610 悶着
王国から小麦特別融資の追証の支払いを請求された貴族達が、ゴデル=ハルゼイ侯を先頭に徳政令の請願を出すべく内大臣府に押しかけたのだが、その受け取りを拒否された上に追い返された。ハンナの口から、とんでもない茶番がグレックナーの魔装具越しに伝えられた。
「今し方ですわ。お昼を過ぎた辺りの話です」
俺が聞くと、そんな答えが返ってきた。つい先程の話なのだな。随分とホットな話題だ。ハンナはゴデル=ハルゼイ候と共に押しかけた貴族の名を挙げる。リュクサンブール伯をはじめ、エルベール派のシュミット伯、バーデット派のカーライル伯爵、そしてランドレス派のランドレス伯。
名前だけ聞けば
俺が聞くとその事情を話してくれた。たまたま実家であるブラント子爵邸へ帰った際、ブベークル男爵という貴族が飛び込んできたからだという。このブベークル男爵。ランドレス派に属していた貴族だそうなのだが、ブラント子爵らと行動を共にして、ランドレス伯と袂を分かった。
「出生届を出しに内大臣府へ赴かれておりましたブベークル男爵が、たまたまその顛末を目撃なされていましたの。それで我が家へお越しに」
貴族会議開催の是非を巡ってブラント子爵が造反した際、以前から派閥に不満を持っていたブベークル男爵を誘ったらしい。なので、男爵はランドレス伯をはじめとする派閥幹部が小麦特別融資を勧めてきても、その話には乗らなかったという。結果、ブベークル男爵は危地をかわしたのである。
そのような事情から、ブラント子爵とは
「貴族譜に載せないといけませんの」
ハンナがそう話した。王宮で保管されている貴族譜に名を連ねなければ、ノルデン貴族として認められないらしい。出身成分を規定するのが教会の役割であって、家の継承等を司るのはあくまで王国。貴族譜に名を載せなければ、家の継承もままならぬという。俺は貴族じゃないのでそんな話、分かる筈もない。ブベークル男爵は我が子を貴族譜に載せたのである。
「ブベークル男爵のお話を聞きまして、その場で屯所へ向かいましたの。そこで夫を捕まえまして・・・・・」
相変わらず、とんでもない行動力だな。ハンナは屯所で捕まえた
家事一切は全く出来ず、生活力はないらしいが、それでもグレックナーとの夫婦生活が破綻しているようには見えないので、あの華奢な身体の中に人知れぬパワーを隠し持っているのだろう。しかし話は変わってグレックナー、内大臣府で騒動が起こったから呼ばれたのだろうか。近衛騎士団が動いているという話を聞くと、素直にそう思ってしまう。
「多いにあり得ますわ」
ハンナは俺の観測を肯定した。王宮有事を踏まえた動きではないかと言うのである。確かに貴族の排除に近衛騎士団が出動って、不穏以外何者でもない話だからな。内大臣府の外では貴族達が連れてきた護衛騎士や衛士らが控えているだろうし、侯爵クラスともなれば、独自に騎士団を有している。ある意味、一触即発の事態と言ってもいい。
しかし普通に考えて、貴族が追い返されるなんて考えられないよな。こんな事はそうそう無いのではないかと聞くと、まずあり得ないとのハンナの答え。何故ならば貴族が王宮に上がる際には事前に使者を立て、確認を取った上で時間をすり合わせてから、
ハンナから聞いて思い出したのは、アンドリュース侯が自家の騎士団、アンドリュース騎士団へ『常在戦場』の隊士の加入斡旋を求めてきた時の話。まず学園に家宰であるブロンテット男爵を遣わし、嫡嗣アルツールの訪問受け入れの可否を問うた上で、日時の確認を行う為男爵が再訪。それからアルツールがやってきた。
あの時、アンドリュース侯爵家はなんて面倒くさくて煩雑な手続きをするのかと思っていたが、王宮とのやり取りをそのまま行っていたのだな。そういった視点から見れば、アンドリュース侯爵家のそれは非常に律儀。しかしそれくらい手続きにうるさい筈の貴族達が、どうして内大臣府から叩き出されるという無様な事態となったのか?
「考えられませんが、参代の御連絡をなさっておられなかったのではないかと思いますわ」
そう話すハンナ。ハンナが前置きするように「考えられない」が、起こっている事象を見れば、事前連絡が為されていなかったと思われても仕方がない。ただ陛下との拝謁の際に見たゴデル=ハルゼイ侯は、体裁には煩そうな感じだった。それを考慮に入れると、内大臣府に押しかけた貴族達は、内大臣府には連絡を入れた筈。つまり、理由は別にあると。
「もしかすると、事前連絡を突っ返された可能性があるなぁ」
「えっ?」
「王宮から貴族達に送られてきた書簡には、問い合わせ不可と書いてあったし」
「ああっ、そんな事を・・・・・」
ハンナは、『小麦ファンド』の融資を受けた貴族達に向けて王宮が送った請求書の内容について、その全てを把握していなかった。あくまで『
「でしたら、いくら通知しましても、内府様がお会いになど、なさいませんですわ。しかし皆様、よくお分かりの筈・・・・・」
「それだけ切羽詰まっているんだろうなぁ」
「はい。ですが、爵位の返上をなされた貴族家の方を私は存じておりません」
レティがエルダース伯爵夫人から得た情報と同じような話をハンナがした。ハンナが知る限り、未だ爵位の返上を行った貴族はいないという。ハンナのような地獄耳で引っかからないのであれば、ほぼ間違いない情報だと考えていいのだろう。俺がハンナにその理由を問うと、レティと話した時に思った俺の感覚とは少し異なった意見が返ってきた。
「皆様に御遠慮なされて、申し入れをなされないのでは」
「周りの目が気になってか?」
「これほど有力な方々が徳政令を求められますと・・・・・」
「白眼視されるって事か・・・・・」
「はい」
同調圧力に負けて、自分から言い出せないって話か。俺には全くない概念だったので、正直戸惑った。ゴデル=ハルゼイ侯ら有力貴族が借金をチャラにしようと動いているのに、それに冷水を浴びせかけるような行動でも取ろうものなら村八分に合ってしまう。それを恐れて爵位の返上を申し入れ出来ないのだろうと、ハンナが分析したのである。
「村八分を恐れてって、ムラそのものが燃えているのに、恐れてどうするんだよ!」
「まさしくその通りですわ!」
ハンナが大いに笑った。今、ケツに火が付いているような状況下、この期に及んで何を考えているのか。そう言ってやりたい気分である。もし爵位の返上と所領の返還を行わなければ、追証や小麦の保管料がチャラにならず、支払い義務が生じる。その後は・・・・・ ディールが言っていたように「奪爵」になってしまうのか・・・・・
「来週ですものね」
「追証の支払期限がな」
「皆様が内大臣府へ内大臣府へ押しかけた理由はそれでしょうし」
俺とハンナはゴデル=ハルゼイ侯らの押しかけた理由が、追証にあるという認識で一致した。小麦特別融資の有担保融資の追証を払わず、爵位の返上や所領の返納をしないようにするには、支払いの棒引きしかない。だから徳政令だ、と言った感じなのだろう。しかし、押しかけても門前払いを食らわさせられるくらい、想像が出来ないのか?
「気付かれる筈がありませんわ。これまでまかり通して来られましたもの」
ハンナはさらりと言った。まぁ、それは動かしようのない事実。しかし今、その横車が通用しなくなったという訳だ。だが貴族会議があのような形で終わり、元公爵アウストラリスがああいった形で詰め腹を切っているのも関わらず、なおも平常運転だという点が気になる部分。刻一刻と状況は変化しているのに、少し鈍感過ぎるのではと思う。
しかし今日のハンナ、珍しく刺々しいな。いつもはおっとりと話すだけのハンナだが、『貴族ファンド』でカネを借りて小麦相場でエキサイトした挙げ句、悪態をつく貴族達に腹に据えかねているのだろう。その時、ふと思った。だったら、それを俺に言うだけではなく、もっと世の中の人々にお知らせした方がいいんじゃないのか? 俺はハンナに一つの提案をした。
「この話、『
「今の話を・・・・・ ですか?」
「ああ。俺一人が聞くのは勿体ないよ。こういう話は皆にも教えてあげなきゃ」
「教えて上げないと・・・・・ って!」
ハンナが笑っている。貴族。それも名のある高位貴族らが『貴族ファンド』の借金棒引きを訴えるも、王宮の玄関先である内大臣府で門前払いされた上に叩き出された。挙げ句に近衛騎士団まで内大臣府に呼ばれる始末。これを知った民衆がどう考えるのか、試してみるのも一興というものではないか。ならば『小箱の放置』へ、レッツゴー三匹だ!
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