614 我、捨て石にならん

 クリスが学園に戻ってきたので、俺達はロタスティの個室で会食を持った。出席したのは俺とアイリ、レティと、クリスの二人の従者。トーマスとシャロン。いつもの六人。気心の知れたメンバーとの夕食。色々な出来事があって、場が持てなかった事を考えると、これがかけがえのない時間なのだと改めて思う。


「子爵閣下をようやく説得できて良かったなぁ」


「実は・・・・・ 私が戻った際には既に話が出来ていたのです」


 俺が労うと、意外な言葉が返ってきた。クリスがクラウディス=カシューガ子爵の説得に再び赴こうと公爵邸へ戻ると、子爵の方が上京してくるという話。宰相閣下が書状を送り、子爵はそれに従って王都に来る事になっていたらしい。それを執事長のベスパータルト子爵から聞いた時、クリスはどうして突然心変わりをしたのだろうと訝しがったそうだ。


「あれ程までに頑なだったカシューガ子爵が、どうして父上の書状一つで態度が変わったのか、私には全く分かりませんでした」


 その話を聞いた時の心境について、クリスはそう語った。ワインを口に含ませた表情を見るに、悔しいとか腹立たしいとか、そういった感じではなさそうである。意外な展開に拍子抜けをしたと言ったところか。クラウディス=カシューガ子爵は、上京するなり公爵邸で宰相閣下と会見し、その場で爵位の返上と所領の返還を表明した。


「すぐにお決めになられたのね」


 話を聞いたレティが言う。「すぐでした」というクリスに、レティは王都に来るまでに決められていたのねと指摘した。確かにそうなのだろうが「話ができていた」というクリスの言葉が気にかかる。すると、クリスの方からその意味に関する説明があった。要は宰相閣下が、クラウディス=カシューガ子爵に爵位の返上と所領の返還を促したのである。


「「躊躇する貴族達の先駆けになって欲しい」。そのように書かれていたそうです」


 先駆け・・・・・ 宰相閣下は親族であるクラウディス=カシューガ子爵に先陣を切るように伝えたのか。その書状を見た子爵は「一門として、今こそお役に立たねばならぬ」と上京を決意。王都にやってきたというのである。だから話が出来ていたと言ったのだな。しかし宰相閣下、この局面で親族に一門としての覚悟を求めてくるとは。


「我が死に場所、ここに在りとの心境だと仰られて・・・・・」


 宰相閣下の求めに応じ、陪臣共々爵位の返還と所領の返納を決意した心境について、そのように語った。つまり自ら進んで、人身御供ひとみごくうとならんと言うことか。貴族しての決死の覚悟を求める宰相閣下と、それに応じたクラウディス=カシューガ子爵。この辺りの二人の気持ちが、俺にはイマイチ理解できない。


 ノルデン貴族ならではの何かがあるのだろうか。親族であるにも関わらず、宰相は率先して犠牲になるように求め、子爵は嬉々としてそれに従った。普通、親族ならば権力を使って優先的に子爵を守るだろうし、子爵もそれを求めるだろう。しかし二人はそれをしなかった訳で、貴族でない俺には全く理解出来ない部分だ。


 それが貴族のプライドというものなのだろうか? いずれにせよクラウディス=カシューガ子爵は決断した。これを聞いたクリスは家財一切の売り払いを提案すると、クラウディス=カシューガ子爵は初めは驚いていたが話を聞いて大いに喜び、その提案を受け入れたそうである。そしてそのまま、リサに連絡したと。


「リサに直接?」


「ええ。トーマスを通じまして・・・・・」


 俺が唖然としてトーマスを見ると、何かバツの悪そうな顔をしている。仕方がなかったんだよと言いたげだ。隣のシャロンが澄ました顔をしているので、その対比が何故か笑えた。しかし、それであればすぐに解決したのだから、学園に戻ってくればよかったものをどうして今頃に・・・・・ そう思っていると、クリスが話した。


「見届けてからにしたかったのです」


「確認したかったのですね」


「ええ」


 アイリの言葉にクリスが頷いた。このクリスの気持ちは分かる。目の前にある事だけ・・を信じるが故、クラウディス=カシューガ子爵が爵位の返上と書類の返還を内大臣府に申し入れるのを見届けないと気がすまなかったのだ。子爵の言葉を信じていないという訳では無いのだが、人は揺らぐのでいつ変わるか分からない。


 ああ終わった終わったと思って、実際には聞いていた話と違っていたら悔しいじゃないか。だからこの目で実際に確認作業をしていれば、そのような思いをせずに済む。信じた自分が馬鹿だったにはなりたくない。だからクリスは屋敷に留まり、クラウディス=カシューガ子爵の行く末を見届けたのだ。俺はクリスの気持ちが凄く分かる。


「納得できたか?」


「ええ、納得できました」


 晴れ晴れとした顔で話すクリス。今日は気分がいいのか、いつもに比べてワインのピッチが速い。それにつられてか、アイリがもう酔い潰れていた。しかし、酔い潰れるヒロインなんて・・・・・ まぁ、そんなヒロインに飲ませている俺も悪いのだが、もう一人のヒロインがグビッとあおっていると、こちらの方も大概だろう。


「誰も周りの顔色を窺って言い出せないのを御親族に爵位の返上を求められ、それで様子を見ていた貴族達に促されるなんてねぇ」


「そうでもしないと、皆踏み出せなかったという事だろう」


「ええ、そうなのでしょうけれど、宰相閣下の御親族だからこそ踏み出せたのよ」


 俺の指摘に対して、レティは言う。ゴデル=ハルゼイ侯を初めとした有力貴族が声高に徳政令を訴えているのに、それを無視して爵位の返上をするのはすごくハードルの高い行動だと。やろうと思っていたとしても、やらないといけないと思っていても、貴族社会の掟の中、有力貴族達の声の前には何も言えなくなってしまう。


 貴族社会の村八分を誰しもが恐れているから、踏み切りたくても中々踏み切れない事情があるのだと、真顔でそう言った。グラス片手というのが何ともなのだが、真顔というのが珍しい。レティがそのような顔をして言うくらいなのだから、やはり貴族社会の村八分というものは、想像以上に恐ろしいものであるようだ。


「クラウディス=カシューガ子爵の御決断で、多くの貴族が決断するわ」


「そうであればいいですわね」


 レティの言葉にクリスが応じた。現状『貴族ファンド』から借りた、膨大な融資の追証を払うよりも、爵位の返上と所領の返還をした方が遥かに負担は少ない。貴族としてのプライドと、代々受け継いできた生きていく糧は失うが、それを維持しようとしても先立つものは何もない。結局はよりまし・・・・選択をせざる得ないと。


「じゃあ、爵位の返上と所領の返還をしなければどうなるんだろうなぁ」


 話が佳境に入る中、俺がそう言うと、それまで喋っていたレティとクリスが黙ってしまった。トーマスとシャロンが固まっているのを見るに、どうやらそれは言ってはいけない言葉だったようである。しかし、ディールが言っていたんだよなぁ。爵位の返上と所領の返還を行わなければ奪爵されると。しかし、二人から、どうなるかの回答は得られなかった。


 ――『翻訳蒟蒻こんにゃく』の勢いが止まらない。なんと特別増刊と称して、昨日に続いて今日も発行したのである。一昨日の号外を合わせれば三日連続での発行。これならば日刊紙をやれるのではないかと言った感じだ。ただ問題は中身で、貴族の徳政令一本槍なので芸がない。雑誌の端から端まで徳政令一緒に染まっているから食傷もいいところ。


 元々貴族寄りのスタンスな上に、貴族の徳政令を強く主張してきた『翻訳蒟蒻』。しかし、ここ連日の気合いの入り方は尋常ではない。女編集長のセント・ローズの記名記事と、オーナー家である車椅子ババアこと、イゼーナ伯爵夫人の記名記事の豪華二本立てを三日連続で掲載。よくもまぁ、同じネタで同じような話を書き続ける事が出来るものだ。


 今日は「今こそ必要、貴族の徳政令!」というセント・ローズの記事と、「王国存亡の為には徳政令の声を聞くべし!」というイゼーナ伯爵夫人の記事。というか、これはもう記事じゃなくて、単なる作文。これでは最早、雑誌とすら言えないのではないか? 何というか、タチの悪い自己啓発雑誌とかインチキ情報満載の起業誌に見えてくる。


 特に車椅子ババアの記事のヤバさは尋常ではなく、早急に貴族への徳政令を出さなければノルデン王国が終わってしまうと言わんばかりに書き立てていた。終わるのはノルデン王国ではなく、おたくら・・・・だけだと思うのだが、とにかく今にも地球が滅亡するかの勢いの文章。ここまで宗教っていれば、読んだ者全てが引いてしまうのではないか。


 しかしこれ程までに鬼気迫るというか、狂気じみた書き方をしているのは、効いているのは間違いない。おっと、堪えていると言った方がいいのだろうな。だが、いくら紙面でそんな事を訴えようが、ここはエレノ世界。現実世界なんかとは違って、仮に世論が動いたとしても、国の大事を決められるのは国王陛下唯一人。


 議会もなく、平民どころか貴族にも投票らしきものすらない。昔で言う専制君主国家のようなもの。まぁ、今までの経緯を見れば、それはあくまで建前にしか過ぎないのだろうが、建前であろうと事実は事実。現に、国王陛下御宸筆ごしんぴつの請求書が王国より送られているのに、逃れる術なぞある筈もない。


 それがいくら一方的であろうと、国王陛下御自ら追証の払いを通告された以上、このエレノで阻む手立ては無かった。「ペンは剣よりも強し」というが、実際には「ペンはけんよりも弱し」なのである。これ程、間違ったことわざはないのではないか。よくよく考えれば、エレノがあまりにも露骨過ぎて分かりやすいだけの話。


 実際には現実世界でも大して変わらないのではないか。いずれにせよ、圧倒的な権力の前にはペンは無力。だから車椅子ババアが貴族家という立場を使ってどれだけ吠えようとも、事態が動くはずもない。いくら貴族の権威を以てしてもそれ以上の権力ちからの前には、ただひれ伏すしかないのである。

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