612 爵位の返上
ディールが学園へ帰ってきた。とは言っても休日だったので、帰ってきたという封書が寮の受付に届いていたのだが。従兄妹であり婚約内定者でもあるクラートも学園へ戻ってきたらしい。さて、結果の方だが、ディールの方は二家とも上手く行ったそうだが、クラートの方はトマーナ子爵家の説得が出来なかったようである。
同じ縁者である、アルボルーダ男爵の方は納得したというのに・・・・・まぁ、こればかりは相手があっての話なので、アレコレ言ってもしょうがない。ディールと封書のやり取りをして、ロタスティの個室でクラートと会うと、やはりそうだが表情は暗い。いつもは気が強くて賑やかなクラートだが、トマーナ子爵の説得が上手くいかず、悔しいのだろう。
「トマーナ子爵は、聞き入れて貰えませんでした」
クラートはそう言うと、その経緯を話してくれた。母親であるクラート子爵夫人と共にトマーナ子爵領を訪れ、王国からの提案である爵位の返上と所領の返還を受け入れて、家財一切を売り払うという案を子爵に行った。ところが子爵は二人の案に難色を示したのである。その理由は王国の
「子爵位の返上に値するような行為ではないと申されて・・・・・」
クラート子爵夫人はトマーナ子爵に、アウストラリス公は爵位を返上され、所領も返納されたが故に何ら問われる事はなかったが、レジドルナ守護職であるドファール子爵は奪爵されて、厳しい罰が下されたと告げた。しかしトマーナ子爵は「私はそこまでの行為をしてはいない」と言って、頑として聞き入れようとはしなかったらしい。
「最後には母上も諦められました」
「匙を投げられたのだな」
そりゃそうだよなぁ。自分がやらかしておきながら「罪に問われるような事はやっていない」と居直るのだから。そもそも王国からカネを払えと請求されている時点で察しろよと思う。大体この手の人間は、事態が大きくなっても自分のやらかしなんか、さっさと棚に上げて、「こんな事になるとは」とか「明らかにやりすぎだ」と言うに決まっている。
「クラート。よくやったな。やるだけの事はやったんだ。何も悔やまなくてもいいぞ」
話を聞いた俺は、クラートを激励した。最善を尽くしたクラートには何の落ち度もない。何でもそうだが、最終的には当人の責任。結局のところm周りができるのはアドバイスが限界なのである。それは銭カネ出そうが、モノを出そうが、本質的には変わりはない。ディールが俺に続いた。
「そうだよ。グレンが言うようにやれる限りの事はやった。シャルは何も悪くない」
「でも・・・・・ 家財の買取の話まで纏めてくれたのに、申し訳なくて・・・・・」
「そんな事、気にしなくてもいいよ。その分、トマーナ子爵が困った時には相談に乗ってやればいい」
「そ、相談に・・・・・」
俺の言葉にクラートが驚いている。袖にされた遠縁からの相談を受けろと言われて、「えっ」と思ったのだろう。しかしこれは生きていく為には重要な儀式。
「嫌だろうが、聞くだけでも聞けばいい。こちらの行為を袖にしたんだから、出来ない事を断っても文句は言えないだろ」
「あ! グレン。その時に無茶な要望をされても断る名分が出来たって事か?」
「そうだ。こちらは事前に誠心誠意やってんだから、出来ない事は出来ないとキッパリ言えるだろ。その代わり出来る事、力になれる事は全力で当たればいいんだ」
「誰にも文句を言われる筋合いはないもんな」
正しくその通り。だから腹が立ってもやれる限りの事はしなければいけない。少なくともクラートは人から後ろ指を指されないくらいの事をトマーナ子爵の為にやっているのだから、文句を言われる筋合いは全く無いのである。言ったとすれば、それはお門違い。その時にはトマーナ子爵にしっかり言ってやればいいのだ。
「ありがとう・・・・・」
俺達の話を聞いてクラートが少し元気になった。ディールが「俺も行けば・・・・・」と言うので、「行っても初対面だし、相手の意思は変わらないと思うぜ」と返すと、それもそうだとディールが頷く。本当の事だからしょうがない。それを見たクラートが「まだ正式に婚約もしていないのよ」と笑い始めた。そうだったな、二人はまだ婚約予定だった。
「ゴメンな。俺が力になれなくて・・・・・ ウチも母上が説得して纏めちゃったから、俺の出番なんて無かったんだよ」
「それは言うまでもないじゃん。ディール子爵夫人の一人舞台なのは分かってるし」
「まぁ、それはそうなんだけどさ」
ディールが苦笑した。ディールとディールの次兄で嫡嗣となったジャマールを連れ、遠縁であるポフィヌス子爵家とパイトファイネ男爵を説得する為、両家の屋敷に訪れた子爵夫人は小麦特別融資を巡る状況を詳しく話した。その上で、最早爵位の返上と所領の返還を以て対処する以外に途はないと断言したという。
「今決断しないと、我が夫と同じ憂き目に遭うって言っちゃったもんだから・・・・・」
「それって、暴露してるじゃん!」
「そうなんだよ。それでポフィヌス子爵もパイトファイネ男爵も、そちらの話ばかりを聞かれて・・・・・」
完全に本題から逸れているじゃないか。ディール子爵夫人は夫と長男、そしてクラート子爵の三人が、子爵領で義母の監督下に置かれていると話をしたそうだ。二人共、その話に釘付けだったというのだから、最早何の為に訪れたのかは分からない。いやぁ、他家へ行って自爆するとは。ディール子爵夫人も相変わらず飛ばしているなぁ。実にヤバい。
「それでどうなったんだ?」
「だったら母上の話に従った方が安全だなと申されて、お二人共、爵位の返上と所領の返還に同意されたよ。家財も全て売り払う話も決まったよ」
なんてこった! 全く違う話をしているのに説得成功なんて無茶過ぎるだろ。ディール子爵夫人の無茶芸には唖然とさせられる。なので俺は、ディールから話を聞いて目が点になっているクラートに言った。
「クラート。子爵夫人のような域に達しないと説得できないようだぜ」
「そんな事。私には無理です」
「だから、気にする必要なんてないんだ。ディール子爵夫人の方がおかしい!」
これには二人が笑いだした。だってそうだろう。爵位の返上を説得しに行ったのに、何故か旦那を押し込めた話を始めて、それを聞いた遠縁らが自ら進んで夫人に従ったなんて、一体どんなコントなんだ? 俺達と話をして気が晴れたのか、クラートも少し元気になったので一安心した。しかし、追証の払いを迫られている貴族達の胸中に去来するものは何か。
ノルデン貴族の気質や性質なんてものを俺が把握できる筈もないので、その辺りの心情について俺にはイマイチ分からない。が、週明け。そんな貴族達が間違いなく衝撃を受けるであろうニュースが飛び込んできた。宰相閣下の親族、クラウディス=カシューガ子爵が爵位の返上と所領の返還を決意したというのである。
「クリスが遂に説得できたか」
「クラウディス=カシューガ子爵、爵位の返上を決断!」という見出しを付けた記事は『無限トランク』が号外を出して伝えた独占スクープ。先日、ハンナをけしかけて『
それよりもクラウディス=カシューガ子爵の話。『貴族ファンド』から小麦特別融資を受けていた子爵に対し、王国から有担保融資の追証が請求された。しかしその融資で買った小麦は今や二束三文。小麦を売って支払うには遠く及ばない。追証は多額であり、全く支払える見込みがないとの本人の証言が生々しい。
そこでクラウディス=カシューガ子爵は国王陛下からの思し召しである「爵位の返上と所領の返納を以て、支払いを免除する」旨の受け入れる決断を行い、今日にも同じ状況に置かれている二人の陪臣と共に内大臣府に赴いて申し入れるとの事。子爵は「我が無力によって、陛下の慈悲に御縋りしなければならないのは、不徳の致す限り」と述べている。
しかし貴族の本音がここまで書かれた記事が出るのは初めてではないか。体面を重視する貴族が自分から醜態を曝け出すなんて、先ずあり得なかった話。それが『無限トランク』の記事という形によって広く世間に伝えられるなんて、以前では考えられなかった事である。エレノ世界は今、大きく変わろうとしていた。
宰相閣下の親族でさえも下したこの決断。裏を返せば宰相閣下が追証の補填や減免を行う助け舟を出さなかった訳で、たとえ親族であっても特別な便宜は図られないという強いメッセージともなろう。宰相閣下がクリスに言ったという「公平にして公正」という言葉は、こういった所で証明された形となったのである。
このクラウディス=カシューガ子爵の爵位の返上と所領の返納の受け入れ表明は、同じく追証を求められた貴族達の動向に大きな影響を及ぼすだろうと記事は締めくくっていた。しかし、いくら影響を及ぼすとは言っても、王国から出された請求書の納付期限は明後日。今日を含めて三日しかない訳で、もう時間がない。
特に自分の所領に住む貴族らにとっては、タイムリミットを過ぎている。もし仮に今日出立したとしても、高速馬車を使っても、モンセル、レジドルナ辺りに所領を持つ貴族が到着できるかどうか。多くの貴族は普通の馬車で向かうであろうから、多数の貴族は明後日までに王都に到着出来ないだろう。この辺りの扱いはどうなるのか。
以前、貴族会議の開催を巡った委任状集めの際に知ったのだが、委任状の真偽を確かめる為、提出期限後十日間をその確認に費やす予定であった。この時には、宰相閣下と元公爵アウストラリスとの取引によって、確認を行わずに貴族会議を開催する話になったのだが、王国では最も遠い所領を持つ貴族家との間で往復十日はかかると見ているのである。
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