637 事実の改竄(かいざん)

 日記も十五冊目に入る。そんな話も冊数の半分を過ぎた辺りから、モルト教の記述が増えてきた。ジニア公領という、外の憂いが無くなった国王ロマーノは、モルト教という内なる問題に力を傾注し始めたようである。ジニア問題の解決に力を尽くしたサルンアフィアが、このモルト教との対決に駆り出されたのは、言うまでもないだろう。


 モルト教とアルービオ朝との対立。これにケルメス宗派を加えての対立については、ケルメス宗派の長老格、ニベルーテル枢機卿から色々と聞いた。しかしサルンアフィアの記述とは異なっている部分がある。いわゆる人身御供ひとみごくう、生贄の話だ。天に捧げる生贄を捧げて魔力を得るというモルト教の儀式。


 この儀式をアルービオ朝が禁じた事で対立が激化したとニベルーテル枢機卿から話を聞いたのだが、サルンアフィアの日記にはそういった話が記載されていない。代わりに書かれていたのは、貴族階級から平民階級に至る、分厚いモルト教の支持。前王朝ムバラージク朝以前から根付いていたモルト教が、多くの信徒を擁しているのは当たり前の話だった。


 ケルメス宗派がトラニアス、セシメル、モンセルといったノルデンの東部地域で強みを見せているのに対して、モルト教はレジとドルナ、そしてムファスタという西部を押さえていた。両者拮抗、がっぷり四つというこのような状況では、いくら国王ロマーノがモルト教への攻勢を強めようとも、事は容易に動かない。


 そこでサルンアフィアは一計を案ずる。市井にある情報を流したのだ。「モルト教はこの戦いの為に古代魔法を使おうとしているのでは」と。古代魔法。あの魔導教師オルスワードが決闘の際に用いた禁忌。王朝に対抗する為、異世界の扉を開ける術を用いて強力な魔法を展開しようとしていると、サルンアフィアは喧伝したのである。


 古代魔法はより強い魔術を展開すべく、自らの魂と引き換えに異世界の扉を開ける術。これによって魂を失った術家は『屍術師ネクロマンサー』や『呪術師チャーマー』となって、傀儡ぐぐつを操りながら、強力な魔法を唱える事が出来た。この話を耳にした国王ロマーノは、すぐさまモルト教へ古代魔法の禁止を通達。


 しかしモルト教は古代魔法を駆使した儀式など行っておらず、全く身に覚えがないとして、国王からの通達そのものの受け入れを拒否した。これを受け、王国とケルメス宗派は「モルト教による罪なき者への人身御供ひとみごくうを辞めさせよと、号令を全国に発令。「敵は本能寺にあり!」として、王国民に呼びかけたのだ。


「おいグレン、モルト教が無茶苦茶するから禁止されたって聞いたぞ。しかし今のお前の話じゃ、全く違うじゃないか。まるで王国側が難癖付けているようなもの」


 トーマスは驚きを隠せなかった。教えられた話とこれだけ違えば言いたくなるのも分かる。王位継承の話といい、このモルト教の話といい、伝えられている話と、サルンアフィアの魔導書に書かれている事がこうも違えば、戸惑うのは当然だろう。これはズレなんかで説明が付くような話ではない。


「計ったんだよ。明らかにな」


 俺は確信した、サルンアフィアが考えた奸計だと。ケルメス宗派の長老格、ニベルーテル枢機卿の話は歪曲された話だった。事実はモルト教にあらぬ濡れ衣を被せ、モルト教を討つ為の名分をでっち上げたというのが真相。しかも内容たるや「古代魔法を「使おう・・・」としている「のでは・・・」」と断定せず、憶測だけを流すという狡猾さ。


 嘘は言ってはいないと言い張る事が出来るからな。これは国王もグルだ。やり方がエゲツない。それらしい名分が欲しい国王と、名分らしきものを作ったサルンアフィア。二人にとって必要だったのだろうが、しかし酷いものである。俺から見れば、どう見ても悪と悪のコラボレーションにしか見えない。モルト教の連中には正直、同情を禁じえなかった。


 このような状況下、攻勢を強める王国とケルメス宗派の前に、当然ながらモルト教は劣勢に立たされた。その優劣がハッキリと出たのはレジを失った一件。これはアーレントをして「山が動いた」と言わしめるぐらい、重要な転機だったようである。王国北西部の拠点だったレジをモルト教はどうして失ってしまったのか?


 それはレジ近郊で抵抗していたモルト教側の有力貴族で、指導的地位にあったモーガン伯という人物が、アウストラリス侯の説得を容れて臣従。モルト教から離脱したのである。モーガン伯というのは、あの元公爵アウストラリスの影と呼ばれ、衛星と言われたモーガン伯の先祖か。もしそうだとすれば、この時に陪臣となったのだろう。


 実はモーガン伯。陪臣なのに二人の陪臣を抱えているという珍しい貴族だった。だが、元は独立した直臣だったとしたら、合点がいく。この時に抱えていた陪臣ごとアウストラリス侯に臣従したと考えれば、陪臣なのに陪臣がいるという謎も解明される。しかしまぁ、今の時代の謎をサルンアフィアの魔導書で明らかになるとは思わなかった。


 レジにおける指導的貴族を失ったモルト教から、レジ周辺の貴族達が次々と離れ、それと共に貴族達の所領にいる信徒たちも距離を取り始める。そして最終的にはレジの街そのものがモルト教の影響から離脱。レジを掌握したアウストラリス侯は、そのまま川を挟んで南にあるドルナに攻勢をかけ、モルト教から「解放」。


 これがモルト教の劣勢を決定づけた。サルンアフィアはアウストラリス侯の活躍を「値千金の活躍」と固く評価。ロマーノのアウストラリスへの信頼は不動のものとなったと記している。これに勢い付いた王国側は、モルト教の信徒を次々と切り崩し、徐々に包囲網を狭めていく。そして遂にムファスタ市中へと追い詰めるに至ったのである。


 このムファスタへの包囲網に重要な役割を果たしたのがアンドリュース、レグニアーレ、ハルゼイのムファスタ周辺の三伯。この三人の伯爵の積極的な動きによって、迅速にモルト教を追い詰める事が出来たと、サルンアフィアは激賞した。やがてモルト教の総本山である本能寺もこの三伯によって制圧され、以後モルト教は禁教と定められた。


「・・・・・こんなもの公開できないぞ」


 トーマスが呟いた。今、伝えられている話とサルンアフィアの記述がかけ離れているからだろう。一致しているのモルト教の結末のみ。この部分は、ニベルーテル枢機卿の話とも同じ。モルト教の聖職者には、犯罪者の刻印である「八星十字」のワッペンを付ける事が義務付けられ、モルト教を最後まで支えた商人階級は低き身分に落とされたと。


「合っているのは最後だけで、途中の流れがあまりにも違い過ぎる。こんなもの知らせたら絶対に混乱するぞ」


 トーマスが言うように結果こそ一致しているが、モルト教とアルービオ朝との対立から禁教に至るその過程については、全く話が違っている。俺は「サルンアフィアが書いてあるのが事実だったらな」と予防線を張ったが、トーマスはもしもこの内容を公開したら、多くの人はサルンアフィアの魔導書に書かれている方を信じるだろうと指摘した。


「誰も見たことがない、門外不出の書だしね。マリア陛下の御命令で厳重に保管されていたのだから、そちらの方を信じてしまうよ」


「そうなったら、皆どうするんだろう」


「・・・・・分からない。分からないけど、どうしてこんなにも違うのだ?」


「決まっているじゃないか。王朝やケルメス宗派にとって都合がいいからだよ」


「グレン・・・・・ それは」


改竄かいざんしたんだ。全ての罪をモルト教に被せた。そうすりゃ、全ては解決」


「!!!!!」


 俺の説明にトーマスは絶句している。誰しも都合が悪いものを隠したい。だから隠そうとする。まして王のような大きな力を持つ者なら強い力でそれが出来る。国王ロマーノはそれを行った。だからサルンアフィアの話と、授業やニベルーテル枢機卿の話が大きなズレが生じたのである。違っている。かくて王朝の陰謀は隠されたという訳だ。


 その一端を担ったのがサルンアフィアであるのは、日記を見る限り、もはや疑いようのない事実。少なくとも大魔導師らしい仕事をしたと思われるのは、サルジニアとノルデンの国境線に結界を現出させたくらいなもの。後は交渉と工作しかやっていないような感じである。これでは大魔術師ではなく、単なるノルデン王国のエージェントと言っていい。


 しかもこのエージェント。明らかに転生者であるにも関わらず、現実世界へ帰る方法を中々探ろうとしているように感じない。たまに書かれる元彼女の話があるには、あるが。現実世界へ帰ろうと血眼になっている素振りが全く見えないのだ。自分の裁量で色々手を出せる筈なのに、何故かそういった動きが全くないのも気にかかる。


 例えばモルト教の総本山である本能寺から教典を運び出した際、これを引き取る立場の人間であったにも関わらず、閲覧すらしていないのだから。この教典、ケルメス宗派が欲しがったというが、結局は戦利品として王国側が収蔵する事になった。国王ロマーノの御宸意しんいが強く働いたのだと、アーレントからの伝聞として書いている。


 モルト教が敗北した証が必要であったのだろうとサルンアフィアは推測しているのだが、その教典には現実世界へ帰る術が書かれていたかもしれないのに、どうしてそこまで無関心なのかが理解し難い。サルンアフィアは現実世界へ帰ろうという欲求が全くないのか? これについてはトーマスも同じ違和感を抱いたようだ。


「グレンと違って、向こうの世界に帰ろうなんて思っていないようだね」


「そうなんだよ。サルンアフィアは現実世界に興味がないみたいな感じなんだよな」


「話を聞いていて、俺もそう思うよ」


 トーマスも首を傾げている。普通、突然違う世界に飛ばされたなら、元の世界に帰りたいと思うのが人間ではないか。しかもこのエレノ世界はゲームの世界。何から何まで全てがおかしい、この世界から脱したいと思うのが人間だと思うのだが・・・・・ 帰りたくて、色々ともがいている俺と、サルンアフィアの感覚は大きく違う。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る