624 吉報
王国から
丁重に扱われたのは間違いない。恐らくは行動の制限はあれど、これまでと変わらない、世話を受ける暮らしを送っていた筈。
それがいきなり「戒厳令が解除されました。安全が確認されましたので、どうぞご自由に」と、ある日突然、街へ放逐されてしまったのである。アーサーやドーベルウィン、スクロードはその話を聞いて最初安心していたようだが、実はとんでもない話で、家も物もカネもない上に、自活能力皆無なのに、どうやって暮らすのとだというお話。
俺がその点を指摘すると皆がショックで固まってしまった。自分達に置き換えたらすぐに分かる事であっても、人の体験に対しては非常に鈍感となるのが人間というもの。自分が無一文で自活する。貴族達にとって、全く未体験のゾーンへいきなり身を置く。現実世界で言ったら、電気ガス水道ネットがない無人島にいきなり放り出されたのと同じなのだ。
俺達は貴族じゃないから大丈夫とか、無関係なんて思っていたら、本当に痛い目に遭う。元貴族となった者と家族は、準備や覚悟といったものが全く無いまま、街に出されてしまった。それはある意味、処罰よりも残酷な措置ではないか。処罰となると、その前に人は覚悟をするだろうから。
今回褫奪された貴族は八百十家に及ぶ。これに家族も加えると一万人はゆうに超える筈。その者達が使用人の世話を受けた暮らしから、いきなり身一つで出されるのだ。しかも無一文で放逐されて、これから先、どうやって生きていくというのだろうか。刑罰という概念のないこの世界。現実世界とは全く違った、エレノの掟の厳しさを俺は改めて実感した。
――良い知らせと良さそうでない知らせ。それが同時にやって来るというのはよくある話。一つは学園の玄関受付で、もう一つは寮の受付で受け取った二通の封書。そのおかげで俺は体験する事が出来た。良い知らせとは、玄関受付に届いたドルナの商人レットフィールド・ドラフィルからの封書である。
そこに書かれていたのは、近日上京するので改めて挨拶をしたいとの知らせ。何でも内大臣府からの招請によるもので、上京の日程が決まり次第、再度連絡すると書かれていた。しかし宰相府ではなく、内大臣府からとは・・・・・ 国王陛下の
一方で良さそうでない知らせは寮の受付に届いていた。レティから封書である。何も悪いことをしてはいないのだが、改めて封書を出されてギクリとした。普段届くことがない人間からの封書に戸惑うのは自然だろう。恐る恐る封を開けて便箋を見ると、俺に相談したい事があるので、一席設けて欲しいと記されていた。それ以外の事は一切書かれていない。
「これは何かあったな」
そう考えるしかなかった。そういえば朝の鍛錬でミカエルと会ったが、何処か様子がおかしかった。先週、姉弟でエルダース伯爵夫人の元に訪れたというが、そこで何かがあったのか。俺が持っている情報はあまりにも少なくて、判断材料になり得ない。これはレティと直接会って話をしないと分からないな。なので明日の夜、ロタスティの個室で場を持つことにした。
しかしレティの封書。偶然にもドラフィルと同じく、簡潔なもの。よく考えたらドラフィルを紹介してくれたのはレティだったな。同じ日に二人からの封書が届くとは、何か数奇な巡り合わせを感じてしまう。だが簡潔なものとは言っても、問題はドラフィルからの封書の内容だ。日程的なものを考えた時、戒厳令が出るより前の話だよな、これは。
つまりドラフィルの元に内大臣府からの書簡が届いたのは、戒厳令発令以前であるという事。日程通知が後というのも、俺が望んだ王宮図書館の閲覧の話と同じだ。二度通知を行うのが、ノルデン王国の
変化といえば『週刊トラニアス』が大きく報道した「御親軍」設立もその一つ。相次ぐ
新設される御親軍の大総督には、統帥府軍監のドーベルウィン伯が兼務し、補佐役である大参事にはアラン卿が横滑りをする形。統帥府参謀の任を解かれての就任とある。全名がアラン・シェアリット・アルデハラート、アルデハラート子爵家の三男であると紹介されているのを見て、覚えなくともいいムダ知識がまた一つ増えてしまった。
参事には学園学徒団長だったデミストル・ワルシャワーナと、第三近衛騎士団騎士監のジャル・トフマネート・サティアが就任。大参事となるアラン卿を支えるという体制のようだ。御親軍創設に伴い、今後は近衛騎士団が王都の守りに専念。王宮を王都警備隊が、内廷警備を
「平和なノルデンに常備軍か・・・・・」
確かに近衛騎士団だけでは、あの大暴動やレジドルナ追討に対処できなかったのは事実である。『常在戦場』や王都警備隊はもちろん、学徒団やノルト=クラウディス騎士団までが加勢して、ようやく鎮圧できたのだから。しかしながらこれまで、全土を一元的に管理する事を目的とした軍隊がなかったノルデンで、常備軍が編成された。
この意味について考えざる得ない。秩序による平和か、力による平和か。乙女ゲーム『エレノオーレ!』では、大暴動で多数の犠牲者が出て宰相閣下は失脚。ノルト=クラウディス公爵家は没落した。だがリアルエレノでは暴動を沈静化させる事に成功し、宰相閣下の地位は守られ、代わりに政敵の元公爵アウストラリスが失脚。
元侯爵ハルゼイ初め、これに加勢した多くの貴族が没落の憂き目を見た。この逆転が可能になったのはやはり『常在戦場』という力。増強しても三、四百程度の規模に留まっていた近衛騎士団に対し、その数二千人以上という、ノルデン国内においては圧倒的規模の武装集団の存在が大きい。結果、力による平和へ傾かざる得ないのだろう。
そう仕向けたのが俺。結果として俺なのだという事に初めて気付いた。そもそも俺とクリスとの約束、ノルト=クラウディス公爵家の没落阻止の為、暴動を抑えるべく『常在戦場』を作ったのが事の始まり。その『常在戦場』はグレックナーの指揮の下、暴動抑制という任務を見事に応えてくれたのだが、それが王国の方針に大きな影響を及ぼそうとは・・・・・
今回の大きな動きの中で、全体の三割を超える貴族が爵位を失った。返納や接収された所領がどうなるかは分からないが、おそらく大半は王国の直領となる。これまで国土の二割程度しかなかった直領が四割以上に増えるのは確実。御親軍の創設は、これまでの放置プレイ的施策から、中央主導の集権国家へと移行する象徴のようにも見える。
しかもそれは偶発的なものではなく、意識的、意図的なものではないか。というのもこの御親軍の設立。グレックナーから聞いた時系列等を考えると、戒厳令の布告前から決まっていた事柄なのは間違いないだろう。これ一つ取っても、戒厳令前後辺りからの流れを見るに、偶然と言うにはあまりにも整っている動きであるように思えてならない。
ドラフィルが内大臣府から招請されたのも、時系列から考えて戒厳令前からの動きなのは明らか。この二つの事案は偶然重なったものではなく、まるで最初から推し量ったかのような、作為的なものではないか。何というか、あるシナリオに沿ったもの。これは貴族会議から大暴動に至る流れからは感じられなかったものを感じる。
まぁ、感じたところでどうなる訳でもないが、王国がある一つの方向性へと突き進んでいる。つまりは中央集権化。戒厳令後に起こった流れから、知っている範囲の話から考えて、勝手にそう推察した俺だった。それはそうとレティとの会食。俺はアイリにこの話を切り出せなかった。何か話してはいけないと思ってしまったのだ。
どうしてそう思ったのかは分からない。分からないのだが、俺は自分の直感を信じて話さなかったのである。アイリには何か後ろめたい気持ちになってしまったのだが、決めた以上はどうしようもない。だから話をしないようにする為に、今日はピアノ部屋でベートヴェンのピアノソナタ十四番「月光」を全力で弾いた。
俺がロタスティの個室に入ると、既にレティが座っていた。いつもなら俺の方が座っていて、レティが後に来るパターンなのだが今日は違う。俺が【収納】でワインを取り出そうとすると、神妙な顔をして「要らない」と言った。これまでのレティでは考えられない異常事態。その雰囲気から察するに、良からぬものしか感じ取られない。
「何か悪い事でもあったのか?」
「吉報と凶報があったわ。どちらから聞く?」
何も話さないレティに、取り敢えずと思って質問を投げかけると、逆に選択を迫られてしまった。これも駆け引きの一環か。
「じゃあ、吉報から聞こうか」
「分かったわ」
フッと、レティが笑みを浮かべた。セオリーとしては先ずは凶報なのだろう。いい話以上に、悪い話を先に聞いて対策を講じるのは基本中の基本だからである。ところが今日はそれをやった場合、吉報が聞けずじまいで終わってしまうのではないかと思ったのだ。何故なら呑兵衛のレティが「ワインは要らない」なんて言うぐらいなのだから。
「ミカエルに
「しょうしゃく?」
なんだそれは? 聞き慣れぬ言葉に戸惑う俺を見て、ミカエルが新たに伯爵位を賜る事になったと説明してくれた。要は子爵から伯爵へと位が上がったのか! 俺が吉報だと喜ぶと、レティが照れくさそうにしている。リッチェル家はミカエルの力によって、子爵家から伯爵家になったのだ。
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