635 ジニア公領

 ノルデン王国の王朝交代期に自立したジニア公。この帰属を巡って、王国を継承したアルービオ朝では大きな問題となっていたのだが、国王ロマーノに召し出されたサルンアフィアは、この問題をジニア側と交渉するという、平和的解決を提案。ロマーノはこの献策を受け入れた。


 採用された理由についてサルンアフィアは書き記してはいないが、凡そ見当が付く。伝統的に貴族の所領が多数を占めるノルデン王国。いくら武断に傾こうとも、それを行う兵力なんてある筈がない。今のノルデンの状況を見れば明らかな話。なので平和的解決、即ち交渉による解決というサルンアフィアの案が用いられたのは当然の成り行き。


 かくてジニア交渉全権となったサルンアフィア。しかしジニアとの交渉は難航した。何と言っても先ず会えない。貴族ではない者と交渉はしないと相手にしなかったのだ。要はジニア側が交渉を拒否したのである。サルンアフィアは地主階級の出身。俺よりも身分は高い。しかしながら貴族ではない訳で、これを断る名分とした形。


 これにはサルンアフィアも立腹したようで、これはジニア側が交渉を拒否する為の名分に過ぎないと書き殴った。全て日本語で書かれているので、その心情がより伝わってくる。しかしそれにしても達筆だ。日記に当たるだけでは足りずに、アーレントと共にやけ酒をあおったと、珍しく日常について書いている程なので、その怒りは相当なもの。


 ただ、そんな中でもサルンアフィアは状況を俯瞰ふかんできるだけの理性は保っていた。ジニア側の思惑について、ノルデン王国が幾つかの火種を抱えているので、待てば待つ程有利になる考えていると分析している。ただ、これではノルデン王国が不利なまま。サルンアフィアが献策した交渉という話は、まさに出鼻を挫かれた形となった。


 しかし第一撃が不発に終わろうとも、サルンアフィアは怯まなかった。交渉を実現させる為に一策を講じたのである。その策とは、ジニア公領の西北にあるスラバティ王国と、東にあるドメクリア王国にジニア公領の放棄を通知したのだ。通知に走ったのはアーレント。その内容は「ジニアの地、ノルデンの地に在らず」というもの。


 これを目にした両国はそれぞれ兵を発し、それぞれ臣従を求めてジニア公領へ軍事的圧力を強めたのである。これによってジニア公領内は一気に緊迫。軍事的な衝突が起こり得る状況に陥った。サルンアフィアの通知がどうして、そうした事態を引き起こしたのか。それは周辺諸国にとって、ジニア公領がノルデン王国領という認識だったからである。


 ところがサルンアフィアは、それを根底から覆しにかかった。国王ロマーノがジニア公に臣従を求めていなかったのを知っていたサルンアフィアが、先に独立容認のカードを切ったのである。但し、カードを切った相手が交渉相手である筈のジニア側にではなく、スラバティ、ドメクリアという周辺諸国であったが為に引き起こされた事態。


 「そこはウチの土地じゃありません」なんて言ってしまったら、「俺の土地になるかも」と、わんさか人が集まってくるに決まっている。ジニア側はこの事態を受けて、急遽サルンアフィアとの交渉の受け入れを決断。三方から責められたら、ジニアが持たないという訳だ。そしてこの交渉の仲介を行ったのは、これまで一切動かなかったクラウディス公。


 クラウディス公はここ一番で動いたのだ。流石はクリスの御先祖様、動く見極めがよく出来ている。しかしサルンアフィアは、ジニア公が自分に直接申し入れて来なかった事が不服だったようで不満を魔導書に書き殴った。サルンアフィアは「クラウディス、煮ても焼いても食えない者」と記していたのだが、このくだりにトーマスが激怒した。


「サルンアフィアは当家に怨みでもあるのか!」


「トーマス。これは三百年前の話だ」


「しかしだ。いくら大魔術師とは言っても、主が尽力して協議が実現したのに無礼だろう。こんなものは御嬢様にお知らせなんてできない!」


 忠誠心の高いトーマスは、サルンアフィアのクラウディス家への露骨な物言いに対し、不快感を露わにした。俺もここまでクラウディス家とサルンアフィアの相性が悪いなんて思っても見なかったよ。というかそんな話、想定すらしていない。しかしサルンアフィア。公爵家と相性のいい俺とは、全く対照的な人物である。


 今の話じゃないからとトーマスをなだめたものの、やはり主家に対して侮辱的とも取れる、サルンアフィアの書き方への怒りは収まらないようだ。やはりクリスの前で言わなくて正解だった。恐らくはトーマスが怒ってしまって、話が続けられなかっただろう。普段は大人しいのだが、クリス絡みだとすぐに怒髪天になるからな、トーマス。


 俺はトーマスが落ち着いたのを見計らってから話そうと思った。頭に血が上っている状態で話しても、全く意味が無いからである。暫くしてクールダウンが出来たのか、待っている俺に気付いたトーマスは、申し訳なさそうな顔をした。まぁ、いつもの事だから気にする必要はないと慰める俺。するとトーマスは苦笑してしまった。


 トーマスが心を落ち着けたところで、俺は話を再開した。クラウディス公によるジニア公との仲介に、露骨な不快感を示したサルンアフィアだったが、交渉自体を取りやめにはしなかった。寧ろ始まった交渉を巧みに操り、終始サルンアフィアのペースで話を進めたようである。


 だったら、仲介したクラウディス公へ感謝ぐらいしろよとは思ったが、本当に相性が合わなかったのだろう。クラウディス公への労いの言葉は全く書かれていなかった。その交渉そのものは順調に進んだと書いている。ジニア公が王への即位を行わない事や、ノルデン側はジニアの独立を承認する事。


 そしてノルデン王国とジニア公領の境界線を国境線とする事や、両国間へ人が容易に行き交い出来ないよう、一箇所のゲートを除いて結界を張る等で合意を見た。これを受けてジニア公は独立を正式に宣言。この事態に、それまでジニア公領へ圧力を加えていたスラバティ王国とドメクリア王国は、軍事的攻勢を弱めた。


 これは、それまで頑なだったノルデンがジニア公領を放棄するどころか、一転して独立を認めた事によるもの。サルジニア公国として自立するという新たな局面に、二つの王国は趨勢を見極める為、様子見に転じたのだとサルンアフィアは指摘したのである。この状況を作り出したサルンアフィア、相当な切れ者だと思う。


 ジニア公領との交渉成立後、サルンアフィアは国境線に例の結界を発動させた。これはサルンアフィアが記すところによれば、思念という力を使い、魔道士達の力を一にして、術式を唱えたものであるらしい。日本語でそう書かれているが、それが意味するものが何なのかサッパリだ。第一、多人数の魔法を纏めるなんて話、聞いた事がないのだから。


 確か学園の図書館の本にも、昔の方が魔力が強かった云々と書かれていた。だから今も消えないサルジニアとノルデンとの間にある結界が持続しているのだと思っていたが、それだけでは無かったようである。しかし、複数人数の魔法を一人の魔術師が制御するなんて魔法なんて存在するのか。今のエレノ世界では失われた術式なのは間違いない。


 サルジニア公国が成立し、国境線が平和裏に決まった事で、サルンアフィアは安心したのだろうか。七冊目にかかった頃、現実世界での身の上話がしばしば見受けられるようになった。覚えたい仕事がある時にというボヤキが書かれていたりするので、どうやらサルンアフィアは社会に出て間もない、駆け出しの青年のようだ。


 中でも俺が苦笑したのは失恋話。大学の頃に付き合ってきた彼女から、一方的に別れを告げられたのが堪えたらしく、その事について取り留めもなく書かれていた。書かれていた文章を読むにその彼女、サルンアフィアに何の前触れも無く、ポケベルでいきなり「三四七〇」を通知してきたらしい。その女、中々の猛者じゃないか。


 ポケベルという辺りが何とも時代を感じさせるが、俺もその世代にもろ被りなので、「三四七〇」の意味ぐらい知っている。ポケベルの「三四七〇」とは「さよなら」という意味。せめて電話で言ってやれよと思うが、それが相手の女の流儀なのだろう。俺は付き合った相手が佳奈しかいないので、別れを告げられた事がない。


 だからサルンアフィアの気持ちは全く分からないが、それにしてもポケベルで別れを告げるなんて・・・・ 彼女の方もせめて「八一八一」、「バイバイ」ぐらいで止めてやれよと思った。というか、ポケベルで別れを告げて来るかって話。トーマスがポケベルの話を聞いて、それはメールとやらの一種かと尋ねてきた。


「いやいや、数字しか送られないんだ。固有の番号を通知して、それを見て電話をかけて貰うんだよ」


「電話って、前に言っていた魔装具と似た道具か?」


「ああ。番号を入れなくても、思っただけで相手に通じる魔装具の方がずっと便利だけどな」


 そうなのだ。電話は相手の番号を入れないと通話が出来ない。これは携帯に変わっても一緒。登録は出来るようになったので番号を覚えなくて良くなったが、それでも相手を選ばなきゃ繋がらないのだから。ライン通話も相手をタップしないと掛けられない時点で、携帯と変わらんよな。ところが魔装具は、思った相手に繋がるシステム。


 これは非常に便利だ。難点は高くて利用者が少なすぎる点なのだが、それを差っ引いても現実世界の技術を余裕超えするシステムだと思う。それはそうとポケベルの話。俺はメールや携帯が無かった時代に、電話番号を一方的に通知する機器がポケベルだったと、トーマスに教えた。電話番号が通知できるので、数字が相手に送られる。


 この数字だけしか使えない、通知システムを利用した語呂合わせが流行った。サルンアフィアの彼女も、それを使って語呂合わせした数字を送ったと。彼女は「さよなら」という意味の「三四七〇」という数字を使い、サルンアフィアへ一方的に別れを通知したという。なんてそっけない態度かと思うのだが、別れるとはそんなものなのなのかもしれない。

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