621 コルレッツの推測

 コルレッツが教えてくれた『エレノオーレ!ツヴァイ』の舞台「サルジニア公立学院」が、ロブソンから伝えられた「サルジニア公立高等学院ラティス」と同一のものかについて問い合わせたのだが、同じであると返してくれたのだ。その上で、記憶があやふやな部分があり混乱させてしまって申し訳ないと、便箋には綴られていた。


 俺はただ確認をしたかっただけだったのだが、何か気を使わせてしまったようで、こちらの方が申し訳ない気持ちになった。コルレッツも俺と同様、こちらの世界にやってきて数年の歳月が過ぎている筈。現実世界での普段の暮らしぶりでさえ忘れていくような状態なのに、いくらヲタとはいえ、ゲームの設定如きを精密に覚えている方がおかしい。


 それでも何かのヒントになればと、コルレッツも必死に記憶を辿っているのだろう。だから脳内で確認作業を行い、事実誤認だと書いてきたのだ。しかし、そのコルレッツの記憶を以てしても分からない事がある。どうして「サルジニア公立高等学院」の後ろに「ラティス」なんて文言がついているのかという点。これは全く分からないとコルレッツが書いている。


 まぁ、その点については些事なので気にする必要もないだろう。どうせエレノ製作者の気まぐれで付けたに決まっている。そしてこちらの世界ではもっともらしく、その謂われが語られるだけ。そんな話をこちらに来て何度見たか分からない。その度にエレノ製作者の罪深さを実感したもの。その度に人の人生に安易な介入をしてはいけないと思った。


「やはりカテリーナと向こう側のヒロイン達が同級生だったのは、驚いたか・・・・・」


 文面を見るに、コルレッツは、『エレノオーレ!ツヴァイ』の二人のヒロインであり悪役でもあるアリスティー・エレノオーレ・ディ・ジニアと、パトリシア・エレノオーレ・アンスブリッジの二人が、カテリーナとサルジニア公立高等学院ラティスの同級生だという事実に衝撃を受けているようだ。「弐」にはそんな背景は描かれていないと。


 興味深かったのはクリスの話についての部分。『エレノオーレ!』では、正嫡殿下から婚約破棄されたクリスが宰相家ノルト=クラウディス家没落後、落ち延びるという描写があるのだが、コルレッツによるとこれが「北」なのだという。つまりクリスは北に落ち延びたと。そこから推察される「北」とは、サルジニア公国。


 ならばクリスはサルジニア公国にある学校。即ちサルジニア公立高等学院ラティスに入っていてもおかしくない。現にクリスのポジションとなってしまったアンドリュース侯爵令嬢カテリーナが留学しているのだから。むしろゲームシナリオの流れを考えれば、クリスがこの「ラティス」に入るのは自然ではないかと指摘してきたのである。


 なるほど、そう考えてくるか。ところがコルレッツが書くところによれば『エレノオーレ!ツヴァイ』で、クリスは出てこない。それどころかカテリーナも出てこない。しかし今、現実には「弐」のヒロイン達とカテリーナは同級生。ゲームが始まる前から、既に世界観が変わってしまっているのではないかと、危惧しているようだ。


 ただ、「弐」のゲームが始まる時系列は一年後なので、まだ時間的な猶予はある。それにカテリーナの留学期間は一年。ゲームが始まる時には、ノルデンの方に帰ってきている訳で、まだ世界が変わったと考えるのは早計だろう。それはそれとして、興味深かったのはコルレッツの動静。急に店が忙しくなったというのである。


「徳政令が出てから、お店にお客様が戻ってきました」


 その為、辞めると切り出しにくくなってしまったらしい。しかし返さなくても良くなったからといって、札束掴んでいきなり飲み屋に走るか。この能天気さがエレノらしいと言えばエレノらしいのだが、あまりにも現金過ぎて笑える。コルレッツからの便箋は、王宮図書館の結果を楽しみにしていますと締めくくられていた。


 ――トラニアスのメディア界も戒厳令が解除されたのに伴い、連日発行されていた号外が無くなり、加熱していた報道も落ち着きを取り戻しつつあった。『無限トランク』は「王国、正常化に向け急ピッチ」、『小箱の放置ホイポイカプセル』は「市民生活、平穏に戻る」と題し、それぞれ戒厳令が解除された後の模様について伝えている。


 二誌を総合すると、戒厳令という厳しそうな措置の割には、それを粛々と受け入れている官吏や市民達の姿が目立つ。紙面を見る限りだが、道路封鎖についても「止む得ない措置」と肯定的に受け止められているようである。そして両誌に共通するのは、寧ろ重要なのは戒厳令後という論調。まるで褫奪ちだつされた元貴族達の存在など無かったように。


 但し、貴族関連の報道が無くなった訳ではなく、どちらにも書かれてはいる。具体的にはファールトネール伯という貴族が小麦特別融資に入れ込んだ、陪臣家の追証の返済を一部肩代わりした話であるとか、ヴァルータ男爵という小麦特別融資を受けていない貴族が、全財産を差し出して主家筋の追証を背負う事を内大臣府に申し入れた話などである。


 前者は『無限トランク』、後者は『小箱の放置』が伝えたもの。その記事のトーンを見るに、ファールトネール伯やヴァルータ男爵の振る舞いが義侠心溢れていると非常に好意的だった。その為か、どちらの件も王宮側が対応に苦慮していると書かれているので、扱いが留保されているおよそ百家の貴族には、このような話が数多く転がっているのだろう。


 このように貴族報道に関しては、今までのセンセーショナルに煽る形から、個別の話を深堀りする方向へとシフトしたと言った方が正しい。三割に近い貴族が爵位を失うという、大きな事実が確定した今、記事も細かな話に移っていくのも道理だと言えよう。ただ『無限トランク』に載っていた関連記事で、見逃せないものがあった。


「元貴族の支払い不履行。貸金業者を襲う」


 さして大きくない扱いの記事。爵位を返上した貴族や褫奪ちだつされた貴族にカネを貸していた貸金業者が、回収不能に陥っているというのである。俺は最初、踏み倒しかと思っていたのだが、さにあらず。爵位が無くなってしまったので、返済義務そのものが消失した。そのように書かれていたのだ。これは全く予想外の話。


 記者が宰相府司法部に問い合わせたところ、契約は貴族家と貸金業者との間で結ばれており、貴族家が消失した場合には返済者そのものが居なくなる。よって、契約そのものが消失してしまうというのだ。つまり貴族個人で契約した借金は消えないが、貴族家と契約した場合、その貴族家が無くなってしまえば、その借金も消えてしまうのである。


「これは・・・・・ もしかして家と会社は同じ・・・・・」


 会社が倒産してしまった場合、会社にカネを貸した側。即ち債権者は基本的に、整理される会社の中でカネを回収する事しか出来ない。所謂、有限責任である。経営者が保証人になっていたり、背任行為があったりしない限り、経営者から回収する事は出来ないのだ。今回の話はそれと同じ。貴族家が倒産しても、当主個人から回収できないという訳か。


「これは盲点だったな」


 まさか踏み倒しに依らず、借金をチャラにする方法があったとは思いもしなかった。ただ、こんな形で借金をチャラにされた金貸し屋が、元貴族へ再びカネを貸すとは思えないので、そこらはどうなるのかは分からない。しかし貴族向け融資は一件辺りの額が多い筈。返ってこないとすると、かなりの貸金業者がショートしてしまうのではないか。


「グレン。全くその通りだ」


 魔装具で連絡を取ったシアーズが俺の意見を肯定した。その反応を見るに流石のシアーズも、爵位消失で賃借契約そのものが消えるなんて思っても見なかったようである。その証拠に『金融ギルド』が貸金業者向けに行った、少なからぬ融資が焦げ付く可能性について言及した。しかも焦げ付く理由は爵位を失った貴族達だけではないという。


「貴族階級や地主階級。富裕な平民層にまで、小麦に入れ込んでいたヤツがいる。カネを借りてな」


 小麦相場に流れたカネは小麦特別融資のカネに留まらない。シアーズはそう指摘した。確かにそれは分かる。でなきゃ、俺の手許にあるカネが『貴族ファンド』の総額を大幅に超える筈がないのだから。しかし猫も杓子も小麦相場に入れ込んでいた状況には唖然とする。貴族階級は分かるにしても、富裕市民までが手を出していたのにゲンナリした。


「アイツラに小金を持たせたらダメだな。人に部屋を貸して儲ける発想をそのまま相場に持ち込んで、手を出してやがる」


 シアーズは暗に富裕市民を批判した。ここで言う富裕市民とは、トラニアスに土地建物を持ち、家賃収入を得て財を成した新興階級。彼らは貸金業者からカネを借り、土地建物に確保しながら家賃収入でさや・・を取って利を確保していた。それと同じ感覚で小麦相場に手を出したと、シアーズは指摘したのである。


「そいつらにカネを貸した業者も苦しんでやがる」


「ダメになったところもあるのか?」


「ダメ? ダメどころじゃないぞ」


 シアーズが一、二件の話じゃないと言い出した。飛ばした貸金業者は、既に五十に達したらしい。但し、その業者の殆どは『金融ギルド』からカネを借りていない業者。資金が少ないので、焦げ付いて一発アウトというパターンのようである。しかし、これはまだ序の口。これから『金融ギルド』の融資を受けた業者も潰れるだろうと、シアーズは話す。


「まぁ、小麦の匂いがするところにはカネを貸すなと、こっちは言ったんだ。それでカネを貸しているのはそいつらの責任」


 以前からシアーズは、小麦相場に入れ込む貴族に融資を控えるよう、貸金業者に文書で通達を出していた。しかし千家に及ぶ貴族が消える事態となり、その貴族家へ融資していた証文自体が向こうとなった今、融資を行った業者が全ての損を被る事になったのは、貸した金貸し屋の責任。己の判断がその結果をもたらしたのだと突き放したのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る