603 請求書

 ディールからクラートの件で時間が取れないかと言われたので、放課後に会う話となった。ロタスティの個室で紅茶を飲みながら待っていると、ディールとクラートが入ってくる。しかしその後にレティとアイリまでが入ってきたものだから、目が点となった。どうして二人が・・・・・ そう思っていると、扉を閉めたレティが話し始める。


「シャルロットから話を聞いたのよ。じゃあ、私達もって」


 なんだそれは! アイリが困った表情をしているのを見ると、レティが恐らく連行してきたからだろう。しかし、何を企んでいるのか、レティは? どんな魂胆でこの席に乱入してきたのか、全く想像ができない。そんな俺をよそにして、飲むのは何がいい? と皆に聞いて回るレティ。おいおい、君は何の為にここへ来たのか。


 俺達のいる個室に給仕がやってきて、紅茶を出した。こういう手配に関しては、レティが一番出来るのは分かっている。しかし、どうしてこの場に居るのかはサッパリだ。折角クラートの話を聞こうと思ったのに、何か台無しになってしまっているような気がする。何か話を始めたそうだが、中々切り出せない様子のディールとクラート。


「ねぇ、グレン。小麦特別融資を受けている貴族に届いた書簡の事知ってる?」


 書簡? もしかして追証の請求か? 俺は思わずレティの方を見た。


「いや・・・・・ 俺のところには届いてないから・・・・・」


「借りていないのに届く訳がないでしょ! 何ボケてるの!」


 いやいやいや、知っているかと聞かれたから言っただけだろ! 俺の手許に書簡がないのに、どんな請求なのか分からないじゃないか! 俺とレティとのやり取りが面白かったからかか、ディールとクラートが笑い始めた。アイリも微笑ましいといった感じで笑っている。


「宰相府が融資を受けた貴族に送ったという請求書だな」


「そうよ。最初からそう言えばいいのに」


 レティが呆れたように言ってきた。そんな想定問答なんて考えたこともないから仕方がないだろ。それよりも宰相府が小麦特別融資の有担保融資を使っている貴族に出したという追証の請求書。先週に宰相閣下自らが記者会見をして、既に送ったと表明したものだな。それがどうしたのだ? 俺が疑問に思っていると、レティがクラートの方に顔を向けた。


「今、シャルロットが持っているのよ。ねっ」


 え! 今持っているのか。頷いたクラートに顔を向けると、こちらに書簡を差し出してきた。これは見てもいいものなのか? 書類を凝視している俺に、見て欲しいのだとクラートが言う。俺は書簡を広げると、アルボルーダ男爵家へ向けた追証の請求書だった。アルボルーダ男爵家はクラート子爵家の縁者。それはいい。問題はその請求者だ。


(国王陛下!)


 アルボルーダ男爵家へ追証の請求を出したのは、何とノルデン国王フリッツ三世だったのだ。俺はてっきり宰相府から出されたものだと思っていたので、これにはビックリした。見るとご丁寧にも直筆のサインが為され、国王御璽まで押されている。これは王権を賭けての請求だと言ってもいい。予想を超える王国の姿勢である。


 書簡を読むと、請求は三つある。有担保融資の担保欠損、一億八四三二万四三三四ラントの追証。四七七万六五七三ラントの利子。一三三万二五〇〇ラントの小麦管理費。合わせて一億九〇四三万三四〇七ラント。円換算五七億円を所定の期限までに支払えという内容。金額を見た時点でなんて無理ゲーだと思ってしまう。


 しかも月利二.三三%の利子と、月〇.六五%の小麦管理費は本来現物で支払う契約となっているのだが、小麦価格がマイナスとなった場合の規定がない為、現金での請求を行うと記されている。ルールブックにないから、こちらが書き加えておいたとしか読めない文面だ。また所定の期限というのが月末で、今日を含めて九日しかないという鬼畜の所業。


 また文章には契約に基づき、分割支払いは認められないとも書かれており、王国の本気ぶりを示す内容だ。ただ契約が多額な為、その支払いが行えぬ場合、爵位の返上と所領の返納を行えば、小麦特別融資を初めとする『貴族ファンド』からの融資一切の支払いを免除すると記載されていた。これが貴族向けの徳政令という訳だ。


 その理由を「ノルデン王国の藩屏である事を鑑み」としており、格別の酌量だと強調する内容。実に恩着せがましく書かれているように見える。また爵位の返上と所領の返納を行った家には貴族身分を保障すると共に、現金や貴金属、家財といった動産は差し押さえず、王都の屋敷についてもその所有を認めるという寛大な処置が書かれていた。


 これを貴族達がどう捉えるのか。俺は貴族ではないから分からない。ただ内容を見るに『翻訳蒟蒻こんにゃく』の主張とは程遠い内容。これは徳政令どころか、貴族の特権を剥奪するに等しいものである。それを踏まえれば、アーサーのように「素直に爵位の返上と所領の返納を行った方がいい」と思うような貴族は少数派ではないか。


 貴族身分を保障するとは言っても貴族ではなくなる訳で、要は『常在戦場』の参謀ルタードエのような立ち位置となる。ルタードエは貴族身分であるにも関わらず、貴族家の者である称号「卿」すら付かないという立場。当然ながら職に就かなければならないので、出身成分だけが「貴族」と自嘲していたのを覚えている。


 ルタードエは曽祖父の代でルタードエ伯爵家から分かれ、騎士となっていた家の次男として生まれたので、「卿」すら付かなかったのである。遠縁なのだが何ら恩恵に与る事がなかったというルタードエの話を聞くに、『翻訳蒟蒻』の主張を支持している貴族が「貴族身分の保障」程度で納得するなんて、とてもではないが思えない。


 しかし王国側は王権を前面に振りかざして請求してきており、流石の貴族であろうとも、今回ばかりは無条件に従わざる得ない気もする。また気にかかるのは、この請求書には支払わなかった場合の処置について、一行も書かれていない点。ディールが朝に言っていた奪爵なんて全く書かれていない。なのでディールに聞いてみた。


「ディール。お前は書簡の内容は?」


「・・・・・知らない」


「レティは?」


「私もよ。一体何が書かれていたの?」


 レティが逆に聞いてきたので、俺は内容を説明した。聞き終わった二人は溜息をついている。俺が話してもクラートは表情を変えなかったので、書簡の内容は知っていたようだ。まぁ、俺に手渡すぐらいだから、知っていないと逆におかしいのだが。俺はディールに奪爵だっしゃくの情報源を質した。請求書に書いていないのに、どうしてそんな話になったのか?


「宰相閣下が『大御心おおみこころ』と言われたからだよ」


 『小箱の放置ホイポイカプセル』でもそう解説されていたよな。恐らくはハンナが書いたものだったのだろうが、貴族は皆そう解釈するのか。レティもディールと同様の見解を示した。


「『大御心』なんて言われたら、先ずそう考えるわよね」


 ディールとクラートが頷いた。レティによれば陛下からの「思し召し」に従えないとならば、それはもう藩屏とは言えない。その上で『大御心』なんて来られたら、貴族が思い浮かぶのは一つだけだと。それが「奪爵」だというのである。そこまで聞いても、現実世界で生まれ育った俺にはイマイチ理解できない感覚。


 貴族制度そのものが旧い制度だからだろう。全く感覚が身に付かないので、俺にはやっぱり分からない。しかし郷に入らば郷に従えという。ここはエレノ世界なので、そういうものだと思い込むしかない。俺はこの書簡について尋ねた。国王陛下からアルボルーダ男爵へ送られた書簡。これをどうして持ってきたのか。


「我が家へ相談に参られました、アルボルーダ男爵より預かりました」


 王都にあるクラート子爵邸へやってきたアルボルーダ男爵は、覚悟を決めたのか率直に事情を話したという。借金の穴埋めになればと小麦特別融資を受けて小麦を買うと、小麦価がたちまち三倍となり、これは行けると買った小麦を担保として小麦を購入し続けたと。小麦の資産価値は大きく膨らみ、保有小麦価格が一時、三億ラントを超えたという。


 ところがある日を境に急落。坂を転がり落ちるようにどんどん値が下がり、小麦勅令の後はピクリとも値が動かなくなってしまった。今は身動きも出来ず、他所から借金するのもままならない状態だとアルボルーダ男爵は頭を抱える日々。だがアルボルーダ男爵は話してくれたので事情は分かったが、トマーナ子爵家からは連絡もないので知りようがない。


 クラートがそう言って嘆いた。だが話そうが話すまいが等しく支払期限が迫ってくる状況下、王国からある種の精算を迫られているのは、かなりのプレッシャーであるのは間違いない。相談に来るのも、話さないのもその現れであるとも言えよう。しかし、どうしてアルボルーダ男爵は、この書簡をクラート子爵家へ置いていったのだろうか?


「母上がグレンにお見せするようにと」


 えええええ! クラート子爵夫人がまさか俺に投げてくるなんて・・・・・ 俺に一体どうしろと言うのか。力になるとクラートと約束をした手前、出来る限り何かをしなければならないのだが、これは中々のクセ球だ。俺はこの書簡をクラート子爵夫人に託した、アルボルーダ男爵が何を言っていたのかについて聞いてみた。


「男爵はお悩みになっておられました」


 まぁ、そうだろうな。当然の反応だ。クラートが話を続ける。


「この際、爵位の返上と書類の返納を行った方がいいのではと。ですが・・・・・」


「何か引っかかっているのか?」


 俺の問いにクラートが頷いた。


「今後の事をお悩みになっておられて・・・・・ どのようにすればと」


 やはり所領を失った後の話か。爵位を失えば、所領を治める資格も喪失する訳で、事実上の失業。宰相閣下や内大臣トーレンス侯のように王国に出仕して働いている者は別だが、ノルデン王国ではそういう貴族は少数派。かと言って、なにがしかの商売をしている訳でもない。殆どの貴族は所領の統治だけで生計を立てているのだ。

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