしまったのである。サイファン王子が自力で王位を簒奪できるだけの力を持っていなかった事を示す話。


 また、論功行賞によって多数の者が貴族に列せられた事も大きな要因だろうと、サルンアフィアは指摘している。それまで八百家程度であった貴族家が、ロマーノの叙爵によって三千家近くにまで膨れ上がったというのだ。これは爵位の乱発と言っていいだろう。が、これによってサイファン王子を支持する貴族家の割合が大きく減少したのは間違いない。


 計算式で言うなら八百家のうち四百家がサイファン王子を支持しているならば半数支持と言えたかもしれないが、三千家中四百家なら二割にも満たない一割強。これでは「多数の貴族の支持」という名分は使えない。また新たに貴族となった者を勧誘したくとも、国王ロマーノから叙爵された「新貴族」が靡く筈もなく、文字通り八方塞がりの状態。


 そういった「新貴族」を引き入れようとすれば、以前からの貴族である「旧貴族」の反発は避けられない。黙ったまま動かなくとも内外の諸問題が解決された今、支持していた旧貴族達は黙って王子側から去っていく。世の中とは非情なもの。万事休すと悟ったサイファン王子は白旗を上げたというのが、サルンアフィアの見立てだった。


 その後、出てきた話はサルンアフィアの読みが正しかった事を示すものだった。サイファン王子は側近貴族からの説得を受け、臣籍降下を決意したという。これによってサイファン王子は、国王ロマーノよりトラニアスの南接地であるエルトラス地方を授けられ、エルトラス・アルービオ公爵家を創設。エルトラス公となったのである。


 しかし、この話にはこぼれ話があって、サイファン王子に臣籍降下を勧めた側近貴族というのが、高位伯爵家ルボターナのウェストウィック伯であるという記述には笑ってしまった。しかもサイファン王子改め、エルトラス公を説得したという功績によって、ウェストウィック家は侯爵位まで授けられたというのだ。


あの・・家、そんな事をやって陞爵しょうしゃくしたのか」


「百三十年前あったソントの戦いで、同じような事をやって陞爵しょうしゃくしているぞ」


「えっ!」


 トーマスにボルトン伯から聞いた事を話した。百三十年前に行われたソントの戦いで、反乱を起こした次男アンリの梯子を外した功績によって、公爵に陞爵しょうしゃくしたという件である。二回も王族に引導を渡したのかと、トーマスが呆れている。まぁ、これらの話を考えたら、貴族会議のあの暗躍もお家芸なのかも知れない。


 こうして国王ロマーノの三つの懸案は片付いた。後は次の王位継承を残すのみといった感じだが、ここで一つ重大な問題が発生した。一人娘のマリア王女がサルンアフィアの私塾で学ぶ貴族子弟に全く興味関心が無かったからである。王女をお茶会や狩りといった場を作って、婿候補達と幾度となく引き合わせたが所謂、塩対応。


 そういった行事に際しては、決まってマリア王女の機嫌が悪くなるらしい。困惑しているサルンアフィアの文章を読んで、最初の頃は思春期特有の反抗か「お姫様のわがまま・・・・」なのだろうと思っていたが、どうやらそうではないらしい。というのもマリア王女は活発な性格だが、父王からの言い付けはしっかりと守っていると書かれているからである。


 ではそんなマリア王女が、どうしてある意味反抗的な態度に出たのか? なんとマリア王女、家庭教師であるサルンアフィアに惚れ込んでしまっていたのである。なので婿候補など、当然ながら眼中には無かった。サルンアフィアが断っても幾度となくアタックしてくると、日記に悩みを打ち明けるようになっている。これにはサルンアフィアも困惑した。


「ちょっと待ってくれ。いいのか、それは」


「いい筈がないだろう。サルンアフィアだって想定外だよ」


 俺の脳裏に冬休みの一件がよぎる。トーマスに「クリスがアタックしに来るようなもの」だとは言えなかった。これまで国にまつわる困難な問題を次々と解決してきた策士であっても、マリア王女からの告白という、全く想定外の事態に困り果てたようである。そこでサルンアフィアは国王ロマーノに直訴し、教育掛の辞退を申し出た。


 ところが国王ロマーノがサルンアフィアの願いに首を縦に振らない。マリア王女がサルンアフィアからもっと学びたいと言っているというのである。ロマーノはサルンアフィアに「男親は娘に弱い。娘から懇請されては無下には出来ぬ」と言われ、ただただ引き下がるしかなかった。王女が自分に好意を持っているからとは、流石に言えなかったようだ。


 国王ロマーノから教育掛の辞退を却下され、どうすれば良いのかと嘆きを綴るサルンアフィア。国王ロマーノが言う男親の心境について、子がいないから分からないが、現実世界の友人と酒を酌み交わした際、娘の誕生を凄く喜んでいたのを思い出したと書いている。娘に愛羅と名付けた友人も同じ心境なのかと綴っているのを見て、俺は目が点になった。


「それって、グレンの・・・・・」


「ああ。俺の娘の名だ」


「えええええ!!!!!」


 トーマスが呆気に取られている。俺だって最初「愛羅」という字を見た時、一瞬、何の事か分からなくて文字に釘付けとなったからな。トーマスが動転しなかったのかと聞いてきたので、そりゃ混乱したよと答えた。どうしてサルンアフィアは愛羅の名を書いてるんだって。それが頭の中でグルグル回っているだけだったと。


「じゃあ、サルンアフィアはグレンの知り合い・・・・・」


「そうだ。大学時代の同級生だ」


「大学? 大学って、グレンが言ってた四つ目に行く学校か?」


「そうそう。小学、中学、高校、そして大学。学園は高校と大学の間みたいなものだ」


 このサルンアフィア学園。どうしてなのか理由は不明だが、五年制を採用している。なので、どちらかと言えば高専に近いのだが、それは置いておいてもいいだろう。話したところで説明するのが大変だし、俺も高専というものがイマイチ分からない。それに今は高専の話をしている場合じゃないからな。


 まぁトーマスは現実世界への関心が凄く強くて、この一年の間に色々と話したからなぁ。こんな話をしてもすぐに通るのは、エレノ世界ではトーマスぐらいじゃないか。しかし俺の知り合いで同級生という話の展開に、流石のトーマスも飲み込めきれていないようである。俺はその同級生について、トーマスに話した。


「相沢拓弥たくやと言うんだ。で、サルンアフィアの書いている彼女というのは、俺の嫁だよ」


「グレンの妻室!」


 トーマスは絶句している。そうなのだ。拓弥が付き合っていた彼女の中で、拓弥周りの友人と結婚したのは、俺が知る限り佳奈しかいないからな。友人が俺で、彼女が佳奈。そして愛羅は愛羅。これはもう確定だ。もし、俺が知らない彼女なり友人なりがいて、その夫婦の間に愛羅という娘が生まれていたのなら話は違うが、その可能性は限りなく低い。

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