618 詭謀(きぼう)

王都に詭謀きぼうあり。王都に戒厳令なるものが布告され、統帥府に戒厳司令部が設置。その責任者である戒厳総督に、ひっくり返ったドーベルウィンの父で統帥府軍監であるドーベルウィン伯が任じられた。この戒厳総督、無制限の捜査権が付与されるのだという。


「そんなに権限が強いのか!」


「ああ。王都内の全ての軍事組織へ召集令が掛けられるし、特別捜査権が付与される。全ては叔父上の裁量一つで事が動く」


 スクロードはしっかりと答えてくれた。しかし、予想よりも遥かに強力な権限を持っている。まるで全権を握っているかのようだ。ドーベルウィン伯は戒厳総督として、その集められた力を使って、王都にあるという「詭謀」とやらについて調べるのだろう。アーサーがふと呟く。


「逆恨みかぁ・・・・・」


「ああ。ジェムズはそれを恐れているんだ」


「学園生徒の家が捜査で取り潰されるのだからなぁ。恨まれない筈もないか・・・・・」


 二人共深刻な表情を浮かべている。今、およそ二割の生徒が学園にいない。来ていない生徒は、いずれも小麦特別融資を受けた貴族の子弟達。この生徒達の家の中には、爵位の返上や所領の返納に応じず、請求された支払いも行わない家もある筈。この家に捜査が入って、お取り潰しという流れになるのではと考えるのは、自然な話だろう。


 しかしそうなった時、地位を失った貴族達の怒りや憎悪の目が誰に向けられるのか。その実行者、指揮者に向かうのは自然な話。ドーベルウィンはそれを危惧して、ひっくり返ってしまったのである。これはレティが、そうした貴族達の憎悪や敵意が宰相閣下の娘であるクリスに行くことを恐れていたのと同じ構図。俺はスクロードに確認した。


「しかしスクロード。それは決まった話なのか?」


「いや、それは違う。叔父上が就任した戒厳総督の権限から考えてだよ」


「だったら、まだ確定してないんだな」


 俺がそう話すと、二人共意外そうな顔をした。確かにスクロードが話す展開には合理性はある。ドーベルウィンがひっくり返るぐらいなのだから、そのような流れにあると考えてもいいだろう。しかし、まだ確定しているとまでは言えない訳で、断定するのは早計ではないか。


「確かにそうだよね。外で何が起こっているのかさえ、分からないものな」


「暴動を引き起こした下手人も処断されているのに、今更誰がそんなものを考えるというのか」


 スクロードやアーサーも詭謀に対する疑念を発した。読んで字の如く、良からぬものであるのは分かる。だが、よく考えてみれば詭謀とは、一体どのような意味なのだろうか。

正確な意味であるとか、何を指しているのか分からないまま話をするのも気持ちが悪いので、その辺りの事をアーサーに聞いてみた。


「危うい企みってところかなぁ」


「それはどんな企みを指すんだ?」


「俺に聞かれても・・・・・ 分からないよ・・・・・」


 アーサーは明らかに困惑していた。何かの企みを防ぐ為に戒厳令を出したが、その企みがどんなものかは分からない。そもそも戒厳令なんて聞いたこともないから、発令された事もないのではとアーサーが言う。高位伯爵家ルボターナ筆頭家であるボルトン伯爵家の嫡嗣だけあって、あれこれ知っている筈なのだが、どうやらお手上げのようである。


「よく考えれば詭謀って、何を指しているのかさえ分からないよね」


「ああ、確かにな」


 アーサーがスクロードの意見に同意した。俺もそう思う。今日の号外を見る限り、詭謀という言葉だけが独り歩きしていて、それが何を意味する言葉なのかさえ分からない。記事を読んだ人は何かを知るどころか、ただ憶測するのみというナニコレ状態。そんな謎の言葉「詭謀」。それを読み解いてくれたのは、他でもないクリスだった。


「王国を危うくする計略の意ですわ」


 クリスは簡潔に答えた。その意味をレティが質す。


「それは・・・・・ 王都で王国を危うくする企みが行われている疑いがあるって意味?」


「はい。そのような意味となりますわね。「トラニアス祭の紛擾ふんじょう」や、私達を襲撃した一件と同じような企みがあると」


 クリスはレティの言葉を肯定した。クリスの呼びかけで俺やレティ、アイリ、そして二人の従者、トーマスとシャロンがロタスティの個室に集まったのだが、その席でクリスが詭謀について説明してくれたのである。なるほど。過去にレジドルナの冒険者ギルドを使った暴動を起こす企みと、同じようなものがあると睨んで戒厳令を布告したのか。


「でも、どんな企みなのかしら」


「分かりません。どのようなものまでかは・・・・・」


 さしものクリスであっても、詭謀の内容までは分からないようだ。アイリの疑問にそう答える。今は戒厳令下という事もあって早馬も出せないという。また、宰相閣下や次兄アルフォンス卿、それに公爵邸からは何の知らせもなく、クリス自身、全く情報が入って来ない状態。


 なので学園内におられる皆様と同じ情報しか持っていませんと、クリスは話した。それでは詭謀とは何か、何を意味するものなのか分からないのも当然だろう。ところがレティがまだ騒動を起こそうとする連中がいるのかと呆れていると、クリスが全く違う見解を示してきた。 


「もしかすると、企み自体が存在しないのかも・・・・・」


「え?」

「ええっ?」

「えええ!」


 これには皆が驚いた。珍しくトーマスやシャロンまでが声を出しているのを見ると、この見解をクリスは誰にも話していないようである。クリスの見立てによれば、企み自体が無いのにも関わらず、戒厳令を布告した。だとしたら、正にそれこそが陰謀と呼べるものではないのか。クリスはかなり際どい事を言っている。


「詭謀があるとして、これを名分とし、戒厳令を布告したのではないかと」


「どうしてそう言えるのだ?」


「発令事由に「疑いがある」と書かれていましたから。疑いがあるのなら、疑いがない場合もあります。あるかどうか分からない、不確定な状態で発令なされた。何かが発生していない段階において疑いがあるのであれば、確たる証を掴んだ上で発する筈。それを「疑い」を事由となされているのは、名分として弱かろうと」


 言われてみれば確かにそうだ。戒厳令などという聞いたこともないような、大規模な警戒態勢。普通ならば、確実な証拠なり事実を掴んで発令する筈。ところが「疑い」という段階で、戒厳令なるものを布告してしまっている。つまりクリスは、戒厳令を布告する根拠としては心許ないと指摘したのだ。レティがハッとした表情をクリスに向けた。


「疑いがないって事になれば、企みもない事になるわ」


「ですので、最初から詭謀などといったものは無かったのではと・・・・・」


 大胆な仮説だ。クリスは数少ない状況証拠を並べ、それを読み解く中で、国を危うくするような企みなど最初から無かったと唱えたのである。火のないところに煙は立たずではなく、火のないところに煙を立てたのだと。皆が息を呑む中、クリスはなおも言葉を続ける。


「だとすれば、王国はそれを承知で戒厳令を布告した事になります」


 これには場の空気が固まった。今、クリスが指摘しているのは王国側。つまり宰相閣下が詭謀が無いのを承知の上で、戒厳令の布告に加担したのでないかと指摘しているのだから。自身の父親が陰謀を引き起こしていると暗に言っているようなものだったので、皆が戦慄したのだ。しかしクリスはそれに構うことなく話を続けた。


「そこまでして戒厳令の布告しなければならなかった理由は・・・・・」


「クリスティーナ。それ以上はダメ!」


 レティが制止に入った。話が宰相閣下への直接的な批判に及ぶ事を恐れたのだろう。だがクリスは意に介さない。


「言わせて、レティシア! この戒厳令は詭謀の為に布告されたものではないわ。王国が請求した支払いに応じなかった貴族を取り締まり、拘束する目的で出されたものよ。これは王国側が仕掛けた政変だわ!」


 言ってしまった・・・・・ クリスは企みなんて嘘偽りだと指摘し、王国側が起こした政変だと断じたのである。だとすれば主導したのは宰相閣下であるのは・・・・・ 誰が見ても明らかな話。ただただ絶句しているトーマスとシャロン。言わせてしまったという感じのレティシア。だが、アイリはそのどちらでもなかった。


「クリスティーナ、よく話してくれましたね。グレンとレティシアは、クリスティーナは何でも話せる立場じゃないから、話を聞くのはって・・・・・ だから黙ってたの」


 先日の話だな。あれを聞いて、アイリもアイリなりに気を使ってくれていたんだな。話を聞いてそう思う。


「だから、クリスティーナの方から話をしてくれて・・・・・ ありがとう」


「アイリス・・・・・」


 クリスの琥珀色の瞳が少し潤んでいるように見える。レティが口を開いた。


「生徒の家や親戚の家が・・・・・ その家が奪爵されでもしたら、その怨みがクリスティーナに行きかねないわ。それが怖いの」


 レティの言葉にトーマスとシャロンが絶句している。二人共、心の何処かでそれを考えながらも、知らぬふりをしていたのだろう。クリスは目を瞑って聞いている。


「ドーベルウィンもそれでひっくり返ったそうだ」


「それで今日、来ていなかったのね」


 合点がいったという感じで頷くレティ。レティとドーベルウィンは同じクラス。ドーベルウィンが休みなのは当然知っていた。だからその理由が分かって納得がいったのだろう。


「スクロードから聞いたんだ。ドーベルウィン伯が戒厳総督に任じられて、特別捜査権を行使してカネを払わない貴族を捜査する。そうすれば貴族の怨みが自分の家に来るってな」


「レティシアが私を心配してくれた話が、そのままドーベルウィン卿にも当てはまりますのね」


 俺が言うと、クリスが静かに指摘した。正にその通り。クリスの父は宰相閣下、ドーベルウィンの父は軍監閣下にして、戒厳総督。期せずして二人は同じ立場となったのである。

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