604 失業対策

 爵位を返上して所領を返納すれば、支払期限の迫った、小麦特別融資の莫大な追証の払いが免責される。貴族としてのプライドをかなぐり捨てて、借金から逃れるとも言えるのだが、追証を払うカネがない以上、最善手はそれしかない。しかし問題はその後の話。いくら借金を清算しても、貴族を辞めてからどうやって暮らしていくのか。実に大きな問題だ。


「そうよねぇ。稼ぎがなくなるものね」


「いきなり次男、三男になるようなものだもんな」


 レティの言葉に、ディールが続く。やはり皆、考えているのは同じ事なんだな。


「ウチでは馬を増やすのに力を入れているけど、それは所領あっての話。所領そのものが無くなってしまえば、馬も増やせないし」


「俺は前まで魔塔で働くしかないなって思っていたけれど、爵位が無くなってから働ける所なんてあるのかな?」


 二人の言葉は痛い所を突いていた。領国経営で収入を増やそうと思っても、その所領自体を返納してしまうので経営が出来ないので、収入そのものが絶たれてしまう。かと言って爵位を失った者が、さあ就職だと思っても誰が雇うのかという基本的な問題がある。正直、会社を潰した元経営者や社長なんかを雇うような会社なんて、ほぼほぼないのが現状。


「男爵は、陛下からの思し召しをお受けになる意思はございます。ですが、その後どうすればいいのかと・・・・・」


 クラートがそう話すと、皆が黙り込んでしまった。


 アルボルーダ男爵のように、たとえ爵位の返上と所領の返納を決断するのがやぶさかではなくても、その後の事を考えれば決断に踏み切れないといった貴族は多いだろう。借金が棒引きされた後の展望が描けないからである。これは俺も同じで、次にどうすればいいのか、全く思い浮かばない。


「売れるものを全て売ってしまってはどうでしょうか?」


(えっ!)


 アイリの言葉に唖然とした。売れるものを売るという、突拍子もないアイリの提案に、驚きのあまりどう反応していいのか分からなかったのである。それは皆も同じだったようで、アイリの方を見るばかりで、呆気に取られた顔をしていた。誰も言葉を発さない中、アイリが話を続ける。


「次にどうすればいいのかを考えるのに、時間がいるようなので・・・・・ それまでの間、暮らしを繋げるお金があれば・・・・・」


「時間をカネで買うんだな!」


 俺がその心を指摘すると、皆がハッとなった。アイリが言わんとする事を理解できたのだろう。


「次の生活が決まるまでのつなぎ・・・がいる。先ずはそれを確保しようって事だな、アイリ」


「ええ」


 アイリが頷いた。いい案だ。貴族を辞めた後の暮らしについて、ここでアレコレ考えたって結論なんて出る筈がない。第一、アルボルーダ男爵なんて会った事もないのだから、考えようもないのは当然の話。そこをアイリは「つなぎ・・・」という、暮らす上で不変の部分に目を付け、その資金の確保しようと考えたのである。


「先ずは暮らし・・・・・ そこから次を考えるって案、悪くないわ」


「時間がないもんな。それならすぐにでも動ける」


 レティやディールもアイリの案を肯定した。だが、クラートが不安気な表情を浮かべている。何か気になる事でもあるのか?


「しかし男爵が同意されても、その方法が・・・・・」


「大丈夫ですよ。グレンがいますから」


「そうそう。グレンは商人だから、モノを売るなんてお手のものよ」


「実績もありますし」


「ドーベルウィン伯爵家の話ね」


「ええ」


 アイリとレティのやり取りにクラートが目を丸くしている。ディールが聞いてきた。


「ドーベルウィン伯の家で何かやったのか?」


「ああ。昔、ドーベルウィン伯からの依頼で武器や貴金属、調度品を売ったんだ」


「えっ、そんな事を!」


「二億ラントくらいだったわ」


 驚くクラートにレティがそう答えると、それを聞いてクラートが更に驚いている。ディールが「お前ってヤツは・・・・・」と唖然としながら呟いた。そんな二人をよそにアイリが話す。


「取引ギルドで競ったのよね」


「そうそう、相手と喧嘩腰でグレンが交渉するの」


「ドーベルウィン伯もお喜びになられて」


「お喜びになられた以上に御夫妻で驚かれておられたわ」


 ヒロイン二人が売却話で盛り上がっている。あの時、二人には手伝ってもらったんだよなぁ。クラートが俺に聞いてきた。


「お願いできるのかしら」


「もちろんよ」


 俺が答える前に、なんとレティが答えてしまった。アイリと話して盛り上がった勢いで答えてしまったようである。勢いだけは天下一品、ピンピンピンなんだよなぁ、レティは。しかしリズムがいい事もあってクラートがとても喜んでいるので、それを見ると何も言えない。


「でしたら、一度母上にお話をして・・・・・」


「ちょっと、待ってくれ」


 俺が言うと、皆の話が止まった。大きな問題が一つあるのだ。


「今、俺は学園から出られない」


「あっ・・・・・」


 レティの顔色が変わった。その意味を悟ったのだろう。アイリの表情が一気に暗くなってしまった。


「襲撃犯の狙いは俺だったんだ。外に出れば、俺の警護をしている連中にリスクが降りかかる」


「そうだったのか・・・・・ 俺は令嬢を狙っての事だとばかり思っていたよ」


「表向きはそうなっているが、本当のところはそうなんだよ。犯人達がそう供述しているっていう話だから間違いないんだ。今は皆捕まって、統帥府が身柄を押さえているけど、誰が何をしてくるか分からないからな」


 俺が話すと、皆が黙りこくってしまった。俺が屋敷に戻ってきて以来、外に出掛けたのは『貴族ファンド』の書類を渡す協議を行う為に宰相府へ訪れた一回のみ。あの時だってノルト=クラウディス公爵家の衛士と『常在戦場』の隊士らに護衛され、十台以上の馬車で車列を作っての物々しい移動となったのである。あんな事なら外に出ない方がマシだ。


「出来ないのね・・・・・」


「ごめんなさい・・・・・」


 肩を落とすクラートに謝るアイリ。何か申し訳ない気分だ。レティが顔を向けてきた。


「グレンが動かずに売り払う方法はないの?」


「お、俺がここにいてか?」


「そうよ! 何か方法を考えるの。方法を考えるのよ」


 レティが俺に迫ってくる。いきなり方法を考えろと言われたって・・・・・


「俺が動かずにかぁ・・・・・」


「そう。グレンが動かずに売り払う方法よ」


「しかし、俺が見ないと【鑑定】が使えないし、俺が交渉しないと【ふっかけ】が使えない」


「だから方法を考えるのよ!」


 レティは全く引く素振りがない。俺に交渉されたって、動けないのにどんな方法があるというのか。商人特殊能力の【鑑定】を使って売り買いできるかを見て、商人特殊能力の【収納】を使ってモノを引き取って、商人特殊能力の【ふっかけ】を使って割高に売り払う。いずれも俺の身がなければ出来ない。それを何とかしろというのは、かなりの無茶だ。


「ここに売るものを持ってきてもらうとか、魔装具を使ってとか。何とかならないの?」


「魔装具か・・・・・」


 魔装具越しに相手と交渉するか・・・・・ それぐらいは出来るか。エッペル親爺との交渉が必要だが、そこは何とかなりそうだ。しかし・・・・・


「しかしモノを持ってきてもらうというのは・・・・・」


「リサさんに頼んで運んでもらうのはどう」


 リサか! なるほど、その手があったか。今のリサならレベルが上がって、ある程度の荷物を運べるくらいにはなっているからな。それに【鑑定】も出来るようになっているから、ブツの価値を見抜いて評価も出来る。俺の代わりにリサが動いたとしても全く問題ないだろう。


「よし、リサに連絡を取ってみよう」


「グレン! やる気になったのね」


 レティが喜んでいる。ここはレティの粘り勝ちだな。クラートに「出来るわよ」と声を掛けて励ましている。クラートの為に粘ったんだな、レティは。こういう部分が、レティの周りに人が集まる理由なのだろう。アイリが「良かったですね」と、まるで解決したかのように話している。いやいや、これからのことだぞ。俺は魔装具を取り出した。


「それだったら、ロバートにも話した方がいいかも」


「ロバートにか?」


 リサと話をしていると、意外な名前を挙げた。リサが言うには、ディルスデニアから帰ってきたロバートが、骨董品や調度品の調達に頭を悩ませているのだという。ディルスデニア側から、これまでよりも多くの骨董品を求められているのだという。平民が持つものよりも少しグレードの高いものが人気で、そういったものが欲しいと話していたらしい。


「だから高いものだけグレンが競って、後はロバートに引き取ってもらったらどうかなって。ロバートも喜ぶわ。仕分けは私が見るから」


「なるほど・・・・・」


 高価なものは俺が交渉して高値で売り、その他のモノはロバートが引き取って、その分別をリサが受け持つ。兄弟で分業してはどうかというリサの話は、非常に魅力的。俺は二つ返事で提案に乗った。大筋が決まると、後はサクサクと話が纏まっていく。リサはロバートとも話をすると言うと、気が逸ったのか、そのまま魔装具を切ってしまった。


「決まったのね」


「ああ。リサが鑑定して、高いものは俺が魔装具を介して交渉。安いものはロバート、俺の兄貴が引き取るって形でどうだって」


「いいじゃないそれで!」


 首尾について聞いてきたレティは、俺とリサとの間で纏まった話に納得できたようである。


「グレンが動かなくても大丈夫なのね」


「ああ。取引ギルドと交渉しなきゃいけないけどな」


 そう答えると、アイリは安堵した表情を見せた。言い出したのが自分なので、心配だったのだろう。


「しかし、決まるのがあっという間だよな。お前のとこ・・・・・」


 話の流れをディールが呆れたように言ってきた。隣にいたクラートが唖然とする中、小麦融資の時もリサさんとお前とでポンポンと決まったもんなと話してくる。あの時もこんな感じだったよな。恐らく今、ディールは小麦特別融資で家が大事おおごとになった時の事を思い出しているのだろう。

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