617 戒厳令

 困った時「だけ」頼むという人間がいる。そういう人間は、困った時「しか」関わってこない。そういった人間は肝心な時には、往々にしてあしらわれるもの。同じクラスのテナントは自分がそうではないかと思い、俺達が家財の買い取りをしてくれるのか、心配になったようである。しかしこれは商いの話。あくまでビジネスなのだ。


「ディール。これは商売だ。損か得かの話。損ならば動くに躊躇するが、得ならば神速。だからテナントも気兼ねする必要はないってな」


「ああ、分かったよ。しかし商売の話というのは奥深いな。お前達の動きを見ていると、「損」を「得」に変えているような感じだからな。あの小麦売り払いにはビックリしたよ」


「ディール家から預かった小麦の売り抜けか?」


「ああ。リサさんが暴落直前に売って、ウチは融資を大きく超える額が入ってきたからな。あんな事が出来るんだって」


 いやいや、あれは完全にチートの相場操縦。俺らの世界でやったら、インサイダーで一発アウトだ。これは規制のないエレノだから出来る手であって、決して褒められるものではない。それに取引を請け負ったリサは手数料が歩合なので、高値で売り抜ける事が出来れば、手許に残るカネも増える。しかも自分のカネじゃないので、濡れ手に粟。


「我が家もアルフォードを見習って、貴族のように、大盤振る舞いをしてはいけませんって、母上も仰られていた」


 子爵夫人。あんたも貴族じゃないか! まぁ、見栄を張るのを辞めなさいと子供達に言っている訳で、そう考えれば悪い話ではないか。俺にテナント家の家財売却を依頼する仕事が首尾よく終わったので、ディールは安心したようである。これからカタリナに知らせると言うと、ディールは早馬を出すべく、学園受付の方へ走っていった。


 ――『貴族ファンド』が貴族向けに行った小麦特別融資。この融資を受けた貴族に対し、『貴族ファンド』を国有化した王国が有担保融資の追証を請求した支払期限が過ぎた。しかし、だからといって、朝から特別な変化なぞ何もない。俺は早朝に起きてストレッチを行い、ロタスティで朝食を食べた後に、鍛錬場で立木打ちを行う。


「グレンさん。リサさんは?」


「用事があって郊外に出掛けたよ」


 鍛錬場でリサの事を聞いてきたユリアーナ、べギーナ=ロッテン伯爵令嬢に俺はそう答えた。リサは家財の買取を行う為にクラウディス=カシューガ子爵領へ向かったので、この場には居なかったのである。ユリアーナはレジドルナ討伐に一緒だったからか、リサにとても懐いていた。それもあってか、朝の鍛錬に顔を出すようになっていたのである。


 ユリアーナはレジドルナ討伐から帰ってきた直後、家族に事実上拉致されて自宅に連行されていった。二週間経ってからようやく解放されたのだが、伯爵邸で両親にこってりと絞られたのは言うまでもない。何せ令嬢ともあろう者が、家に無断で討伐なんかに出掛けたら、怒られるのは寧ろ当然。二週間で解放されたら良しとしなければいけないだろう。


 学園に戻ってきたユリアーナは、両親からの言い付け通りに大人しくしていた。しかしそれが持ったのも暫くの間。元が騒がしい性格だからか腹の虫が治まらず、最近になって朝の鍛錬に参加を始めてきたのである。これにはリシャール達が困惑していた。特に困っていたのがミカエル。ユリアーナの目当てがミカエルなのだから、これはしょうがない。


「変化はありませんか?」


「特にないな」


 追証の一件について尋ねてくるミカエル。勿論それはユリアーナの絡みを逸らす為であって、貴族達の動向を聞きたい訳ではない。姉とは違って、人の話題にあれこれ首を突っ込む趣味なぞ、ミカエルにはないのだから。俺と話をしているのを見て、不満そうな顔をしているユリアーナ。その光景に苦笑するリシャール達というのが最近の朝の構図である。


 構図と言えば、今日発行された『週刊トラニアス』と『翻訳蒟蒻こんにゃく』。今や平民の代弁者と貴族の代弁者という図が、完全に固定化されてしる。『週刊トラニアス』は「『貴族ファンド』への支払期限迫る!」「相次ぐ爵位の返上と所領の返還」「なおも根強い徳政令を求める声」と題して、分かりやすく状況を伝えていた。


 特に理解が難しい「追証」とその請求については、かなりの紙面を割いて丁寧に説明されていて、これを見た読者は「そうか」「なるほど」「分かる」といった、何らかの解説書を読んだ気分になるだろう。追証が普通の借金とは少し異なるのが、担保評価基準。常に変動する担保価値の差分、その穴埋めを求められるのが追証。


 ここで面白いのが、担保価値が高まればよりカネが借りられるという部分。変動するので、カネを借りられるのと穴埋めはセットなのである。この辺りをうまく解説なされているのは流石だと思った。一方、『翻訳婚約』の方は今日も元気に増刊号を出して、貴族への徳政令を出すべきと強く求めている。ここまで来ると、最早選挙カーの名前の連呼だ。


「徳政令で澆季ぎょうきに対峙せよ!」


 澆季とはどういった意味かは分からない。しかし車椅子ババア、イゼーナ伯爵夫人の、「王国の存立は徳政令に掛かっている」といったヒステリックな文章で紙面が覆われているのを見ると、その類の文言だと見て間違いはないだろう。最早平常運転の域に達した車椅子ババアの駄文。そんな日常を打ち壊すかのような話が、ウィルゴットから伝えられた。


「街道が封鎖された?」


「ああ。戒厳令とかというのが発令されたらしくて、何処にも荷物が運べなくなったんだ」


 戒厳令? 聞いたこともない言葉だ。「令」と付くから王国からの命令なのは分かる。しかし一体、何の命令なんだ?

 

「それは全部の道か?」


「ああ。王都に通じる全ての道だ」


 色々と問い合わせても、戒厳令がどのようなものなのか、全く分からない。そこで俺ならば何かを知っているのではないかと、学園が昼休みになるのを待って連絡を取ってきたのだ。しかし俺自身がウィルゴットから話を聞いて驚いている状態。なので事情が分かる筈もない。俺は一旦、会話を打ち切って、グレックナーと魔装具を繋げる。


「統帥府からの指示で街道を塞いでいます」


 グレックナーの口から、ウィルゴットの話が事実である事が告げられた。本日の早朝、王宮が戒厳令というのものを布告して、統帥府軍監ドーベルウィン伯が戒厳総督に任命されたらしい。『常在戦場』は近衛騎士団や王都警備隊、それにノルト=クラウディス公爵家の二つの騎士団とトーレンス侯爵家の騎士団と共に指揮下に入ったという。


「おい。何か大事おおごとになっていないか?」


「ええ。間違いなく大事おおごとですよ。しかし、どうして戒厳令なんてものが出されたのかは、私にも分かりません」


「しかしその戒厳令ってのは何なんだ?」


「はい。軍監閣下の御命令一つで拘禁が出来るそうです」


 おいおいおい、ドーベルウィン伯は軍人だ。それって結構ヤバくないか。証拠がなくても人を捕らえられるという戒厳令が、ヤバいものだと俺は確信した。だから近衛騎士団や王都警備隊だけではなく、『常在戦場』やノルト=クラウディス家やトーレンス家の騎士団といった私の武装集団までが指揮下に組み入れられたのだな。恐るべし強制力。 


「私はレジドルナに通じる本線。フレミングはムファスタに通じる道。ルカナンスはモンセル、オラトリアはセシメル、マキャリングは南に通じる街道をそれぞれ封鎖しております」


 他にも統帥府へ五百人の隊士が派遣されているという。しかし、どの隊とも連絡が取れていない状態なので、現在、各隊がどんな任務を行っているのかは分からないと、グレックナーは話した。


「軍監閣下が仰るには一週間程度の話だから、それまで頼むと」


 一週間程度・・・・・ 期限が決まっているというのか・・・・・ つまり手仕舞いする算段がある上での行動なのだな。グレックナーも忙しそうなので魔装具を切ったが、戒厳令というものが、相当強制力のあるヤバい代物である事が分かった。しかし俺に何かが出来る筈もなく、その話をウィルゴットに伝えるのが関の山。


 これは俺だけではなくレティも同じで、放課後に学園図書館で戒厳令の話を伝えても、首をかしげるばかり。そもそも戒厳令なんて言葉自体を聞いたことないと話しているので、分からないのは当然だろう。ただ、王国からの追証の件。支払期限が過ぎた『貴族ファンド』の有担保融資の追証の支払いと関係があるのではと指摘した。


「貴族相手だから・・・・・ 強権に出たのかも」


 追証の支払いを行わなかった貴族を逮捕しているのではないかと言うのである。確かに命令一つで拘禁できるとグレックナーが言っていたから、あり得ない話ではない。いや、十分に起こり得ると考えた方がいいな。しかしそれにしても・・・・・ いくら貴族相手とはいえ、一人一人はさして人を動かせる訳でもないのに、少し大仕掛け過ぎやしまいか。


「そうなのよねぇ。もし追証を支払っていない貴族がいたら、事情を聞けばいいだけの話だし、その後で然るべき処置を行えばいいだけだから」


 レティの言うことはもっともだ。先ずは事情を聞いて、それから個別に対処すれば良かったのではないか。カネを払うか払わないかの二択しかないのだから。しかし王国が戒厳令というものを布告して、強権を発動した以上、俺達があれこれ言っても仕方がないだろう。そう思っていると、今まで黙っていたアイリが、突然話し始めた。


「一度クリスティーナに聞いてみたら・・・・・」


 俺とレティはアイリの言葉に目が点になってしまった。それこそ一番の地雷ではないか。国王陛下が布告したという、この戒厳令とやらに宰相閣下がもっとも深く関与しているのは明らかではないか。それを宰相閣下の娘であるクリスに聞くかという話で、クリスが事情を知っていたとしても話せないだろうし、知らなかったとしても困惑するだけだろう。

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