625 凶報
ミカエルが伯爵に叙される。弱年にも関わらず、レジドルナ追悼戦に臣下や義兵を募って馳せ参じた、若き貴族の功労に報いる為、王国はミカエルを伯爵に
手を叩いて喜ぶ俺を見て、レティが嬉しくなったのだろうか。陪臣のダンチェアード男爵も子爵位を賜るとの内示を受けたと話してくれた。ミカエルを補佐して家臣団を纏めた点が評価されたというのである。陪臣にまで陞爵の内示が出るのは珍しい事らしい。ミカエルは襲爵して半年余りで、抜群の勲功を上げ、家名を大いに高めたのである。
「所領が増えるのか?」
あけすけな質問だとは思うが、伯爵となるのであれば、それに見合った財産が必要。だから聞いたのだが、レティが頷いたので、俺は安心した。
「東隣のブクローニュ子爵領、子爵領の西南部にあるラドスホー男爵領。それとブクローニュ子爵領の南東部にあるバーベデルテ男爵領を賜る予定よ」
「地続きか! 随分と貰えるんだな」
まず飛び地がないのが大きい。所領が飛んでいては効率が悪い。ボルトン伯爵家を見れば、それはよく分かる。しかし、いずれの家も爵位の返上や
「過分な扱いを受けて、こちらの方が恐縮してしまうわ」
「それだけの事をミカエルがやったんだ。堂々とお受けすればいい」
「ええ・・・・・」
レティは頷いた。レジドルナ追討が発せられた際、第四近衛騎士団と共に赴いたレアクレーナ卿に加勢した貴族はミカエル以外、誰一人いなかったのである。唯一、ミカエルのみが同志を募って馳せ参じたのだ。その同志の中にはべギーナ=ロッテン伯爵令嬢という貴族は居たには居たが、これは数にカウントして良いのか分からないケース。
というのもべギーナ=ロッテン伯爵令嬢は、貴族のプライドを賭けて参陣したのではなく、ミカエルだから加わったのだろうから。朝の鍛錬において、困惑するミカエルに苦笑するリシャール達という構図を何度も見せつけられては、そう結論付けるには十分だろう。しかしミカエルも大変な猛者に取り憑かれたものだ。
レティは広範となる所領を統治すべく、三人の取り纏め役に爵位を授与出来るよう、申請するつもりなのだという。ノルデン王国において、爵位を授けられるのは国王陛下唯一人。爵位を授けられると閣下と呼ばれ、晴れて貴族の仲間入りとなる。基本的には国王が直接授けるものなのだが、有爵者が家臣を推薦し、爵位が授けられるケースがある。
これが陪臣だ。陪臣は国王陛下に仕えるのではなく、貴族家に仕える貴族。リッチェル家で言うなら、リッチェル子爵家は遠い昔に国王から授けられたので直臣家。ダンチェアード男爵家はリッチェル子爵家に仕える陪臣家だ。陪臣家は直臣家に比べ様々な成約がある。仕える家よりも下の爵位である事や、伯爵位以上は授けられない等がそれ。
貴族会議開催の建議なぞ、委任状が提出出来るのにも関わらず貴族会議の出席が出来ないという、訳の分からない差が存在していた。しかし貴族は貴族。家臣にとっては爵位を授けられるのは、最高の
レティが王宮へ爵位の授与を申請する者は、
「それが・・・・・ ダメダメなのよね。序列四位のパーティーン・サムエは、ダンチェアード男爵が世話に手を焼いていて、使い物にならないのよ・・・・・ 五位のケルトス・シャイナリーはエアリスの腰巾着だったからダメ。七位のパールータ・トストラセリズはダンチェアード男爵とソリが合わないし・・・・・」
「要は頼りになるのが三人だけって事か?」
「そうよねぇ。コワルタとムシャトリアは普通に出来るわ。本当に頼りになるの。問題はババシュ・ハーン。どこか抜けているのよね、いつも。でも
夫人である姉と当主である弟が、共に王都。それも学園に通っている状態で所領が増えたならば、留守を預かる体制も強化しなければならない。そこで内と外をダンチェアード男爵とババシュ・ハーンに、広がる所領をコワルタとムシャトリアにそれぞれ任せ、領国経営を行う体制を築こうというのである。聞く限りリッチェル家は、順風満帆ではないか。
「それなのに、あのエアリスが・・・・・」
アルトの声が一段階低くなった。凶報とはやはりエアリスか・・・・・
「借金の請求が家に来ているの」
「はぁ?」
「小麦で作った借金が・・・・・ こっちに来たのよ・・・・・」
思い出したからなのか、レティの肩が震えている。恐らく腸が煮えくり返っているのだろう。確かミカエルに同行して王都にやって来たダンチェアード男爵ら
「当主でも何でもないヤツの借金が、どうして家に来るんだ?」
「知らないわよ! 契約書に「自分が支払えない場合は、リッチェル子爵家が支払う」なんて、バカな項目があるって!」
レティはそう言うと、書類を机の上に放り出した。その投げ方一つを見ても怒りの程が感じ取られる。俺はそれを手に取って見ると、確かにレティが言うように「債務不履行に陥った場合は、リッチェル子爵家がこれを支払う」という一文があった。しかしこんな勝手な条文、通る訳がないだろ! 相変わらずエレノらしい、フザけた項目だ。
「私もミカエルも同意してないのよ。なのにこれでウチに支払えって。何なの? この五六〇〇万ラントなんて!!!」
そうなのだ。エアリスは個人で何と五六〇〇万ラントも借りていたのである。その口数は十六口に及び、三〇〇万ラントから五〇〇万ラントの借金を都度、行っていたのだ。その累積総額が五六〇〇万ラント。日本円でおよそ一六億円。随分派手に借金をしたものだな。しかしこれはリッチェル家が支払わなければいけないものなのか?
「残念ですが、その賃借契約書は「有効」ですなぁ」
魔装具で連絡を取ったワロスはそう話した。ワロスによると、前子爵の証文は家の証文に準ずる扱いらしい。「貴族家が支払う」という一文がなければ、支払わなくても問題はないが、あれば支払う義務が生じるのだという。ワロスがそう解説した。エアリスにカネを貸したのは「貸金のエスペロイズ」。レジドルナの貸金屋だそうだ。
この「貸金のエスペロイズ」。レジドルナに拠点を置いているので、当然ながら『金融ギルド』には加盟をしていない。故に俺の影響力を行使するのは、まず不可能。つまりこれまで何度かやってきた、貸金業者との交渉方法。『金融ギルド』の権利をチラつかせて、こちら主導で交渉を進めるのは、非常に難しい。
かと言って支払わずに放置をすれば、リッチェル子爵家が「踏み倒し防止政令」に引っかかるのだという。つまりリッチェル家に支払い命令が出されるのである。エアリスめ、全く面倒くさい事をしてくれたもんだ。俺とワロスとのやり取りを聞いて、レティの表情が更に険しくなっていく。ヤバいメンタルなのが分かったので、早々に魔装具を切った。
「そんなお金なんて・・・・・ 無いわよ!」
両手で拳を作ったレティが、それを机に叩きつけた。
「それだけじゃないの。あいつ、今は全くカネが無くて、駄賃すら払えていないの。それで寄越せ寄越せって
レティがあまりの情けなさに、声を震わせながら吠えた。もうダメ野郎のテンプレ過ぎて開いた口が塞がらない。こんなヤツに当主なんかさせてたら、どんな家でもまず潰れる。
「その上、勝手に作った借金まで、こちらが払うようにするなんて! 何処まで腐ってるのよ、あいつは!」
作った両手の拳を再び机に叩きつけるレティ。支払い義務が生じるのが明らかになった事で、レティの怒りが爆発したのだ。
「何よ! いつも、いつも! 知らない所で勝手にやらかして、ツケだけはこっちに持ってきて! いい加減にしなさいよ!」
やり場のない怒りを放出するレティ。そりゃ、これだけ派手にやらかされたら、怒髪天を衝くのは当然だろう。ましてや伯爵に叙されるこの慶事に水を差すどころか、ガソリンをぶちまけるような勢いのエアリスに、お前それでも人の親かと言いたくもなる。吠えているレティ。そのエメラルドの瞳の周りが真っ赤に染まっていた。
「やっても、やっても、いくらやっても、繰り返す。生きていて恥ずかしくないの!」
実父であるエアリスに対する罵りは続く。溜まりに溜まった怒りが、一気に沸点を突破したのだろう。俺はレティのように親がやらかした体験がないから、俺はその気持ちを推し量れない。だから、レティにその気持ちは分かるなんて安易な事は言えない。レティの今の気持ちが分かるのは、レティと同じようにやらかす親を抱える人間だけだろう。
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