606 「タッチ」

 小麦特別融資の追証が請求されている貴族の数はおよそ千家。これは国王陛下に献呈した『貴族ファンド』の書類一式を纏めた際に把握した数字に基づいたもの。なので数十家の前後はあろうが、大まかには変わりはない筈である。この貴族家の数を聞いたリサからニコニコ顔が消えた。


「じゃあ、いずれ貴族の家財が大量に出てくるって事になるわね」


「そういう事になるな。そうなったら・・・・・」


「価格は暴落だ!」


 俺が応じると、ロバートが結論を出した。しかし、兄弟でよくハーモニーを奏でられたな。自分も参加しているのだが、妙に感心してしまった。一方、リサとロバートは改めて顔を見合わせている。二人共、今後どうすればいいのか、それぞれが考えているようだ。なので俺はヒントを出す事にした。ヒントとは言っても至極簡単なものだが。


「仕入れが増える場合、二つ方法がある。需要を増やすか、値を叩くか。どちらかだ」


「だったら需要を増やして、値を叩けば儲かるわね」


 ニコニコ顔でリサが答える。両取りをかかってくるとは、本当に欲張りな悪魔だよな、リサは。少し悪魔過ぎるので、言い方を変えてみる。


「値を叩くのはいいが、相手に文句を付けられないように値を叩かなきゃいけない」


「だから最初は「高値買取」をすればいいんだろ」


「ハハハハハッ!」


 これはロバート、面白い事を言う。相手に買わせる時には「最安値に挑戦!」、買い取る際には「最高値で買取!」。いずれも現実世界ではよくある文言、巷に溢れたものである。しかし、まさかエレノ世界で同じ言葉を聞くなんて、思いもしなかった。それもエレノの住人ロバートからというオマケ付き。これを笑わずして何を笑うと言うのか。


「何がおかしいんだ?」


「いやいや、済まん、済まん。あまりにもベタ過ぎてな」


「お前から紹介された貴族家の家財を出来る限り高く買えば、評判なんて勝手に広がるだろ」


「だからレティが急いだんだな」


 ここでロバートの話とレティの話が妙にシンクロする。レティは他の貴族家が知らぬ内に売り払うのよと、ディールやクラートに発破を掛けていた。対してロバートは、俺が紹介する事になるレティやディール、クラートらの遠縁に当たる貴族達の家財を高く買おうとしている。売り手と買い手の思惑がピタリと一致しているのが面白い。


「流石レティシアさんね。利に聡いわ。貴族にしておくのが勿体ないくらいよ」


 ワイングラスを片手に持ちながら、ニコニコ顔でリサが言う。いやぁ、リサとレティなんかが組んだら、ガチの悪魔合体だな、こりゃ。出来うるならば、相手にしたくはない。


「まぁ、小麦特別融資が払えない貴族が増えれば増える程、こちらはガッポガッポよ」


「黙っていても、相手が仕入れるブツを持ってきてくれるって寸法だ!」


 悪ノリするリサにロバートも調子を合わせている。おいおい、君等はもう、死臭を嗅ぎつけて貪りつくハイエナみたいなもんだな。これじゃ小麦特別融資の追証で身動きが出来ない貴族は、みんな丸裸にされてしまうぞ。身から出た錆とは言え、ここが儲け時だと怪気炎を上げるリサやロバートの姿を見るにつけ、何か気の毒になってきた。


「いい。グレン、貴族の家財一式を買い付けるの。一式よ。ぜーんぶ。買ったら武器はサルジニア、骨董品と調度品はディルスデニアに売っぱらうの。そしてねぇ、貴金属は・・・・・」


 ワインが回ったのか、目がトロンとしたリサの口が止まった。なので、俺の方から貴金属はどうするのかと振る。


「貴金属は持っておくのよ!」


「どうして?」


「だって、大量に売りに出されたら暴落するじゃない。だから安く買い叩いて、もっておくのよ。他の物に比べて邪魔にはならないわ」


「そして値が上がった時に売り抜ける。か・・・・・」


「そうよ! 流石、お兄ちゃん!」


 ロバートは的確に指摘した。話していく中で、貴族からの買取について話が纏まっていく。俺からリサに話を回し、リサとロバートで貴族邸へ向かう事や、取引ギルドで高値のものを俺が売る話だったものをアルフォードが引き取って保管する事が決まったのである。話し合いが終わるとロバートの音頭で、成功を祈って乾杯をした。


 ――俺はピアノ部屋でベートーヴェンのピアノソナタ第八番「悲愴」を弾いていた。最近、本当にピアノの調子がいい。怪我から回復して、弾きたいという欲求が満たされたのか、急速に弾けるようになったのである。最初こそたどたどしかったのが、鍛錬を再開してからというもの、途端に練習量を増やせたのが大きかったからだろう。


 鍛錬。イスの木を握りしめ、奇声を発しながら立て木打ちを続ける。あれで相当な筋力が付く。あれで上半身の軸がブレる事なく、しっかりと鍵盤を叩けるようになった。鋭く力強い演奏が行えるようになったので、乗った状態で弾けるようになったという訳だ。やはり気持ちが乗ってくると、演奏も音も全く変わる。


 あともう一つあるのが、目標。いつ行われるのかは分からないが、アルヒデーゼ伯と交わした約束。『常在戦場』の鼓笛隊の合奏を聞きたいというアルヒデーゼ伯の為に開く予定の演奏会で使う曲の選定を行っているのも、気分を高揚させている。先ず演奏するのが決まっているのが、オペラ「アイーダ」の「凱旋行進曲」。


 これはアルヒデーゼ伯からの要望なので外せない。アイリが好きな「華龍進軍」も同じだ。これにJSバッハのBWV 1048やBWV 1052の鼓笛隊アレンジや、 何故か「フニクリ・フニクラ」を加える予定である。「フニクリ・フニクラ」を入れたのは、ニュース・ラインがこの曲をいたく気に入ったからである。


 そして俺はここにもう一曲入れようと、脳内採譜に取り組んだ。岩崎良美が歌っていた「タッチ」である。もちろん野球アニメ「タッチ」の主題歌。俺がドラマ「スクール☆ウォーズ」の主題歌「ヒーロー」を弾いていた時、学園ドラマ繋がりから、ふと思い出したのだ。佳奈のカラオケの定番曲だったな、と。


 思い出したら、そこからもう一直線。ひたすら脳内採譜を行ったのである。これをニュース・ラインに頼んで鼓笛隊アレンジにしてもらう予定。俺は外には出られないので、会場になるところには顔を出せないが、曲が流れるだけでも俺には十分満足だ。そこへアイリがクリスと二人の従者トーマスとシャロンの四人でやってきた。


 ロタスティの個室でレティ達と話し合った、貴族家の家財の売却について話をする為である。昼休みにはトーマスが話の内容を知っていたので、恐らく昨日の内にアイリがクリスへ伝えたのだろう。昨日話をしたディールもクラートも既に学園から飛び出している。当然ながら皆に呼びかけた張本人、レティもいないのは言うまでもない。


「もし話がありましたらお願いします」


 会議室の椅子に座るなり、クリスは頭を下げてきた。話はアイリから聞いたようである。確認しなくてといいかと俺が聞くと、クリスは首を横に振った。話を聞いていますから大丈夫だと言うと、アイリの方に顔を向けて頷き合っている。前からそうなのだが、二人の信頼関係は非常に固い。しかし、いつからこの二人、こんな関係になったのだろうか?


 まぁ、レティとも仲が良いのは分かってはいるのだが、レティのそれとは違う。もっとこう、何というか、固い結束みたいなものを感じるのだ。高位の公爵令嬢と平民の娘という、周りから見ればちぐはぐな、というよりエレノでは先ずあり得ない組み合わせ。アイリの真の出自を知っている俺は何とも思わないが、他の者から見れば違和感しかないだろう。


「もう一度クラウディス=カシューガ子爵を説得してみます」


 クリスは静かに言った。前回、叔父であるクラウディス=ディオール伯と共に、クラウディス=カシューガ子爵の説得に赴いたのだが結果はイマイチ。芳しいものではなかったのだが、再度説得を行うというのである。今回は王国から提示された条件、爵位の返上と所領の返還を受け入れた上での家財売却。説得が成功するかどうかは分からない。


「王宮図書館の話はどうなりましたか?」


 クリスが話題を変えてきた。学園の貴賓室で行われた、国王陛下への拝謁。その際に俺が所望した、サルンアフィアの魔導書の閲覧について、その話の進捗状況を尋ねてきたのである。俺が殿下から告げられた時、クリスはクラウディス=カシューガ子爵の説得する為に学園にはいなかったのだ。クリスは俺と王宮との仲介人なのだが、話が伝わっていないようである。

 

「正嫡殿下から、閲覧の許可を伝えられたよ」


「殿下から・・・・・」


 これにはクリスが驚いている。普通、国王から遣わされた使者が伝える筈のものを殿下が担われているのだから、ビックリするのは当たり前か。クリスが王族が使者となるなど聞いた事がないと話しているので、かなり異例な対応なのだろう。どうしてそうなったのかは不明だが、殿下から申し出が為されたようなので、それが通ったと考えるしかない。


「しかし、クリスが知らなくても良かったのか?」


「構いません。グレンが陛下にお出した要望を受け入れなされるかどうかの通知ですので」


 クリスは問題がないという認識を示した。今回、正嫡殿下から伝えられたのは要望の受け入れ可否の通達。なので、元から当事者である俺に使者が来る事になっているそうだ。その使者が殿下というのが極めて異例だという話。その際、仲介人や見届人がいなくても問題はないそうで、これは学園事務局処長のラジェスタも言っていた。


「でしたら、近々王宮から私めの所に招待状が届きますわ。そこで初めてグレンを王宮図書館に案内する事になります」


 クリスの元に封書が来たら、王宮図書館に入られるのか。これまで平民だからと諦めていた王宮図書館に足を踏み入れられると確信すると、俄然心が湧き立ってくる。大魔導師と称されるサルンアフィアの書だ。もしかすると、現実世界へ帰る為の手立てが書かれているかも知れない。心躍らない訳が無いだろう。

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