602 ジニア=アルフォード商会

 北の隣国サルジニア公国の首府ジニアでジニア=アルフォード商会を設立し、商っているロブソンからの封書が届いた。ノルデンとサルジニアの間では早馬システムが使えず、封書のやり取りに時間がかかる。サルジニアに留学したカテリーナとは、今までに三回しかやり取りが出来ていないのだから。


 これは国境線で封書を一括してサルジニア側へ引き渡し、あるいは引き取りを行うからである。遠い昔に決まった取り決めからそうなっているらしいのだが、要は早馬を走らせる速達が無力化されているようなもの。なので、ロブソンからの返書が届くのに時間がかかるのは仕方がない。


 俺は受付で封書を受け取ると、そのまま伝信室に飛び込んで便箋を広げた。そこにはロブソンの字で俺が問い合わせた件。『エレノオーレ!』の続編、『エレノオーレ!ツヴァイ』の主人公。アリスティー・エレノオーレ・ディ・ジニアと、パトリシア・エレノオーレ・アンスブリッジという、二人のエレノオーレに関する情報が書かれていた。


「おい・・・・・ 嘘だろ・・・・・」


 俺はロブソンの回答を見て絶句した。何と二人共「サルジニア公立高等学院ラフィス」の第二学年だというのである。留学したカテリーナも「高等学院ラフィス」の第二学年らしいので、つまり俺とも同級生だという事。続編である『エレノオーレ!ツヴァイ』は、『エレノオーレ!』と全く同じ時系列に位置していたのである。


「これは聞いてないぞ・・・・・」


 俺はロブソンからもたらされた情報に困惑した。続編をプレイした事がない俺には、コルレッツからの情報しかない。その情報の中に、俺達と同級生。つまり前作の主人公であるアイリとレティの同い年だなんて話は無かった。『エレノオーレ!』は一年生から二年生にかけての話だが、『エレノオーレ!ツヴァイ』は何年生から話なのか。


 しかしカテリーナの留学先が続編の舞台だったのも驚きである。その続編のヒロインであるアリスティー・エレノオーレ・ディ・ジニアは、活発な公女として名が知られていると、ロブソンが記している事からも有名人であるのは間違いなさそうだ。まぁ、現サルジニア公国公主、マリオス八世の第二公女なのだから当然か。


 一方、もう一人のヒロインである、パトリシア・エレノオーレ・アンスブリッジは最近聖女と認定され、サルジニア公国で注目されている人物だという。ヒロイン二人共無名な『エレノオーレ!』とは違って、ヒロインが両方とも有名人というのは設定の一つなのか。俺はより詳しい情報を確認すべく、急いでコルレッツへの封書をしたためた。


 ――サルンアフィアは貴族学園。徳政令は徳政令でも話題となるのは平民向けに行われた緊急小麦融資支援の徳政ではなく、『貴族ファンド』が行った、小麦特別融資の有担保融資に対する徳政である。爵位の返上と所領の返還を以て支払いを免除するという、条件付きの徳政に対し、皆があれこれと話をしているのだ。


 勿論、アーサーも同じである。アーサーは高位伯爵家ルボターナであるボルトン伯の嫡嗣なので、貴族中の貴族。その上、家の借金問題を背負い込んで苦しみ、家の為にあれこれと動き回らなければならない立場だった訳で、この条件付き徳政については色々思う所があるようだ。いつものように大切りステーキをパクパクと食べながら言う。


「この際、返上と返納をした方がいい」


「随分と思い切った事を言うなぁ」


「だって払える見込みがなさそうだからな。それにグレンやリサさんのような人なんて、そうそういないだろうし」


「いやいや、俺なんか・・・・・」


「何言っているのだよ。潰れるウチの家を持ち直させたんだぞ。ウチだけではなくてシャルマン男爵家まで。こんな事、他所で言えるかって」


 アーサーはそう言うと、誰も聞いていないだろうなといった感じで、回りを見渡している。そしてこちらに顔を向けると、知られたところで嫉妬と妬みの対象にしかならないと話した。まぁ、そうだろうなぁ。エレノ世界やってきて七年、このサルンアフィア学園に通って一年になるが、アーサーの言わんとする事はよく分かる。


「お前に経験させてもらって、少しは分かるようになったよ。爵位や所領に拘るより、精算した方がマシだって」


「しかし、所領がないのにどうやって生きていくんだ?」


「それは大問題だよ。だけど、『貴族ファンド』でお金を借りた貴族が領国経営を続けるのはもう無理じゃないか? だから返上と返納をするしかないと思うんだ」


 随分とハッキリ言うなぁ、アーサーは。しかしその言葉に誤りがあるとは思えない。


「ウチの場合、借りたお金をお前が借り換えてくれて負担が減った上に、投資をするカネまで調達してくれたんだ。だからウチは見込みが出てきた。しかし『貴族ファンド』から融資を受けた貴族は違う。それを領地の投資に使わずに小麦に使ってしまった。小麦の値段がタダ以下になっているのに、どこに投資のお金が残っていると思う?」


「ないな・・・・・」


「だろ。もうお金を貸してくれる業者もいないよ。だから見込みがないんだ」


 しかし随分と勉強したんだな。アーサーの話に俺は感心した。返す見込みがあるから貸すのであって、返す見込みのない者にカネを貸す筈がない。もし見込みがないのに貸す者が居たとすれば、それは何か別の意図がある者だろう。そういう場合、ロクな動機じゃないのは言うまでもない話。大方、ゆする・・・か脅すかの道具に使う為である。


「もし、ウチのように融資を受けたお金を領地に投資していれば・・・・・」


「でもあれは小麦を購入するのが条件の融資だったんだよ」


「えっ!」


「だから「小麦」「特別」融資なんだ。無条件の融資額は少ないんだよ。殆どが小麦の購入する為の融資」


 俺がそう説明すると、アーサーはギョッとしている。どうやら『貴族ファンド』の融資について、あまり詳しくは無かったようである。そもそもボルトン家が借りていないので、分かる筈もないか。


「そうか・・・・・ 最初から小麦を買わせるように仕向けられていたんだな」


「そうだ。折からの小麦相場の暴騰を見て、多くの貴族がそれに乗ってしまった」


「儲ける為だよな、それって」


「ああ。でも残ったのは莫大な借金だけだ」


 カネが儲かると小麦を掴んだら、それはかすみだったのである。そして今、その霞を掴んだツケが回ってきた。そんなところか。


「でも、儲けが出て借金の穴埋めに使えると思ったんだよなぁ」


「そうかもしれないな」


 俺はアーサーの言葉に頷いた。全員ではないかもしれないが、少なからぬ貴族の動機がそれであったであろう事は容易に想像が出来る。というのも、どの貴族家も多かれ少なかれ借金を抱えているのだから。レティの実家、リッチェル子爵家だってレティが大ナタを振るったから、何とか家が持ち直したような状態。


 ドーベルウィン伯爵家だって、家にある様々なモノを売っぱらってカネにした。多額の小麦特別融資を受けているレグニアーレ侯爵家だって、俺に黒屋根の屋敷を売って、財務的に一息ついた筈である。俺が知っている限り、豊かだなと思ったのはクリスの実家で宰相家であるノルト=クラウディス公爵家と、アンドリュース侯爵家ぐらいなものだ。


「もしお前がいなかったら、他の家と同じように『貴族ファンド』からカネを借りて、大変な事になっていたかもしれない・・・・・」


 あっ! アーサーの今の言葉で全てが分かってしまったのである。以前からそうではないかと思ってはいたのだが、俺は確信したのだ。乙女ゲーム『エレノオーレ!』の中で、ボルトン伯が貴族会議の最後に宰相の解任動議に賛成した理由を。ズバリ『貴族ファンド』からカネを借りていたのである。だからアウストラリス公を支持せざる得なかった。


 勿論、そんな描写はゲームには出てこない。そもそもボルトン伯自体、その時の一文しか出てこないし、アーサーなんか登場すらしないのだから。しかし『エレノオーレ!』の中にも、アウストラリス公が後ろ盾となり、フェレットが主導した『貴族ファンド』は存在していたのは確実。「もしもお前がいなかったら」というアーサーの言葉は大きい。


 国王派と宰相派に対抗する貴族派。開かれた貴族会議が四十五対四十五という互角の中、中間派を取り纏めたボルトン伯が貴族派に味方した事で四十五対五十五となり、宰相の解任動議が可決。公爵令嬢クリスティーナが正嫡殿下から婚約を破棄され、宰相閣下の解任された事がノルト=クラウディス公爵家の没落を決定付けた。これがゲームの流れ。


 エレノ製作者はよくある話を単純に書いただけなのだろう。しかし、連中は知らなかった。そこに至るまでの流れや裏付けといったものが、この世界で確実にあるという事実を。その流れ、ゲームの流れを変えたのは、間違いなく俺の存在だった。今まで全く意識をしていなかったのだが、アーサーの言葉を聞いて、ストンと胸に落ちたのである。


 考えれば貴族学園であるサルンアフィア学園には存在しない筈の俺。商人階級の子弟なぞ半世紀以上入学していないというのに、いきなり入ってしまったのだから、その時点で既に異物だった。故にモブですらない俺なのだが、その俺がゲームの舞台である学園に入った事自体が、ゲームの流れそのものを変えてしまったという訳だ。


 今までアイリとの関係を何とかしようと思ったり、レティだけでもフラグを立てようと努力をしたり、あれこれ努力をしては見たものの、成果が全く上がらなかったのは、俺の存在そのものがゲーム的なバグだったから。何かアーサーの一言で、全てが見えてしまったような気がする。何か視界がクリアになったようで、気持ちが凄く軽くなった。


「おい、グレン。大丈夫か?」


「ああ」


「いや、それならいいんだ。何か遠いところに行ってしまいそうな感じがしてな」


 アーサーには、俺がどうやら別世界に飛んでいたように見えたようだ。こちらエレノから見れば、俺は異世界の人間。いずれ去らなければならない身である。コルレッツが言うように、ゲームの終わりは近い。しかしゲームのシナリオが終了した時、俺は現実世界に戻ることが出来るのだろうか? それはまだ確信は持てなかった。

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