620 事の顛末
また王都外、つまり所領にいた貴族達の中で爵位の返上と所領の返納に応じなかった貴族の
王都で処分を言い渡された貴族四百三十一人と、所領にいた三百七十九人の貴族。合わせて八百十人が爵位を剥奪され、位階勲等を褫奪された。取り上げられたのは、地位だけに留まらない。所領や王都の屋敷等の不動産や、現金及び動産などの財産全てが接取された。イゼーナ伯爵家のノルデン報知結社も接収の対象の一例。
この措置については家族の財産も対象となり、貴族譜に載っている親族。夫人や嫡嗣などが所有する財産も同じく召し上げとなったのである。但し、戸籍を一にしない者。分家を行った者はその対象から外れた。例えば爵位を持つ貴族の兄弟が家を出て、別家を立てた者などは、今回の財産の接取から免れたのである。
因みに八百十家の貴族の数は、小麦特別融資の有担保融資を受けた貴族の実に四割近くに及ぶ。これは王国から出された追証の請求書に対し、如何に楽観視していた貴族が多かったのかを示す数字だと言えよう。恐らくはこの八百十人の貴族達。その多くは褫奪といった事態なぞ、全く想定していなかったのはないか。
ある者は自分は大丈夫だと思い込むようにし、ある者は根拠の無い噂を信じ込むようにし、そしてある者は有力者の甘言に身を委ねて思考するのを辞めた。結果、今日の事態を招いた訳で、今となっては後悔している者も多いだろうが、最早後の祭りである。一方、爵位の返上と所領の返納を申し入れた貴族は九百六十七人。
この内、九百二十一人の申し出が受理されて、家族と合わせて貴族譜からその名が抹消。所領は王国の管理下に入った。どうして四十六人の貴族の申し出が受理されなかったのかは、何処にも理由が書かれていないので分からない。しかしそれについては、俺が知ったところでどうにかなる話ではないので、敢えて無視する事にした。
この爵位の返上と所領の返納を行った貴族に関しては、褫奪された貴族とは異なり、位階勲等が剥ぎ取られる事もなければ、貴族階級から外されもしなかった。「卿」という敬称が付けられたのはその一例である。王都の屋敷の保有や、金銭や貴金属といった動産についても保証された。その待遇については褫奪された貴族とは大違いである。
ただ、小麦特別融資の有担保融資を受けていた貴族。つまり王国から追証を請求されたであろう貴族は千七百七十四家。褫奪された貴族と所領の返上等を申し入れた貴族を合わせても千七百三十一家なので、計算が合わない。つまり褫奪もされず、所領の返上等を申し入れていないと思われる貴族が、なんと四十三家も存在するのだ。
先ず考えられるのは、王国から請求された追証を納めた。これならば褫奪される事も無ければ、所領を返上する必要もない。全ての辻褄が合う話。しかしどの家も限らず結構な金額だった筈で、借りようにも容易には借りられる額ではない。そんな状況下、追証を納めるだけのカネが何処から湧いてきたのか? 実に不思議な話である。
――王都が厳戒態勢に入って二週間。ようやく戒厳令が解除された。解除の理由は「
これを受けて学園では外出禁止令も解除。特に王都住まいの貴族子弟は大いに喜んだ。早く屋敷に戻って情報、今回の戒厳令の最中に行われた一部貴族に対する褫奪の件について確認したい。恐らくはそんな気持ちなのだろう。授業が終わると、生徒達が我先にと馬車溜まりへ殺到。混雑する中で、それぞれの家へと帰っていった。
いつもなら黒屋根の屋敷のピアノ部屋で籠もっている筈なのに、どうして俺が知っているのかと言えば、今日は三限目で授業が終わったからである。サルンアフィア学園のカリキュラムは午前二限、午後二限の四限制。そのうち四限目が選択授業で、その授業が無くなった。恐らくは外出禁止令で帰られなくなっていた生徒への配慮なのだろう。
クリスは夕方になってから公爵邸へ帰ると、トーマスから聞いた。人混みの中、わざわざ押しのけて帰る趣味はないと言ったというのが、クリスらしくていい。クリスの意識の中では、一歩引いた感じで動いているつもりなのであろう。先日、レティが「今まで以上に注意を払わなければ・・・・・」と忠告していたので、その影響もあるのかもしれない。
レティは多くの家の行く末。小麦特別融資の追証の払いを求められた貴族達の方向性が決まったので、より控え目に動いた方がいいとクリスにアドバイスしたのである。王国から『貴族ファンド』の小麦特別融資を借り入れた貴族に対して請求された追証。
今の所、追証が請求された家々の子弟は学園に復帰していない。勿論、学園へ戻って来ている生徒がいるのかも知れないが、少なくとも俺の学年にはそうした生徒はいなかった。多くの貴族の身の処し方が定まった今、彼らはそう遠からぬうちに学園へ戻ってくるだろう。だからその時の為、今から備えておいた方がいい。これがレティの考えだった。
「クリスティーナ。大丈夫なのかなぁ」
誰もいない図書館で、アイリが心配そうな表情を浮かべる。レティがクリスに投げかけた「今まで以上に注意を払わなければ」という言葉が引っかかっているのだろう。四方八方敵ばかりというレティの言い回しなんか聞いたら、アイリが不安に思うのも無理はないか。
「レティやアイリがいるんだ。心配する事はない」
「グレンは?」
「・・・・・も、も、勿論俺もだよ」
予想外の返答にビックリした。まさか俺の名が出てくるとは思いもしなかったからである。俺は女の友情があるから大丈夫だと言いたかったのだが、アイリの方は違った解釈をしたようだ。俺の言葉を聞いて安心した表情を浮かべるアイリ。俺はアイリの前で極力クリスの話をしまいと思っているのだが、アイリにはそうした配慮は無用のようである。
「レティシアはエルダース伯爵夫人の所へ行くって。ミカエルさんと」
「ミカエルと!」
意外な展開に驚いた。レティがエルダース伯爵夫人の元に訪ねるのは分かる。だがミカエルとってエルダース伯爵夫人は縁遠い筈。少なくともレティ比べての話だが。エルダース伯爵夫人はレティの後ろ盾という立場を考えれば、ミカエルから見れば大目付のようなもの。目付であるレティと三人での面会は、さぞ肩身が狭いだろう。
「しかしミカエルと一緒という事はただ事ではないな」
「急いで相談する話が出来たからって。レティシアは言っていたわ」
アイリの話を聞く限り、最近になって相談すべき話が出来たようだ。ミカエルと一緒という事は、やはり家の事なのだろう。しかしリッチェル子爵家。ゲームでもそうだったが、本当に問題が山積している家だな。解決しても解決しても次から湧いてくる。今度はどんな問題かは分からないが、片付けた側から何かが発掘されてくる家だ。
「ねぇ、ピアノ部屋へ行きましょう」
あれを弾いてとリクエストしてきた。あれとは「人生一路」。美空ひばりの歌だ。雨の御堂筋と並んでウチの親のレパートリーだったのを思い出し、採譜していたのを聴いたアイリが気に入ったのである。雨の御堂筋と同じ時代の曲だという事を考えると、ウチの母親はあの辺りで時計の針が止まったのだろう。
人というのは何処かで止まる。そもそも走り続けられる人なんて少ない訳で、元々そういう生き物なのかもしれない。そういえばケルメス宗派を創設したジョゼッペ・ケルメスも現役時にはバリバリ仕事をしていたが、辞めた後は目的を失い、魂が抜けたようになってしまったと書いていたよな。俺はそうならないように、仕事の傍らピアノを弾けばいい。
ところで、この人生一路。母親が持っているレコードとテレビで流れていた歌との、あまりのテンポの違いが印象に残っていたので、しっかりと覚えていたのである。俺の脳内採譜は、テンポの速いテレビ版であることは言うまでもない。ウチの母親とアイリの共通項があるとすれば、クラシックがイマイチという部分。
特にバッハを弾いている時には退屈そうにしているのを見ると、バロックとかそういった時代の曲はアイリに合わないようだ。バッハとかハイドンとか、中々いいとは思うのだがな。まぁ感覚的には今の時代のに近い方向の曲が好きなようだが、人生一路なんか半世紀前の曲な訳で、アイリの好きなベクトルというのがイマイチ掴みきれていはいない。
しかしこの曲が好きという感覚は直感なので、そこまで気にしなくてもいいかと思う。休日、アイリと一緒にピアノ部屋に籠もりながら、学園内にある『スイーツ屋』で話すという、単調だが平和な時間。これはかけがえのないものだと、戒厳令下での貴族への処断を見ているとそう思う。そんな俺の元にコルレッツから封書が届いた。
「詫びなくてもいいのになぁ」
便箋を見た俺は、思わず口に出してしまった。例によって『エレノオーレ!
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