636 ポケベルを鳴らされて

 サルンアフィアが現実世界にいた時、付き合っていた彼女からポケベルで別れを告げられたという話。ポケベルの意味が分からないトーマスにあれこれ説明したら、そんなやり方が許されるのかと唖然としている。しかし許されるも何も、サルンアフィアの彼女がそうやって別れを告げちゃったんだから、これはもうどうしようもない。


「サルンアフィアの性格が悪いから、相手もそうやったんじゃないか?」


「えっ?」


 トーマスの斜め上過ぎる分析に、俺は目が点になった。曰く当家、即ちクラウディス家に対して、無礼な物言い。そのような性格を相手が見透かして、そんな別れ方をしたのではないかというのである。サルンアフィアが捻くれているから、彼女の方がサッサと縁を切ったのだと。いやぁ、トーマスよ。お主、中々根に持つタイプだな。


「しかし、メールというのがない時代なんて・・・・・ グレンの話とは少し違うよね」


「だって、俺が若い頃の話だからな。メールなんかが本格的に普及したのって、俺が社会に出てからだぞ。ポケベルなんかは学生の時だ」


「って事は、サルンアフィアの話って、グレンの若い頃の話?」


「まぁ、そういう事になるな。サルンアフィアとは同世代だよ。俺はおじさんになってこっちに来たが、サルンアフィアは若い頃にこちらへ来た。だって話が若いもんな」


 そう言ってトーマスの言葉を肯定した瞬間、「はっ」とした。その瞬間、とんでもない事実に気付いたからだ。社会に出て間がない段階でサルンアフィアがエレノ世界に来たのであれば、時系列から考えて二十世紀の段階で転生した形。しかし乙女ゲーム『エレノオーレ!』が発売されたのは、愛羅が中学生から高校生の間、つまり二十一世紀に入ってから。


 なのでサルンアフィアは『エレノオーレ!』が発売されるよりも前に転生した事になるのだ。つまりサルンアフィアは『エレノオーレ!』が出来るよりもはるか以前に、エレノ世界へ転生した。卵が先か、鶏が先か論どころの話ではない。乙女ゲーム『エレノオーレ!』の影も形もないのにゲーム世界はあった。一体どうなっているのだ、これは。


 実にとんでもない矛盾。いくら傍若無人なエレノ製作者であっても、ゲームシナリオが欠片もない段階から、このゲーム世界を創り出すなんて無茶は流石に出来ないだろう。しかし一体、このエレノ世界とはなんなのか。知れば知るほど不可解な世界。まさかサルンアフィアの魔導書を読んで、エレノ世界のパラドックスに気付くなんて思いもしなかった。


 本当に知れば知る程、考えれば考える程、本当におかしな世界。こちらの頭がおかしくなってくる。俺からすれば、この世界の存在自体がオーパーツのようなものだ。よくもまぁ、こんな世界を創り出してくれたもの。俺もサルンアフィアも本当に一方的な被害者。サルンアフィアが召し出されて、仕事に没頭する理由もよく分かる。


 更に日記を読み進めていくと、仕事が忙しくなったのか、日付の間隔が以前に比べて広がるようになってきた。そんな中で書かれていたのは当時のノルデン貴族、特に高位家についての記述。これはジニア公領との交渉を成功裡に終えたサルンアフィアが、貴族達との関わりのある仕事を行うようになったからだろう。


 かくいう俺も『金融ギルド』の立ち上げやクリスとの関わりの中で、貴族に関する情報は必要不可欠なものとなっていったので、サルンアフィアの立ち位置の変化というのは理解できる。ノルデンにおいて、大きな仕事をする事になれば、貴族との関わりは避けては通れない。なのでサルンアフィアも必要性に迫られたのだ。


 サルンアフィアの記述によれば、前王朝ムバラージク朝の末期。ノルデンにはアルービオ、クラウディス、アルベルティ、エルベール、ジニアという五つの公爵家が存在していたという。現在、貴族派第二派閥を率いる盟主、エルベール公爵家の名も見える。エルベール公爵家が古い公爵家だとは聞いた事があったが、それは本当の話だった。


 アルービオ公爵家は新王朝を開く一方、ジニア公爵家は自立し、サルジニア公国として独立した。アルベルティ公爵家に関しては、当代が宰相として国王ロマーノをよく輔弼していると、サルンアフィアは何度も書いている。アルベルティ公爵家はソントの戦いが起こる百三十年前まで、何人もの宰相を送り出したという有力貴族。


 サルンアフィアが高い評価を下しているアルベルティ公とは対照的だったのはクラウディス公とエルベール公。残ったのは何を考えているのか分からないクラウディスに対して、毒にも薬にもならないエルベールと書かれていたので、思わず吹き出してしまった。どうやらエルベール公爵家の位置付けは何も変わっていないようである。


 この話のくだりについて、トーマスは何も言わなかった。というより、サルンアフィアの書くクラウディス家の話なぞ、最早聞くに値しないと決め込んでしまったようである。俺の話にトーマスが黙って頷いているのを見た俺は、魔導書に書かれていた貴族家の話を続けた。公爵家に引き続いて書かれていたのは侯爵家について。


 ムバラージク朝末期の侯爵家はライス=リヒシャー、ドナート、アウストラリス、ラメーナ、トルファーヌ、プシャールの六家。この中で現在残っている家はドナート侯爵家。プシャールはエルベール派に属するホルン=プシャール侯爵家の事だろうか。それ以上に驚きだったのはアウストラリスが侯爵家だったという点。


 アウストラリス家は、いつ公爵家となったのだ? 少なくともサルンアフィアが生きていた時代よりも後であるのは間違いない。因みに侯爵家筆頭として先頭に記されているライス=リヒシャー家は、アルービオとの王位争奪戦に破れて没落し、家名を失ったと書かれている。結果として、国王ロマーノの時代は三公爵、五侯爵の時代となっていた。


 続いて高位伯爵家ルボターナ。当然ながらその筆頭としてボルトンの名が先頭。これは今も昔も変わらない。ところが後の名前が微妙に違う。アルヒデーゼ、アンドリュース、トミタラット、カーライル、トーレンス、ステッセン、ウェストウィック。アンドリュース家とウェストウィック家が高位伯爵家ルボターナだったのは意外な事実。


 後、リュクサンブールやシェアドーラ、シュミットの名前がない。どうやら三家は後世になって、高位伯爵家ルボターナに列したようである。また当時の貴族数はおよそ八百家だと書かれており、今と比べて随分少ないのも気掛かりな部分。これより後の時代に増えたのだろうが、どうしてその四倍以上に増えてしまったのかは謎である。


 それはそうと、サルンアフィアも書くのに慣れてきたのか、現実世界の話が以前に比べて出てくるようになった。ただ、その話で大きなウェイトを占めているのが失恋話。一方的に別れを告げられた元彼女が程なく結婚したとか、子供が出来たとか、そういった話である。そりゃ、誰だって結婚もするだろうし、子供も出来るだろう。


「グレン。サルンアフィアって、かなり粘着質じゃないか?」


「ああ、それは言えている」


 俺の話を黙って聞いていたトーマスが言ったので、俺も同意をした。サルンアフィアという人物。有能な一方、未練がましいというか、中々執念深い性格のようだ。この別れた元彼女とよりを戻そうと、色々と手立てを打っていたところに新しい彼氏が出来たと嘆いている。「あいつと付き合った」とか書いてあるので、新しい彼氏というのはサルンアフィアの知り合いのようである。


 しかも相手が知り合いだから手が出しにくいといった話が書かれているので、元彼女の新しい彼氏はサルンアフィアの友人なのは確実だ。この友人というのが、元彼女を掻っ攫った相手だというのなら、ショックも大きいか。書いてあるのは別れを告げてきた彼女の話ばかり。サルンアフィアは突然の別れ話に、どうも釈然としていないようだ。


「サルンアフィアはその友人の事をどう思っているんだろう」


「分からないけど、恨んでいるみたいな事は書いてなかったな。それに友人関係のままだったようだし」


「だったらさぁ。もう別れたんだから、その友人に譲ったって思えばいいだよ。終わったものをどうこう言ったって仕方がないだろ」


 確かにな。それは言えるかもしれない。なのでトーマスに聞いてみた。


「じゃあシャロンと別れて、シャロンが俺とくっついてしまったら、潔く引けるか?」


「えっ!」


 俺からの質問が予想外だったらしく、呆気に取られている。


「い、いや。それは・・・・・」


「まぁ、サルンアフィアも同じ心境なんだろうなぁ」


「・・・・・」


 トーマスは沈黙してしまった。自分に置き換えたとき、サルンアフィアの事をあれこれ言えないと思ったのだろう。自分に置き換えて考えろとは誰しも言うが、実際にそうするのは難しい。言っている本人でさえも中々出来ないのだから、難しいのは当然か。しかし読んでいて思ったのだが、これは元彼女の方が普通に強いのではないかと思う。


 というのも相手は授かり婚。つまり、できちゃった婚で新しい彼氏とゴールしたらしいので、サルンアフィアには全く未練が無かったのだろう。スパッと相手を切る女と、その女に執着する男という、この構図。これはどう見ても圧倒的に元彼女の方が優位に立っている。これではとてもじゃないが、よりを戻すようなドラマ的展開は望めないだろう。


 しかし読んでいて思ったのだが、この元彼女というのは、まるで佳奈のような女だ。こうだと決めたら、一目散にひた走ってやり通すのが佳奈。よく頑張って裕介と愛羅を育ててくれた。俺は佳奈としか付き合った事がないので、他の女についてはよく分からないが、元来女というものは強いものである。アイリやクリスを見ていると、そう思う。


 最初はサルンアフィアの嘆きを読んでただただ苦笑しただけだったが、何度も同じように「どうして別れたのか」なんて書き綴られているのを見ると、こちらの方が恥ずかしくなってくる。ジニア公領の一件を見る限り、サルンアフィアはかなりの策士のようなのだが、女の事になるとそうした能力は雲散霧消してしまうらしい。

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