608 処断

 ノルデン王国の民から崇敬を集めているケルメス宗派。その創始者であるジョセッペ・ケルメスは現実世界からの転生者だった。ただ、ケルメスが書いた魔導書によれば、仕事を退職した後での転生。かなり高齢になってから、こちらの世界にやってきた為、それがケルメスの選択に大きな影響を及ぼしたようである。


「まぁ、歳をとってしまって、向こうでやる事が無くなったから現実世界に帰らず、こちらに残ったんだ」


「ケルメス様にそのような事情があったなんて・・・・・」


 俺の話を聞いてトーマスが感心している。しかし「ケルメス様」か。シャロンも「ケルメス様」と言っていたが、本当に崇敬を集めているんだな、ケルメスは。元々神仏やら宗教なんかに興味がなかったから、こっちに来てもケルメス宗派の事なんか、全く分からなかったよ。アイリが俺に聞いてきた。


「じゃあ、グレンはどうするの?」


 えっ・・・・・ あまりに突然過ぎる問いに、俺は絶句してしまった。俺の答えは帰る一択。しかし、分からないとは言えなかった。そんな事を言えば嘘になる。アイリの言葉。「嘘は嫌いです。嘘は吐かないで下さい」という約束が頭をよぎる。だから何も言えない。どうしようか・・・・・ その時、会議室の扉がノックされて、ガチャっと開いた。


「さぁさぁ、皆さん。お茶にしましょう」


 なんとニーナがお茶を持って、部屋に入ってきたのである。その瞬間、場の空気がガラリと変わった。アイリとクリスが「お母様」と言って立ち上がり、ニーナの元へ駆け寄ったのである。シャロンも席を立ち、ニーナが持っているお盆を受け取ると、早速配膳に取り掛かった。


「まぁまぁ、皆さんお元気でしたか?」


「はいっ!」

「お母様もお元気そうで」


 アイリとクリスが元気よく返事をする。二人共、本当にニーナの事を慕っている。考えてもみればアイリは養母ラシェル・ローラン、クリスは侍女メアリー・パートリッジに育てられたのだな。両方とも関係性は良いようだが、ニーナの方がラシェルやメアリーよりも母性が強そうなので、アイリもクリスもニーナに惹かれるのだろう。


「ジルは?」


「王都商館にいるわ。最近、仕事に興味を持ち始めたみたいよ」


「どうせトーレン目当てだろ」


「そうも言うわね」


 俺が言うと、ニーナが微笑んだ。ジルは昔っから、番頭のトーレンとリサに懐いていた。二人がいなくて、初めてニーナだったもんな。いつの間にか、場がニーナを囲んだ談笑に変わっていた。ふと、俺はどうするのかというアイリの言葉が頭をかすめる。この何気ない平和な日常を置いて、俺は帰られるのか? 自信を持って答える事はできなかった。


 ――今日発売の『週刊トラニアス』を見た俺は、釘付けになった。「公爵令嬢襲撃犯に断!」。遂にこの時を迎えたか。レジドルナの冒険者ギルド登録者ナシデルを中心とする襲撃犯は三十七人全員が拘束されていたものの、ノルト=クラウディス公爵家から統帥府へ引き渡されてから、今まで処分が延び延びとなっていたのだ。


 「暴かれたレジドルナのはかりごと。モーガン伯、ドファール子爵の爵位剥奪!」、「諸悪の根源、レジドルナの冒険者ギルド。徹底処罰へ!」「レジドルナの犯罪者に鉄槌、一掃処分!」。何ともおどろどろしいタイトルが並ぶ。読んで分かったのだが、他誌の号外には載っていない。なのでこれは『週刊トラニアス』の独占スクープ。


 記事によると処分が今まで延びた原因は、レジドルナで捕まった元レジドルナ行政府守護職ドファール子爵。このドファール子爵の処分の決定を待っての事だった。どうやら襲撃犯は、ドファール子爵の罪に連座した形となったようである。その罪とは「平和に対する罪」と「大逆罪」。何と「平和に対する罪」の方が前に来ていた。


 平和なエレノ世界。だがその平和を揺るがそうとする者に対する処罰が存在するなんて、夢にも思わなかった。大魔導師サルンアフィアが築いた結界以来、ソントの戦いを除けば戦いらしい戦いが無かったノルデン王国に、混乱をもたらさんと紛擾ふんじょうを起こそうと画策した罪。これを「平和に対する罪」として問うたのである。


 この「平和に対する罪」に対する処罰は「煉獄れんごくの刑」であるという。この聞き慣れぬ「煉獄の刑」について、記事には解説があった。煉獄の刑とは先ず自身で穴を掘り、自身が焼いた煉瓦をそこへ敷き詰めて、中に入って天に塞ぎ、そのままの状態で自らを穴の中に閉じ込める刑罰だという。要は自分自身で身の始末を強いられるという刑罰。


 このエレノ世界。警察もなければ裁判所もない。もっと言えば刑務所もないのだが、刑を執行する者がそもそもいない。だからメガネブタのように身内に始末させるか、この「煉獄の刑」のように自らの手で始末をさせる形。しかしどちらにしても、やり方がエゲツなさ過ぎて、ひたすら引くしかない。全く以てエレノの掟は恐ろしい。


 元公爵アウストラリスの陪臣モーガン伯、ドファール子爵、そしてレジドルナ行政府でドファール子爵と共に拘束された、モーガン伯の陪臣ティーラドーラ男爵の三人が爵位を剥奪。同じく拘束された元公爵アウストラリスの陪臣ロスキルニルス子爵は、嫌疑なしとして釈放された。


 これはロスキルニルス子爵が、たまたまその場に居合わせただけである事が明らかになったからだという。子爵は、当時公爵領においてレジドルナ管理役を申し付けられていた。これは公爵領とレジドルナの間で行き交いする物品の管理監督を行う役で、レジドルナを中心に行われていた様々な工作とは無縁の役職。


 レジドルナの急変の知らせを受けたロスキルニルス子爵は、急遽レジドルナ行政府に入ったのだが、そこで拘束されたのである。そのような事から、何も事情を知らなかったロスニスキルス子爵は、取り調べにも素直に応じ、自身が知っている事を全て話した。また元公爵アウストラリスの陪臣達の嘆願もあり、結果釈放されたのである。


 一方、同じ陪臣であっても爵位を剥奪された元伯爵モーガン。しかしモーガンは大暴動の翌日、主君であるアウストラリスに随伴し、トラニアスを出奔。それ以来、行方知れずの身である。その代わりにモーガンの陪臣である元男爵ティーラドーラを連座させ、生贄にしたとも言えよう。


 生贄と言えば元子爵ドファールが最たるもので、真の主犯であるアウストラリスが爵位を返上して早々に消え失せてしまったが為に、一連の謀議の主犯として扱われている訳なのだから、生贄と言わずして何と言うかという話。宰相府の命令を意図的に無視し、王都に暴動を引き起こして混乱を招こうし、小麦暴騰の引き金を引いて、俺達を襲撃させた。


 その諸悪の根源が元子爵ドファールとされたのである。俺から見ればドファールはアウストラリス、あるいはモーガンの指示に従っただけのようにしか思えない。だが王国から見ればレジドルナ守護職という公職にありながら職務を蔑ろにして、その権限を私する行為そのものが許せなかったのだろう。


 「平和に対する罪」と「大逆罪」に問われた元子爵ドファールには氏名剥奪の上、永久神罰。親族全員を刻印の刑に処した後、総族と共に煉獄の刑に処せられる事になった。氏名剥奪は、姓名そのものを戸籍から消し去り、存在そのものを永久に消し去る罰。永久神罰は鼻の形を豚の形に変えるという刑である。


 刻印の刑は額に焼きごてを押し付けられて、犯罪者の証である八星十字が刻印される刑罰。そして煉獄の刑は自分で生き埋めにする刑罰というのを考えれば、どれも残忍な刑罰であるのには変わりがないが、それ以上に強烈なのは一族連座、総族という部分。総族とは、本人から五代に連なる者全員を指す言葉。


 親、祖父、曽祖父、高祖父。子、孫、曾孫、玄孫。兄弟と甥や姪。伯父や伯母や従兄弟。大伯父や大伯母、再従兄弟は言うに及ばず、その配偶者の一族に至るまでが総族に連なる扱いをされる。唯一ドファール家から嫁を迎えた家だけは例外。離縁さえすれば、総族から外れる。だが、ドファールの家へ嫁いで来た者と一族は総族からは逃れられない。


 ドファールの総族は合わせて百九十八名に達し、全員がドファールの罪に連座を強いられたのである。これは元伯爵モーガンが陪臣、元男爵ティーラドーラも同様で、こちらの方は総族百四十三人が連座した。恐ろしいのはメガネブタの時のように、遠縁の者が許される機会すらないというところ。全員が容赦なく「煉獄の刑」なのだ。


 この苛烈な処罰は貴族だけに留まらない。トゥーリッド商会の当主ミタファ・トゥーリッドを初めとするトゥーリッド一族九十八名、「トラニアス祭」の暴動を引き起こしたダファーライの実家「ダファーライ金融」を営むダファーライ一族六十八名、レジドルナの冒険者ギルドメンバー百八十九名と、その総族八千六百二十一名も連座。


 当然ながらナシデルら、俺達を襲撃した連中も全て総族が連座となり、全てを合わせるとおよそ一万人が「煉獄の刑」に処せられる事になったのである。とんでもない数の人間が、刑に処せられるのを知って、頭がクラクラしてしまう。連座という平和設定の裏に隠された、エレノ世界の恐るべき掟。これは戦争並の数じゃないのか。


 大体、今の日本で総族全員処罰なんて言われたら、誰しもドン引きするのは間違いないだろう。第一、そこまでする意味が分からないと、誰も受け入れられないのではないか? しかしこれがエレノでは、普通に受け入れられているのだ。むしろ浄化と呼んで、穢れた血の一滴まで完全に消し去るべきだと考えているくらいなのだから。


 なので反論する者や同情する者なんていない。郷に入らばとは言うものの、ここら辺りの徹底ぶりは半端なさ過ぎて、ただただ絶句するのみである。記事によると、俺達を襲撃したナシデル達はレジドルナに連行され、それぞれの総族と共に刑が執行される運びであるという。

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