609 内大臣府

 俺達を襲撃したナシデルらレジドルナの冒険者ギルド登録者達。本人達だけではなく、総族全てが罪に問われ『煉獄れんごくの刑』に処せられる事が決まった。しかしレジドルナに移送され、事情を何も知らぬまま刑に処せられる親族と対面した時、彼らはどのような言い訳をするのだろうか。俺はそちらの方が気になった。


 あくまで執行側が手を下さず、一族にケジメを付けさせるというエレノの処罰法。ある意味、執行人がいる処刑よりも残酷だと言えよう。『週刊トラニアス』の記事でお腹いっぱいになったので、他誌の号外に目を向けると、こちらの方は『貴族ファンド』の徳政令問題一色。ただ、その扱いは雑誌によって全く異なる。


 「貴族へも無条件で徳政令を!」「貴族への徳政令は王国を安定させる」といった見出しを押し出したのは『翻訳蒟蒻こんにゃく』。言うまでもなく、貴族より全開の姿勢を打ち出している。記事によれば、貴族達が集まって近々「徳政令を求める請願」を行う予定だと言う。その中心人物はゴデル=ハルゼイ侯。


 その他、レグニアーレ侯やカーライル伯、シュミット伯、リュクサンブール伯、ランドレス伯等が発起人として名を連ねている。いずれも『貴族ファンド』から多額の小麦特別融資を受けている貴族。レグニアーレ侯は旧アウストラリス派、カーライル伯は貴族派第三派閥のバーデット派、シュミット伯は貴族派第二派閥のエルベール派。


 リュクサンブール伯は国王派、いや今や王妃派というべきであるウェストウィック派、そしてランドレス伯は貴族派第四派閥ランドレス派の領袖。ランドレス伯を除けば、全て高位家と呼ばれる名門貴族。しかし彼らが纏まって請願を行うというのは、どんな事をしても徳政令を勝ち取らなければならないのだろう。


 それは今の状況の裏返しとも言える。要は苦境に立たされているのだ。しかし国王御璽まで捺印された請求書の前で、貴族が徒党を組んでの請願がどれ程の力があるのか、見ものである。そんな『翻訳蒟蒻』とは対極に位置しているのが『無限トランク』。こちらの方は「『貴族ファンド』は免責は必要か?」という、これまでにないくらいの挑発的なタイトルを掲げた。


 それによると『貴族ファンド』の小麦特別融資は小麦の名を冠しているものの、凶作で手に入りづらくなった小麦を調達する為の融資ではなく、結果として民衆がより小麦を手に入れられなくするようになるものだった。小麦難に陥らせ、民衆を苦しめた元凶である『貴族ファンド』の融資を免責する理由は欠片もないと、激烈なトーンで断じたのである。


 貴族会議以降、貴族に対する風当たりは急速に強まってはいたが、ここまで厳しい論調の記事は初めて見た。流石に「貴族」とは名指しはせず、「結果として」などという修飾語で若干ボカやしてはいるものの、かなりの直球勝負。書いてある内容の全てが事実である以上、正面切っての反論は出来ないのではないか。


 対して『蝦蟇がま口財布』の号外は、『無限トランク』とは全く違うアプローチで『貴族ファンド』の徳政令問題に切り込んでいた。「徳政令、私はこう思う。聞けよ、市民の声!」と題して、紙面全てを市民からの投稿で埋め尽くしたのである。現実世界にある新聞雑誌の読者投稿のノリそのままに、誌面作りを行ったのだ。


 そこには「『貴族ファンド』の徳政令は不要」とか、「貴族は期限までに王国へしっかりと借金を支払うべき」といった、貴族に対して厳しい論調が目立つ。中には「アウストラリス公爵と同様に、すぐさま爵位の返上と所領の返納を行うべき」とか、「小麦暴騰の責任を取って、全財産を国王陛下に差し出すべき」という激烈極まりない主張まである。


 共通しているのは貴族に対するかつてない強硬な姿勢。投稿には貴族に対する不満と不信、怒りや怨みが渦巻いていた。以前ならあまり感じられなかったのだが、俺の見えないレベルで元々存在しており、それが今噴出しているのかも知れない。身分が固定され、出身成分によって動きを定められたこのエレノ世界で、何かが急速に変わろうとしていた。


 ――クリスは親族のクラウディス=カシューガ子爵や陪臣らを説得すべく、屋敷へと帰っていった。小麦特別融資を受けた縁者に、王国から提示された条件。爵位の返上と所領の返納を行い、当座の費用捻出の為、家財の売り払いを提案するつもりだとの話。クリスもレティが考えたプランに乗ったのである。


 そのレティが学園に戻ってきた。勿論、エルダース伯爵家の親類であるグレマン=エルダース男爵を説き伏せて帰ってきたのは言うまでもない。レティの事だから、仕留めてくるのは当然である。ただ、説得するのにかなり骨を折ったのではないか。そう思ったのだが、俺の所へやって来たレティは不満げに言ってきた。


「伯爵夫人と男爵の所領まで行ったから、時間が取られたわ」


 思ったよりも時間がかかったとレティは嘆いている。不満の原因はこれだったのか。しかし、レティと同じように親族縁者を説得する為に帰っている、ディールとクラートはまだ学園には戻ってきていない。レティの方が早いのだ。上出来ではないかと俺が言うと「ウチは一家だけなのに時間が掛かってしまって」と嘆いている。


 そんなレティだが、トラニアス近郊にある所領に引っ込んでいたグレマン=エルダース男爵の所領へ、伯爵夫人と二人で元気に乗り込んだらしい。行くと男爵はどうすればいいか分からず、パニックに陥っていた。追証を払うアテもなく、かといって爵位の返上と所領を返納しても、その後の暮らしがどうなるのか見通せない中、混乱していたそうだ。


「だから話したのよ。この際、思い切って王国から提示された爵位の返上と所領の返納を受け入れて、家財を売り、当座の暮らしが出来るようにして、次を考えるって」


「で、どうだった?」


「最初は抵抗されたけど、決断されたわ」


「爵位の返上と所領の返還をか?」


「ええ」


 レティは首を縦に振った。話によるとレティやエルダース伯爵夫人と今後の話をするうちに、徐々に男爵は落ち着きを取り戻したそうだ。説得の結果、男爵は王国から提示された条件を呑む決断を行い、家財の売却をレティに委嘱した。しかしレティにエルダース伯爵夫人かぁ。この二人から説得されるなんて、どんな嫌がらせなのか。俺なら逃げるぞ。


「私達は説得したけれど、決断されたのは男爵よ」


 いやいやいや。その言葉から何やら脅迫めいた空気を感じた。もしかして説得ではなく恫喝とか、そういったものに近いのでないか。俺が思っている事を察知したのか、レティは男爵の脳裏には元から爵位の返上や所領の返還があったと話している。まるでグレマン=エルダース男爵が、自主的に決断したかのように話すレティ。


 自ら蒔いた種とはいえ、レティとエルダース伯爵夫人という「ツワモノ」に囲まれてしまったグレマン=エルダース男爵には、少し同情してしまった。まぁ、いずれにせよ話が纏まったのには間違いないので、俺は魔装具を取り出してリサに連絡。早速、グレマン=エルダース男爵邸へ向かうという話になった。


 段取りが決まってホッとしているレティは、エルダース伯爵夫人から得たという貴族の情報について話し始める。グレマン=エルダース男爵と同じように、小麦特別融資を受けて追証を請求されている貴族達の動向だ。現段階においてグレマン=エルダース男爵のように、爵位の返上と所領の返納する腹の貴族は今の所、少数に留まっているらしい。


 多くの貴族は会合を開いて話し合っているか、所領に引っ込んでしまっているとの事。しかし、所領に引っ込むってクラウディス=カシューガ子爵やグレマン=エルダース男爵と同じ芸風ではないか。もしかして何か都合が悪くなったら所領に引っ込むのが貴族なのかと勘ぐってしまう。要は決断が出来た貴族は殆どいないのが現状なのだろう。


 まぁ正直な所、いきなり爵位の返上と所領の返納を決断しろと言われても困るというところか。しかし王国から通知されている、『貴族ファンド』の小麦を担保とした有担保融資。この追証の納付期限が一週間を切った。本来ならば様子見するなぞ、そんな悠長に構えていられる時間はない筈なのだが、この国の貴族は呑気な部分がある。


 長年続く平和によってそうなったのかも知れないが、ただただ周辺の様子を窺いながら同じ境遇の者と会っていても、時間を無為に過ごすのみで何ら解決しない。それは単なる傷の舐め合いであり、しかも舐め合ったところで傷が癒える筈もなく、状況が悪化するだけの話。どうにもならなくなる前に決断しなければ、状況がより厳しくなるだけだろう。


 王国から追証を請求されている貴族の事を考えながら、黒屋根の屋敷でフルコンを弾いていると、いきなり魔装具が鳴った。一瞬リサかと思ったが、グレックナーから。ところが取ってみると、声の主はグレックナーの妻室ハンナ。以前にも同じような事があったが、グレックナーだと思いこんで出るので、何度体験してもビックリする。


「グレックナーに何かあったのか?」


「違いますわ」


 ハンナは笑って否定した。グレックナーは現在、ドーベルウィン伯に呼ばれて統帥府に出向いているらしい。それなのに魔装具を置いていって大丈夫なのかと思ったが、同行している参謀のルタードエも魔装具を持っているので、大丈夫だとの事である。しかし魔装具を預かってまで、ハンナが俺に伝えたい用件ってなんだ?


「ゴデル=ハルゼイ侯達が内大臣府から追い出されましたの」


「えっ?」


「『貴族ファンド』の徳政令の請願をお出しになろうと、数十人の方々と内大臣府を訪れられたようなのですが、内府様はお会いにはなられなかった由」


 ゴデル=ハルゼイ侯と行動を共にする『貴族ファンド』の融資を受けた貴族達が徳政令の請願を出しに内大臣府へ押しかけてきたものの、内大臣トーレンス侯は面会を拒否し、請願を受け付けなかったらしい。この為、内大臣府では貴族達と内大臣府の職員達の間で押し問答となり、統帥府より近衛騎士団が出向いてきたというのである。

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