629 転換点

 戒厳令が解除されて、矢継ぎ早に発表されていく様々な政策。『週刊トラニアス』には、新たに二〇〇〇億ラントの国債が発行され、『金融ギルド』が引き受けた話が書かれていた。また、同時に緊急小麦融資支援で平民に貸し出された融資額一八〇〇億ラントが『金融ギルド』に引き渡された事も書かれており、事実上の「付け替え」であると解説されていた。


 緊急小麦融資支援は『金融ギルド』が各貸金業者に無利子融資を行い、貸金業者が五%の手数料を取って平民に融資。金利負担を王国が行う制度。つまり融資元が『金融ギルド』で融資先が貸金業者。それを王国が徳政令を出した為、そのまま放置しては融資を受けた貸金業者も、融資元である『金融ギルド』も大打撃を受けてしまう。


 なので徳政令の責任を持ち、融資全額を王国が支払うという形になったのである。その元手は国債。国債なので借金。その借金の担保というか、裏打ちは多くの貴族が返納したり、接収されたりした所領という構図。話は聞いていたが、こうやって記事になると、本当にやったのだと実感が湧いてくる。そして『週刊トラニアス』にはもう一つ記事が載っていた。


「王都都市整備庁総裁にドナート侯が任じられる」


 新設される王都都市整備庁の総裁にあのDIY貴族。ドナート侯が任命されたというのである。大暴動で大きく損壊した繁華街を中心とする再整備について、ドナート侯が提出した建白書が国王陛下の目に留まり、王都都市整備庁の設置が決まったのだという。以前ウィルゴットが話していた、ドナート候とのやり取りの件だな。


 不動産取引で強みのあるジェドラ商会から王都、特に歓楽街周辺の不動産動向について聞き出して、費用を算出。焼け落ちたカジノを始めとする歓楽街跡地に大きな幹線を通し、周辺の土地を買収し、乗合馬車を市街に引き込んでターミナルを作るというのがドナート侯の構想だった。この野心的なプラン書かれている建白書が採用されたというのだ。


 これはボルトン伯の進言の話から教育監部が設置された話と類似している。国王陛下が採用なされたという話はあくまで外部発表用に過ぎず、本当のところは別のライン。宰相閣下なり、内大臣トーレンス侯の意向なりで話が決まったのではないか。以前から感じている「あるシナリオに沿って話が進んでいる」という、その一環のようにも見える。


 具体的に指摘をするならば、従来の枠組み。国王派と宰相派がスクラムを組んで主導するという体制から、貴族会議開催の建議を巡る攻防の中で、国王派第一派閥のウェストウィック派が離脱をするような状況が生まれた。これに危機感を持った宰相派と国王派第二派閥のトーレンス派は、中間派に加え、ドナート派を取り込もうとしているのではないか。


 ドナート派は貴族派第五派閥ではあるものの、小麦特別融資の追証を巡って多くの貴族が爵位の返上や褫奪ちだつを受ける中、派閥を構成する貴族がそういったものを全く被っていなかった。その為、多くの貴族が爵位を失い、雲散霧消状態に陥っているバーデット派や、領袖が奪爵されたランドレス派よりも上位に立っていると囁かれている。


 小なれど高い結束力を誇るドナート派。その引き込みは、離脱したウェストウィック派の穴を睨んでのものなのは明らかな話。宰相閣下や内大臣のトーレンス侯は恐らく、エルベール公やボルトン伯、それにドナート侯といった派閥指導者クラスにポストを配分して取り込みを図り、貴族社会で新たな陣形を構築しようとしているのだろう。


 これは宰相派と国王派で王国を運営してきた、これまでの形態とは大きく異なる。だが俺は渦中にはなく、また貴族でもないので、こうした変化がどのような影響を及ぼすのかについては想像だに出来ない。現在、学園から外に出歩かないという、狭い世界での暮らしをしている俺。外部の窓口はザルツら家族と魔装具、そして封書に限られていた。


 俺にとって、今や外部とのやり取りの貴重な手段となっている封書。その封書がレジドルナより届いた。差出人はドルナの商人ドラフィル。エアリスが借りた「貸金のエスペロイズ」と、ドボナード卿が借りた「パーティル信用」から、それぞれ債権を買い取ったとの知らせだった。


 「貸金のエスペロイズ」は六八七五万三五四六ラント、「パーティル信用」は五九二万五六一二ラント、それぞれ掛かったとの事である。金利分があるので借りた金額よりも増えるのは当たり前。滞納分も含めた利子を取られた為に、本来よりも多く払わなければならなくなってしまった。


 これ一つ見ても、いかにやらかしが問題なのかが分かるというもの。ドラフィルの元にカネを届けに行ったパーラメントには、しっかりと一億ラントを持たせているので、ドラフィルへの謝礼分も含め問題なく渡せるだろう。これでリッチェル家の延焼は防げた。後はエアリスやドボナード卿をどうやって料理するかだけである。


 債権を無事に引き取った話は、学園図書館へレティが顔を出した時に伝えた。アイリが居ても大丈夫だったのは、レティがアイリに事情を話していたからである。俺はアイリに話すのはマズイと思っていたのだが、レティの方はそうではなかったようだ。俺の話をレティと一緒に聞いていたアイリは「良かったわ」と、我が事のように喜んでいた。


 あの日・・・・・ 自分を選ぶか、現実世界を選ぶかと俺に迫ってきたアイリ。俺は結論が出ている話をどうしていいのか分からず、久々に深酒をしてしまった。勝手な言い分なのは分かっているが、アイリとの関係性が壊れるのがイヤだったのである。嫌というより、耐えられなかった。学園へやってきて、ここまでやれたのはアイリのお陰。


 励ましてくれたり、助けてくれたり、そういうものでは無かったが、側にいてくれるだけで心強かった。こんな言葉は恥ずかしいが、俺にとってアイリは心のオアシスみたいなもので、いつも安らぎを与えてくれる存在。しかし、それももう終わりだな。俺は覚悟を決めた、というより諦めたのだが、意外な事に何の変化も無かったのである。


 もしかすると、俺が結論を口に出さなかったからかもしれない。次の日には普通に話をして、普通にピアノ部屋で演奏し、アイリは楽しそうに歌っていた。この前の休日には『スイーツ屋』に入り、アイリはパフェを堪能したのである。何も変わらない関係。実に不思議なのだが、おかしな事に俺は全く違和感を抱かなかった。


 結局。お互い、予定調和的に問題を棚上げしたような格好になった。俺の方は自覚しているが、アイリの方はどうか分からない。だが、そうでなければギクシャクするに決まっているので、恐らくアイリも自覚しているのではないかと思う。関係性が変わるのがお互いにイヤなのだ。それだけは、今回の件でハッキリしたと思う。


 凄く我儘なのは承知しているが、俺はアイリと別れるつもりは全く無い。だが、ここに佳奈が居たらどうなるか・・・・・ アイリと付き合わせてくれと、佳奈に言ってしまいそうになる自分が怖い。今までこんな事を佳奈に頼んだなんて一度もないので、どんな返事が来るのかについては断言できないが、即座に拒否されてしまいそうだ。


 俺は帰る。帰って佳奈が待つ現実世界に戻るのだ。誰が、何を、どう言おうとも、絶対に帰ると誓った。俺はその誓いを守る。だが、アイリをこのまま置いていけるのか。クリスに黙って去る事が出来るのか。そう聞かれたら、俺は何も返せないだろう。この問題について、どうすればいいのだろうか? 俺はこの日、その最適解を見つけ出せなかった。


 ――ミノサル・パーラメントがレジドルナから帰ってきた。ドルナの商人ドラフィルへカネを引き渡すという、俺が依頼した業務を無事に果たしてくれたのである。土産はドラフィルから預かってきたレティの父、前リッチェル子爵であるエアリスと、レティの兄で廃嫡されたドボナード卿が借りた借金の証文。晴れて俺が権利者になった。


 ドラフィルには手数料として証文の五%相当、三五〇万ラントを支払った。俺の名代として役割を果たしてくれたパーラメントには五〇万ラント、同行したレナケインとナケルパシャ、そして留守を預かったペルートにはそれぞれ三〇万ラント。以前から居た隊士には一〇万ラント、最近加入した隊士には五万ラントを渡したのである。


「お、おカシラ。これは・・・・・」


「俺からの慰労金だ。受け取ってくれ」


 驚くパーラメントに、商人特殊技能【収納】で出したカネを「おカネは邪魔にはならないから」と押し付ける。しかしパーラメントは首を横に振って、中々受け取ろうとしない。


「し、しかし・・・・・ い、いくら何でも多すぎますぜ」


「多すぎるもんか。襲撃事件の時や、大暴動の時、死にもの狂いになって働いてくれたんだからな。これでも少ないくらいだ」


「ですが・・・・・」


 執務室のソファーに座るパーラメントが困った表情をしている。俺は机の上のものを受け取るように言ったのだが、気が引けているのか、中々受け取ろうとはしない。何かあったのかと事情を聞くと、パーラメントが申し訳なさそうな顔をしながら、「実は・・・・・」とか「申し上げにくいのですが・・・・・」と言ってくる。


「官途に就くのか?」


「えっ!」


 図星だったようだ。ファリオさんも言いにくそうだったもんな。あの時のファリオさんの言いにくそうな姿を見ていたので、パーラメントのそれと重なり「これは!」と思ったのだ。やはりドンピシャ。こういった部分は、やはり経験は生きてくるな。経験は、あるのと無いのでは雲泥の差。


「良かったじゃないか」


「し、しかし、おカシラ」


「グレックナー達にも言ってあるんだ。官途を望む者には積極的に支援をするように、ってな」


「そうだったのですか!」


 話を聞いたパーラメントは驚いている。全く予想外の展開だったようだ。俺はどうして積極的に官途に就くように仕向けているのか、その理由を説明する。大きな課題だった暴動を無事に封じ込めに成功したので、『常在戦場』に求められる軍事的な役割はそこで終わり、王国側が軍隊の整備に力を入れ始めた。これが本来の姿であると。

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