632 思念

 俺が王宮図書館を出たのは既に夕方。俺達が乗っている馬車を警備する為、ノルト=クラウディス公爵家の衛士や『常在戦場』の隊士らが前後に乗り込んだ馬車の車列は夕焼けの中を一路学園へと走っている。全二十七冊、サルンアフィアの魔導書を読み終えた俺の心は、一言で言えば感無量。晴れ晴れとした気持ちだった。


「いかがでしたか」


 同乗しているクリスが聞いてきた。今日一日、俺がサルンアフィアの魔導書を読む為に図書館内で待っていてくれたクリス。俺が立入禁止領域から戻ってきた後も、言葉を交わす事なく馬車に乗り込んだ。表情を見るに、内心首尾について聞きたくて仕方がなかったのだろう。ただ人がいるところでは聞けないので、今まで我慢していたようである。


「サルンアフィアは帰ったよ」


「えっ?」

「えっ?」

「えっ?」


 唐突だったのかクリスだけじゃなく、同乗しているトーマスもシャロンも一斉に声を上げた。全員、まさかそんな答えが返ってくるとは思わなかったのだろう。誰しも驚きを隠せなかった。皆それぞれ、きょろきょろと顔を見合わせている。暫くしてトーマスが聞いてきた。


「グレンの世界にか?」


「ああ、現実世界にだ」


「じゃあ、グレンの言う通り、やっぱり転生者・・・・・」


「転生者だ」


 断言した俺にクリスが尋ねてくる。


「では、大魔導師サルンアフィアが消えたのは・・・・・」


「帰ったからだ。現実世界に」


「ですから突然消えたのですね」


 シャロンが納得がいったという表情を見せた。サルンアフィア学園の創設者である大魔導師サルンアフィアが忽然と消えたのは、誰しもが知っている話。だが、どうして消えたのかについては全く分かっていなかった。俺は現実世界に帰ったのではないかと推測していたのだが、正しくその通り。見事ジャストミートしていたのである。


「どうして帰ったと分かったのです?」


「そう書いてあったんだよ。「達成」が行われたらしい」


「それは・・・・・」


 戸惑うクリスに、「達成」の意味を話す。現実世界とエレノ世界が繋がるには「達成」が行われなければならないと、ケルメス宗派の創始者であるジョセッペ・ケルメスは記していた。この「達成」が行われると、昼間にも関わらず夕焼けのように空が真っ赤に染まるという。そしてサルンアフィアもそれを見たと書いていた。


「だから、日記も「現実世界に帰る」と書いたところで終わっていたのさ」


「日記?」


「ああ。『サルンアフィアの魔導書』ってのは、実はサルンアフィアの日記だったんだよ」


「ええーっ!」

「ええーっ!」

「ええーっ!」


 まさかまさかの展開だったからだろう。クリスに聞かれたのでそう答えると、皆が唖然とした。王宮図書館の奥の奥に恭しく収蔵し、門外不出の書として三百年以上保管されていた魔導書が、まさか日記だったなんて誰が思うのかって話だもんな。皆が驚くのも無理はない。


「これは言えないよなぁ、魔導書が日記だったなんて」


「・・・・・そうですわね。王家の権威そのものが揺らぎかねませんわ」


「そこまでなのか!」


 その言葉に今度は俺の方が驚いた。女帝マリアがサルンアフィアの魔導書の収蔵を命じて設立された王宮図書館。クリスが言うには、魔導書の管理を名分にして設立されたのに、その魔導書が単なる日記だったら、何の為に厳重に保管をしていたのかという話になる。秘められた魔法や魔力について書かれた訳ではないとすれば、これは大事だと。


「『サルンアフィアの魔導書』は知られざる秘術が書かれた書物だと、皆様思われています。王家が保管所持為されておられる事も、ある意味権威の象徴です、ところがその魔導書が、日記だなんて知られてしまえば・・・・・」


 厳しい表情でそう話すクリス。小麦を巡る様々な騒動によって、多くの貴族が没落するという事態の中、そういった話が流布されれば、王国の権威を軽んじる風潮が起こりかねないと危惧した。持っていた秘密兵器は単なるハリボテ、実は単なる虚仮威こけおどしでございましたとなれば、今まで黙っていた者だって口を開くという事か。


「多くの貴族が身分を失ってしまった今、そのような話が出てしまえば、王国の威信が傷つき揺らぎかねません」


 威信が揺らぐ。失態により王室の藩屏たる貴族が没落した上に、王国が持っていた門外不出の魔導書も実は違いましたでは、民心が離れかねないというのである。しかし王都で発行されている各誌を見ると、王国の対応について概ね好意的に伝えられているように見えるが・・・・・


「それはあくまで表面おもてずらではありませんか。民の心の全てを伝えたものではありません」 


 クリスは強い懸念を示した。懸念というよりは怖れと表現した方がいいのかもしれない。宰相家の娘という立場から、王国の権威が揺らぐのを怖れているように感じた。そんなクリスの隣に座る黒髪の従者シャロンは、心配そうに主を見つめていた眼をこちらに向けてきた。そして魔術に関わる話が書かれていなかったのかと聞いてきたのである。


「そう言えば、思念がどうのこうのと書いていたな」


「思念?」


「ああ。何でも魔道士達の力を一つにする術式らしい。それを使ってサルジニア公国との国境線に結界を張ったらしいんだが・・・・・」


 シャロンに聞かれたので俺が話すと、クリスの目がパッと見開いた。


「その術式は如何なるものなのですか?」


「いやぁ、日本語で書かれているから、術式の表記は書いてなかったな・・・・・、なんでも、思念を使って、魔道士の力を纏めて結界を発動したって・・・・・」


「そ、そんな術式があったなんて!」


 驚いているクリスに、横にいたシャロンが問いかける。


「御嬢様、この話一つだけでも大きな意味があるのではありませんか。魔道士の力を一つに合わせるような術なんて私、初めて聞きましたから」


「え、ええ。シャロンの言う通りよ。私も初めて知りました。やはりサルンアフィアは大魔導師でしたわ」


「では、魔導書は単なる日記では・・・・・」


「ありません。魔導書としての価値そのものは損なわれませんわ。未知の術を使ったと記されているのですから」


 クリスの言葉に二人の従者が頷く。つまり術式は書かれていなくとも、サルジニアとの間に横たわるあの結界。「サルンアフィアの結界」について、たとえ術式は記されていなくとも、その発動方法について書かれているだけでも十分な価値があるという事か。だったら良かった。クリスが心配そうにする表情なんか見たくないからな。


「ですが、「思念」の術式が書かれていなかったというのは残念ですが・・・・・」


「書かれていても、俺が覚えて変えられないよ」


「それもそうですね」


 そう返すと、クリスがニコリと笑った。このエレノ世界の魔法というのは、術式を詠唱する事で発動する。俺が使える魔法なんか、補助魔法なので術式が短いのだが、火や氷、雷といった「属性魔法」の術式は長い上に難解。現実世界で言ったら古典に数学を合体させたようなもの。いや、ラテン語を物理的数式に表記したと言ったほうがいいか。


 何れにしろ俺は覚えても使えないので、俺はあらゆる書物の術式を鼻っから読みすらしなかった。サルンアフィアは日記を誰にも読まれたくは無かったからだろう。日々の出来事や忘備を日本語という暗号で書き留めていただけに過ぎず、だから魔道士達の力を一つに合わせる「思念」の術式なぞ、何処にも書かれていはいなかった。


 クリスは魔導書の中身が日記であっても、魔導書的な価値が損なわれないと安心したからだろう。その中身についてあれこれ聞いてきた。俺は「サルンアフィアの魔導書」が二十七冊あった事や、サルンアフィアが時の国王ロマーノに召し出され、王都トラニアスにやって来てからこの魔導書。いやこの日記を書き始めた事などを話す。


「その辺りは、伝えられている通りだったのですね」


 サルンアフィアが日記を書く経緯について聞いたクリスは、自分が知っている話と変わりが無いのを確認すると、安心した表情を見せた。そんな主とは対照的だったのはトーマス。サルンアフィアがいつの頃にこちらの世界にやって来たのかと、トーマスは聞いてきたのである。俺と転生者の話をする機会が多かったからか、クリスよりも前のめりだ。


「ああ。サルンアフィアが現実世界からやってきたのは十三歳の頃だそうだ。俺と一緒で、目が覚めたら突然ペルテナー・サルンアフィアになっていたらしい」


「やっぱり・・・・・」


「どうもお決まりのパターンみたいだな。数日間部屋に引き篭もっていたらしい。何だここは、って」


「グレンの話と同じですね」


 ある日突然、違う人間になっていたら、驚くのは当たり前ですよ。シャロンがそう言ってきた。以前、俺が話していた事を思い出してくれたようである。そうですわとクリスが同意し、その通りだよなとトーマスも後に続く。まぁ体験したヤツなら分かるんだが、自分の身に何が起こったのかサッパリ分からないからな、転生直後は。


「まぁ、サルンアフィアは違う世界に来たのという自覚して、エレノこの世界で生きていく決意を固めるようだがな。俺なんかとは違ってな」


 窓を見ると学園が見えてきた。車列は門を通って馬車溜まりに入る。この話の続きはまた後日という事で三人とは別れたが、俺は今日閲覧したサルンアフィアの魔導書。いや、日記の内容について、実は全く話していない。いや、話せなかったと言ったほうがいいだろう。それを話すにはあまりにも生々しい内容だったからである。


 特にクリスが聞けばどう思うのか。これは全く未知数。それに俺個人にとっても、話していいのか悪いのか分からない所が多々あった。なので、その話を皆に話すことが出来なかったのだ。なのでアイリやクリスにどう話せばいいのか、もう少し考えて頭を整理しないと話せない。日記に書かれていた内容は、本当にお腹がいっぱいになる話ばかりだった。

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