615 級友が為に
月刊誌『翻訳
どうしてイゼーナ伯ではなく、夫人である車椅子ババアばかりが前面に出てくるのかという点。男尊女卑のエレノの原則から考えれば、この部分に大きな違和感を抱く。が、違和感を抱いたところで、俺が知って得するような話は何もなさそうなのだが。するとディールも『翻訳蒟蒻』を読んだからなのか、同じような感想を述べた。
「あんな記事読んで、アテになんかしていたら、確実に見誤ってしまうぞ。冗談じゃなくて家が潰れてしまう」
ディールは『翻訳蒟蒻』の記事を鼻っから信用していないようだ。読んでいて気分が悪くなるとまで言うぐらいなのだから相当なものである。実はディール、今日学園に帰ってきたばかり。ディールは遠縁のポフィヌス子爵家とパイトファイネ男爵家へロバートやリサと共に訪れて、家財の売却に立ち会っていたのである。
なので『翻訳蒟蒻』の特別増刊を見たのは今日が初めて。昨日も出していたぞ、と話すと誰が読むのかと心底呆れていた。貴族子弟にまで言われるようじゃ、『翻訳婚約』もヤキが回ったという事か。俺は話題を変えてクラートについて聞くと、もう既に学園へ戻ってきているそうだ。じゃあ、ディールとは別行動だったのか。
「最初にアルボルータ男爵家へ訪れたからな」
クラート子爵家の遠縁、アルボルーダ男爵は早々に爵位の返上を決断していた事もあって、最初にという流れになったのだという。しかしディールの話をよく聞くと、それは建前に過ぎず、実際のところはクラートの負担を減らす為だったようである。ディールはクラートと自分の遠縁、合わせて三つの貴族家の売り払いに立ち会った。
「三家とも中々の価格で引き取ってもらって、安堵しているよ」
「それは良かった」
どの家も家財に三〇〇〇万ラントから四〇〇〇万ラントの値が付いたと喜んでいたらしい。話を聞くに、ロバートとリサはかなり値を叩いたそうだが。しかし安心しているディールを見ると、そんな事など言える筈もない。なので俺は内心困っていたのだが、幸いな事にディールから話題を変えてくれた。同じクラスの男爵息女テナントについてである。
「ウチの家にカタリナが来てさぁ・・・・・」
「えっ! 子爵邸に来たのか?」
カタリナとはテナントのファーストネーム。宰相閣下が記者会見を行って以降、クラスに顔を出していない。王国から小麦特別融資の追証を請求された、貴族家の子弟の多くが学園から消えた。テナントも他の子弟に倣い、家に帰ってそのまま留まっている状態。そのテナントが、ディールの家にまでやって来たというのだ。
「男爵夫妻や兄弟と一緒にな」
「そうか・・・・・」
家族も一緒かぁ。テナントは四人兄弟の三番目。姉、兄、テナント、そして弟。姉は今年学園を卒業、兄は四年生だそうだ。しかし、こんな話で家族全員でディール子爵家に押しかけてくるなんて、こちらでは中々想像が付かない感覚である。テナントの家族がディール家にやってきたきっかけは、休日にテナント封書が届いた事から。
テナント男爵夫妻がディール子爵邸へ訪問したいとの封書が届いたのが始まり。送り主はテナント、送り先はディール。二人は馬が合うのか、以前から非常に仲が良かった。ディールは今やクラートと婚約する予定の身なのだが、カタリナと名前呼びをするテナントとの関係は変わらないようである。しかし訪問するとすれば・・・・・
「王国から送られてきた請求書の件についてだよ」
やはり婚約の申し入れではなかったか。確率は限りなく低い話だが、親も一緒に付いてきたので、もしかするとと思ったのである。結果は惨敗だったが、代わりにテナント男爵家が小麦特別融資を受けていたのを思い出した。しかしテナント家はディール家への訪問に際して、どうしてカタリナを介して求めてきたのか。随分、変則な申し入れだな。
「同じ派閥だけど、家と家で行き来がある訳ではないからな」
ディールは実情を話してくれた。テナント男爵家はディール子爵家と同じく旧アウストラリス派に属する貴族。ところがテナント男爵家はレグニアーレ侯爵家と近い家柄で、どちらかと言えばゴデル=ハルゼイ侯やヴァンデミエール伯とのつるみが多かったディール子爵家とは、人脈的な接点が少なかったのだという。
「同じ派閥でも遠いと」
「まぁ、貴族派の最大派閥だからな。有力者だらけだし」
ディールの言葉にアンドリュース侯が思い浮かんだ。アウストラリス派の副領袖と称されながら、領袖であった元公爵アウストラリス不在の中、同じ派閥のゴデル=ハルゼイ侯の方に人が集まっている現状。ディールが「有力者だらけ」と表現したのも頷ける。しかしテナントの家はレグニアーレ候と近いのか。俺が黒屋根の屋敷を買った貴族だ。
「爵位の返上について相談したいと話があったんだ」
「テナントからか?」
「親からの頼みだったようだが」
事情としてはこうだ。王国から出された請求書に記載されている、小麦特別融資の有担保融資の追証をどのようにするべきか。まず払うカネは何処にもない。あまりにも多額な為、用立てるのは不可能。しかし徳政令を待っても、平民とは違って貴族に出される気配がない。だがテナント家の周りにいる貴族達は皆、徳政令が出るのを確信していた。
「相手あってのものだぞ。向こう側が出す気がないのに、出る筈がないじゃないか」
「いや、そうなんだけどさぁ。出ると思っているのさ」
「何だ、その謎の自信は。徳政令が出るって根拠あるのか?」
「その根拠がなくてもさぁ、自信があるのが貴族なんだよ!」
俺だけではなく、話しているディール自身も呆れている。流石はエレノ世界だよな、その辺りは。レグニアーレ侯や側近達はゴデル=ハルゼイ侯ら派内の有力者と提携して、徳政令を出す運動をしているから大丈夫と高を括っているのに不安を持ったテナント男爵は、家族に相談。家族会議の中でテナントが、ディール家の話を持ち出したと。
「男爵御夫妻がレグニアーレ候に近くて、爵位の返上なんて話せるような雰囲気ではないらしいんだ」
テナント男爵夫人はレグニアーレ侯の陪臣レルグブルン子爵家の出身。テナント男爵の母もレグニアーレ侯の親族、グルオン=レグニアーレ男爵家の出身という事情もあって、家の人脈が全てレグニアーレ侯爵近辺に集まっている現状。他のグループの貴族と話をしたくとも、それが許されぬ環境が醸成されていた。要は蛸壺状態ということ。
「アンドリュース侯と近いって事で、我が家と相談したいって話になったようだ」
ディール子爵家。というよりディール子爵夫人がアンドリュース侯に近づいて、貴族会議の建議に事実上反対した話は、派内で広く知られた話らしい。実際にはそうではないが、思い込みが激しいのが貴族だとディールから諭されたので、貴族ではない俺はその論を受け入れるしかなかった。いずれにせよ、テナント男爵は蛸壺から脱しようとしたのである。
「で、話は?」
「順調だったよ。母上がとやかく言うまでもなく、爵位の返上をお決めになられた。前の日に出た、宰相閣下の御親族の話が相当効いたようだ」
クラウディス=カシューガ子爵の爵位返上の話だな。それを知ったテナント男爵は、宰相閣下の御親族ですら追証の支払いから逃れる術がないのに、我が家が逃れられよう筈もないと確信したらしい。レグニアーレ侯らが内大臣府へ徳政令の申し入れを行おうとしたが、門前払いを食らってしまった話も知ってしまった。
「男爵はもう無理だと思ったそうだ。夫人の実家もかなりの額の小麦特別融資を受けているそうなのだが、夫人の兄上は大丈夫だと言うばかりで、不安で仕方がないとお泣きになられて・・・・・」
それにつられてカタリナとカタリナの姉までもが泣いてしまったので、どうすればいいか分からず困ったよとディールは言う。そりゃ、困るわ。慰めようがないじゃないか。俺だってあの元気なクラートが、自分の家の遠縁が小麦特別融資を受けているのを知ってしまい、一気に沈んでしまった表情を見せたときにはどうしようか困ったからな。
「だから言ったんだよ。爵位の返上と所領の返還を行って融資を免責して頂いた上で、当面は売り払った家財で生活を立てる話を」
するとディール子爵夫人が、つかさず遠縁のポフィヌス子爵家とパイトファイネ男爵家が家財を売り払った話をした。両家とも爵位の返上と所領の返還を内大臣府へ申し入れた上で家財一切を売り払い、裸一貫。一から出直す覚悟で動いておりますと、子爵夫人が熱弁を振るうと、泣いていた男爵夫人と二人の娘は泣き止んだ。
これを見たテナント男爵は、爵位の返上と所領の返還をその場で決断。届け出最終日である明日にも、男爵単独で申し入れすると話した。明日というのはつまりは今日。これを聞いたテナントら家族全員もこれに賛同したので、テナント男爵は本日、内大臣府に赴くという形で纏まった。そこでディールの話が止まる。
「そこで頼みなんだが・・・・・」
「言わなくても分かるよ」
「グレン・・・・・」
テナント男爵家の家財の売り払いだろ。俺はその場で魔装具を取り出し、リサに連絡を取った。結果は勿論「請け負う」。これからクラウディス=カシューガ子爵領へ向かうところだというので、ナイスタイミング。俺とリサとの会話を聞いていたディールは、「相変わらずアルフォードの仕事は速い」と感嘆している。
「これでカタリナも喜ぶよ。お前に頼むと言ったら、受けてくれるかしらと不安がっていたからな」
「どうしてだ?」
「困った時だけ頼むのにって・・・・・」
確かにな。自分が困っている時
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