638 私塾

 日記から推測するに、サルンアフィアは俺と違って現実世界へ帰る事に固執せず、エレノ世界で積極的に生きる選択を取ったようである。もし執着があったとすれば、それは別れた彼女くらいなものだろうか。これは、俺が佳奈に執着しているのと似た感覚なのかもしれないので、あまり偉そうには言えない。


 王国の懸案であるジニア公領の問題を解決し、モルト教が禁教になった後、サルンアフィアは王都トラニアスにある北西部の地を賜った。モルト教との戦いの功労によって、侯爵へと陞爵しょうしゃくしたレグニアーレ侯が構える屋敷の隣を拝領したのである。この話はつまり、今のサルンアフィア学園の地を取得した話。


 そしてレグニアーレ侯。今は元侯爵レグニアーレだが、そのレグニアーレ侯の屋敷というのは、俺が今持っている黒屋根の屋敷。サルンアフィアはこれまでの功労によって、貴族の屋敷が立ち並ぶ丘陵地帯の一角が与えられたのだ。サルンアフィアはここで貴族子弟の私塾を開く。


 この時期、内外の諸問題に一区切りがついたからか、国王ロマーノは大規模な論功行賞を実施した。日記によると新たに叙爵を受けた者は千人を超えるという大規模なもの。しかし一つ不可思議なところがある。サルンアフィアは貴族の邸宅が並ぶ地を与えられるような功労を挙げたにも関わらず、貴族に列せられなかったのだ。


 一体どうしてなのか? その理由を知ろうにも、何も書かれていないので分からない。ただ確実なのはサルンアフィアの叙爵が無かった事。後世、サルンアフィアが貴族であったなんて伝わっていないので、間違いのない話である。それはさておき論功行賞。まずレジとドルナを制圧し、モルト教を一層したアウストラリス侯を勲功第一として、公爵へとと陞爵しょうしゃく


 臣従したモーガン伯の帰属も安堵され、モーガン伯は正式にアウストラリス公の陪臣となった。またアウストラリス公は、南北に川を挟んで街があったレジとドルナを一つに纏めるように献策。これが採用されてレジドルナの街が成立した。元公爵アウストラリスや元伯爵モーガンとレジとの関係や、レジとドルナの従属関係はこの時からのものだった。


 次にジニアとの交渉の仲介を行ったクラウディス公には、新たにノルト地方を下賜。これを受けてクラウディス公は、家名をノルト=クラウディスと改めた。トーマスがこの時に今の名になったのかと感心している。またムファスタにおいてモルト教の勢力一掃に力を尽くした、アンドリュース伯とハルゼイ伯はレグニアーレ侯と同様に侯爵へと陞爵しょうしゃく


 また論功行賞はサルンアフィアの周辺、召し出された平民達にも及んでいる。自作農であるリスネアは男爵位とポアトの地を与えられポアト=リスネア男爵に、工人階級のエクスターナや魔塔から参じたキリヤートはそれぞれ子爵位を賜った。騎士階級出身のパッシャは国王に姓を懇請し、サルデバラードの名と子爵位を授けられたのである。


 何れも全て知っている貴族家。しかし前の学園長だったサルデバラード伯の先祖は、元をパッシャと言ってたのか。どうでもいい知識がまた増えてしまった。日記の中で頻繁に登場する同僚アーレントは子爵に、剣の使い手と書かれていたカインのご先祖スピアリットは男爵へと、それぞれが叙爵したという話を聞いたトーマスは頷いた。


「キリヤート伯爵家もスピアリット子爵家もこの時に貴族に叙せられたんだ。それにアーレントというのは、やはり典礼長のアーレント伯の御先祖だったね」


 トーマスは自分の予想通りだったと胸を張った。いやいや、それが当たっても何の得にもならないぞと俺が言うと、そうなんだけどねと苦笑している。そのトーマスが、しかしサルンアフィアは平民だよなと聞いてきた。サルンアフィアと同じように召し出された者達は皆貴族に列せられているのに、サルンアフィアは平民のまま。


 サルンアフィアは回りとの待遇の違いに不満はないのか? トーマスが不思議がっている。俺はこちらの人間じゃないので全く違和感が無かったのだが、言われてみればそうだよな。サルンアフィアも俺と同じ転生者だから貴族位に興味が無かったのだろうと話した。事実、サルンアフィアは国王ロマーノと叙爵を受けないという協議をしている。


「どうしてそこまで・・・・・」


「マリア王女の教育掛に引き受ける為だったそうだ」


「えっ、そんな理由で?」


「ああ。この役を受けるに当たって、貴族位がない方がいいって話になったらしい」


「どうして!」


 トーマスが驚いている。今は王族の周りも基本、貴族だからな。平民の方が都合がいいと言われたって違和感があるのは当然か。俺は二十一冊目の魔導書に書かれていた内容をトーマスに話した。それはジニア公領、モルト教の問題を解決した、国王ロマーノにとっての最後の懸案。王位継承問題と大きな関係があった。


 前国王ディマリエ一世の長子にして、ロマーノの義弟に当たるサイファン王子。王子がいないロマーノにとって、今のままではロマーノ亡き後、王位はサイファン王子が継承する事になる。これを阻止すべく、サルンアフィアは献策した。それが私塾の開設。王位継承者への対応策として、貴族子弟を教育する為の私塾を作ったというのである。


「それがこの学園の始まりなのか?」


「そうみたいだな」


 トーマスが意外そうな表情をするのも無理はない。王位継承と私塾にどんな関係があるのかと言うトーマスの指摘はもっとも。しかしサルンアフィアの魔導書によると、私塾の役割はロマーノの一人娘であるマリア王女の婿探しであると、ハッキリと書かれていたのである。マリア王女を結婚させて相手に王位を継承させる。これがサルンアフィアが考えた策だった。


「でもマリア陛下は御結婚なされては・・・・・」


「そうだよな。でもこの段階では結婚相手を探して、その相手を国王とするつもりだったみたいだ」


「かなり無茶な方法だよね」


「俺もそう思う」


 俺はトーマスに同意した。王位継承問題を解決するために年端もいかないマリア王女に婿を充てがうという策。マリア王女はこの時十五歳。サイファン王子の王位継承を阻止するには、このマリア王女に釣り合う相手の育成が急務となっていた。それを担ったのがサルンアフィアの私塾という訳だ。考えたサルンアフィアも国王ロマーノもある意味非情。


 しかしサイファン王子に王位継承を阻止する為にそこまでするかと思うのだが、当事者にとってはそこまでしなければならなかったのだろう。俺には理解できない世界である。サルンアフィアが書くにはこの任を行うには爵位が邪魔となるという。爵位を持てば貴族内の派閥争いに巻き込まれるのは確実だと記していた。


 よって爵位が無ければ、中立が保つ事が可能。中立となれば、現在サイファン王子に付いている貴族の子弟をも取り込む事が可能だと、私塾の意義について書いている。しかしサルンアフィアの私塾そのものが政争の道具だったとは。表現は悪いが、有力貴族達を御すべく王女マリアとの結婚話を餌として、貴族子弟を人質としたとも言えよう。


 王女マリアを使った貴族に対する統治術。妃をダシに使うという話はよくあるが、婿というのは稀ではないか。これは国王ロマーノ自身が婿であったという部分も作用にしていると、サルンアフィアは指摘している。我が子が未来の国王になるかもしれないという可能性は、貴族達にとって非常に魅力的な話であったと。


 我が子が国王になるかもしれないという王女マリアの婿話は、国王ロマーノと距離のある貴族達。特に前国王ディマリエ一世の実子である、サイファン王子の取り巻きの貴族達には効果的だったという。新たに貴族となった新貴族より、元より貴族である旧貴族の方が権威に執着すると、サルンアフィアは醒めた目で分析している。


 しかしどうしてサルンアフィアは、叙爵栄典に目もくれず、そこまでして国王ロマーノに尽くす仕事に没頭したのだろうか? この点、日記から窺い知る事が出来なかった。国王ロマーノとの関係について、日記からは特別親密である記述が見当たらなかったからである。代わりに日記から推測出来るのは、別れた元彼女のトラウマ。


 一方的に別れを告げて知り合いと付き合い、そのまま結婚して子を授かり、幸せな家庭生活を築いたという元彼女。しかし別れを切り出された側のサルンアフィアは打撃が大きかったのか、彼女が出来なかったようだ。どうも元彼女の事を考えないようにしようと、仕事の方に集中しているようだ。しかし別れたのなら、割り切ってもいいのではと思う。


 というのも、相手は戻ってこないのだろうから、そんなものを考えても仕方がない。サルンアフィアは出来る男なんだから、付き合う相手ぐらい、いくらでもいるだろう。俺なんかと違って、これだけ出来るヤツなら、普通にカネは稼げる筈だ。まぁ人間というもの、感情の生き物だから、仕事の出来る出来ないだけで、全てが決まる訳ではないのだから。


 サルンアフィアは貴族子弟を集めた私塾を営む傍ら、マリア王女の教育に当たったサルンアフィア。このマリア王女は活発な女性で剣術弓術槍術を修め、学問においてもしっかりと身につけており、サルンアフィアが最早王女に教えるところはないとの評。唯一サルンアフィアが教えたのが魔法で、マリア王女は持ち前の利発さで、どんどん習得した。


 おかげでマリア王女は炎、水、雷、風、氷といったあらゆる魔法を駆使できるようになったらしい。子孫であるクリスの炎や、アイリの氷に匹敵する、あるいはそれ以上の能力だったのだろうか。更に特筆すべき点としてサルンアフィアが挙げていたのは、聖属性魔法という稀有な魔法が使える持ち主であるという点。


 これはケルメス宗派の長老格ニベルーテル枢機卿も指摘していたもの。この聖属性魔法は、王女マリアとサルンアフィアが魔法でやり取りする中で「発見」したもので、これを王女マリアは非常に喜んだと書かれている。何か日記を見ると、この二人。教師と生徒というよりかは、師匠と弟子に近い関係だったようだ。

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