607 王宮図書館

 大魔導師サルンアフィアの魔導書が収蔵されている王宮図書館。長らく図書館の奥の院に収蔵されていた門外不出の書について、クリスに閲覧許可が下された旨を伝えると、その後の手続きを解説してくれた。それによるとクリスの元に招待状が届く予定であるという。話を聞いている中で、ふと一つの疑問が脳裏に浮かんだ。


「クリスは王室図書館には、入った事があるのか?」


「え、ええ。ありますわ」


 俺の質問が唐突だったからか、一瞬、返答に窮したようである。クリスは魔法の術式を調べる為、じばしば王室図書館へ寄るらしい。俺が更に聞くと、魔法に関する書物は学園よりもずっと充実しているらしく、だから王室図書館に出入りをするそうだ。ただ、王室図書館を利用するには、色々と難があるらしい。クリスが溜息をつく。


「トーマスもシャロンも入れませんの」


「私達は平民ですから」


 トーマスがクリスの話を補完した。王室図書館の中へはたとえ従者であろうとも、平民の立ち入りは出来ないしきたり。なのでクリスが王室図書館を利用する際には、いつも図書館の玄関外に設けられた控えでお嬢様を待っているのだと、シャロンが話した。王室図書館で働く司書の出身成分は全て貴族階級だとの事。相変わらずの徹底ぶりである。


「だから、クリスティーナは魔法に詳しいのね」


 話を聞いて、唯一明後日の方向にいたのがアイリ。アイリはクリスが王室図書館で、魔法関係の本を読んで調べているのを羨ましがっている。アイリもクリスに負けず劣らず勉強熱心なのだが、王室図書館へは貴族以外立ち入られないという話なぞ、眼中にはないようだ。こういう部分、何処か抜けているのがアイリ。


「アイリス。もし良かったら、今度借りてきましょうか?」


「本当?」


「ええ。本は借りられますから。どんな本かを決めましょう」


「うん!」


 クリスとアイリ。二人の間で、色々と話が決まっていく。何というか、体裁とか取り繕いなどといった、作られた感が全くないのが凄い。しかし本来ならば対決する筈の悪役令嬢とヒロインが、こうも波長が合うなんて全く考えもしなかった。その光景に俺が感心していると、トーマスが聞いてきた。


「サルンアフィアの魔導書って、どんなものだと思う?」


「そうだなぁ。想像がつかないよな。ケルメスの魔導書は、単なる回想だったけど」


「グレンからその話を聞いた時はビックリしたよ。魔導書って、魔法とは無関係だったなんて」


「本当だよなぁ」


 俺は思わず笑ってしまった。トーマスの方も笑っている。普通「魔導書」っていうなら、誰も魔法の本だと思うじゃないか。ところが単純に「日本語で書かれた書物」だって知ったら、これはもう笑うしかないだろう。トーマスが大魔導師サルンアフィアが書いた魔導書なのだから、ケルメスよりも更に衝撃的な内容ではないかと、勝手に推測している。


「どんな魔導書なのでしょうね」


「サルンアフィアの魔導書は私も立ち入られない場所にあるようですので、何が書かれていますのか想像もつきませんわ」


 アイリとクリスもサルンアフィアの魔導書には興味があるようだ。クリスが指摘するようにサルンアフィアの魔導書があるのは、王室図書館の奥の院。誰も見られない閉架書庫に収蔵されているという話。


「お嬢様が立ち入られない所にあるのなら、誰も御覧になられる訳がありませんね」


「女帝マリア様の御聖慮ごせいりょによって、見られないそうだからな」


 シャロンがそう話すので、ケルメス宗派の長老格であるニベルーテル枢機卿の言葉を伝えた。ニベルーテル枢機卿によれば、このサルンアフィアの魔導書。貴族どころか王族でさえ閲覧出来ず、この三百年以上誰も見たことがないという、封印された書であると。しかしその幻の書を平民、それも身分低き、商人の倅である俺が閲覧できるというのも妙な話。


「しかし、許可が下りるのが早かったなぁ」


「王族の方でさえも御覧になられないという書物なのに、よく下ろされましたね」


「陛下の御宸断ごしんだんの賜物でしょう」


 俺と同じような疑問を呟くトーマスに、そのように答えるクリス。あの国王。学園への行幸の際、貴賓室で拝謁したフリッツ三世という人物。クリスには申し訳ないのだが俺が見る限り、三百年間誰も見られなかった書を平民の倅に見せるという、ある意味重大な決断が出来るとは思えない。かと言って閲覧を認める宸旨しんしを出せるのは国王のみ。


 そこには宰相閣下も、内大臣トーレンス侯も、侍従長であるダウンズ伯も関与できない筈。いくら権力を持とうが有能であろうが、影響力を行使出来たとしても、臣下である限り御宸断そのものを行う事は出来ない。それに歴代国王が決断できなかったものをフリッツ三世がいとも簡単に決断できたというのも、イマイチ解せない部分である。


 こんな事を指摘すれば失礼な話だが、歴代国王にはフリッツ三世よりも大きな権力を持ち、優秀な国王なんていくらでもいる筈。例えばトラニアス市民の憩いの場、マーサル庭園を造った第九代国王のマーサル二世。マーサル二世はトラニアス大火を受け、有事の際には街の延焼防止や市民の避難場所となるよう、庭園の整備を命じた非常に優秀な君主。


 そんな人物が決断できなかったものが、どうしてあの平凡。いや平凡以下にしか見えないフリッツ三世に出来たのか、それが非常に疑問なのだ。勿論一度しか会っていないので、俺の知らない隠れた才能を持っている可能性はある。が、その辺りについてどうしても解せないというか、しっくり来ない。俺が思案していると、珍しくシャロンから尋ねてきた。


「グレンはどうして、そこまでサルンアフィアの魔導書が見たいのですか?」


 いつも控え目で、クリスの一歩後ろに控えるシャロン。物静かな、長い黒髪の従者はストレートな、答えにくい質問を投げかけてきたのである。本当の事を言えば、現実世界に帰る為のヒントを得るため。ケルメスの魔導書にもヒントがあった。ジョセッペ・ケルメスは帰られたのに、この地に踏みとどまったのである。


 だがサルンアフィアは違う。ノルデン王国とサルジニア公国との間に今も破られぬ結界を張り、貴族子弟を教育すべく私塾を開き、王女だったマリアの家庭教師を務めながら、この世界から突然消えたのである。俺はそれを現実世界へ帰ったのだと考えている。大魔導師とまで呼ばれたくらいだ。現実世界に帰るゲートくらいは分かる筈。


 現実世界とエレノ世界を分かつゲート。俺はこれまでに二度、それに近いものを見ている。一度目はノルト=クラウディス公爵領へ赴いた際、『女神ヴェスタの指輪』を捜すため、クリスと共にシャダール郊外の二重ダンジョンで見た東京。二度目は学園の闘技場における教官との決闘で、オルスワードが結界を開いた際に見た大阪。


 ジョセッペ・ケルメスもモヤの先に現実世界を見たという。だから確実にこのエレノ世界と現実世界は繋がっている。これは間違いがない。後はゲートを出現させる方法と、出現した後にそのゲートが通られるかどうか。出現させる方法はゲームセットすればいいというのは、ニベルーテル枢機卿の話から、なんとなく分かっている。


 問題はゲートが出現して通られたとして、その後がどうなるのかだ。同じ現実世界であっても遠い昔、石器時代とかに戻られたって意味がない。かといって、俺が知る時代よりも遠い時代に飛ばされるなんてまっぴらだ。それじゃ第二の転生と変わらない。俺が求めているのは、俺が生きている時代。俺の意識が無くなった直後だ。


 そんな都合の良いジャスト・イン・タイムが出来るかとうかは分からないが、そうなってもらわないと俺の方が困る。俺が『エレノオーレ!』でレティを操作して、オルスワードの攻略をやっていた所で寝落ちした、あの瞬間に戻らなければいけない。そうでなければ、全ての辻褄が合わなくなってくる。戻って佳奈と普通の生活に戻るにはそうでないと困る。


「それはグレンの世界の文字が書かれているからさ」


 俺が話さなかったからか、代わりにトーマスが答えてくれた。ほら、あの何十種類もある文字。あの文字に書かれてある内容。あれを読み解きたいんだよ。トーマスがそう言ったのである。確かにその部分はある。純粋に何が書かれているのかという好奇心があるのは事実なのだから。もしかすると、トーマスなりのフォローかも知れないが。


「まぁ、ケルメス大聖堂でケルメスが書いた魔導書には、向こうでの話が書かれていた」


「向こうの話って、どんな事が?」


「ケルメスが向こうの世界でやっていた仕事とか」


「えっ! ケルメス様がお仕事を!」


 聞いてきたシャロンがビックリしている。なので俺はケルメスが電機メーカーで管理職まで昇進していた話をしたのだが、イマイチ話が掴めなかったようで、皆が首を傾げた。このエレノ世界に下剋上の実力主義なんて話はない。国王はアルービオ=ノルデン王家が、宰相はノルトクラウディス公爵家が、それぞれ続けているような世界である。


 地主は地主であり続け、商人は商人であり続ける。責任者は責任者の家。宮仕えの家は宮仕えであり続けるのだ。だから基本、昇進という概念すらない。なので魔塔に就職して責任者になったようなものだと例えると、皆ようやく理解できたようである。世界が違うと、これほどのギャップがあるのだと改めて実感した。


「ケルメスは退職した後、こっちに来たんだよなぁ」


「えっ?」


 クリスが戸惑っている。こちらには退職という概念すらないからな。なので俺は隠居のようなものだと話すと、クリスは何とか理解できたようである。エレノ世界では主体が家にあるので、隠居して仕事を子に譲り渡すという考えしかない。なので会社という概念もなく、それ故に退職という考えもない訳だ。せいぜいあって、いとまぐらいなものである。

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