601 大御心

 しかし情報というもの。断片的な話ばかりが伝わってくると、早合点をしてしまって事実とは大きく異なる解釈をしてしまう場合がある。今回の宰相府からの発表がまさにそうで、学園に出回った話と、シアーズから聞いた話と、ディールから言う話が違うので、どれが本当なのかが、イマイチ分からない。


 もしかすると今日発行された雑誌に、シアーズやディールの知らない話が書かれている可能性があるやもしれない。この徳政令話、人によって話が大きく違うのは、自分の尺度でに解釈をしてしまうからだろう。なので、少しでも情報を増やしておかないと、憶測で振り回されてしまいかねない。俺はディールと別れた後、急ぎロタスティへと向かった。


 ロタスティの前には、いつも各誌の号外が積まれている。今回は借金が棒引きになるという徳政令の話なので、『翻訳蒟蒻こんにゃく』以外の全雑誌が号外が並んでいた。俺はその全てを取ると、購買に飛び込んで『翻訳蒟蒻』を購入。教室に向かう生徒を尻目に、始業を知らせるベルを無視して、そのままロタスティの個室に籠もった。


「緊急小麦融資支援、全額免除。宰相府が断!」(『小箱の放置ホイポイカプセル』号外)


「徳政令発令へ! 緊急小麦融資融資支援、全額国費」(『蝦蟇がま口財布』号外)


「平民向け融資完全帳消し、宰相府が国債発行を決意!」(『無限トランク』号外)


「平民融資無条件免除! 貴族融資は爵位返上が条件!」(『週刊トラニアス』号外)


 各誌一斉に緊急小麦融資支援の全額免除を伝えている。その中で先週末、宰相府で行われた発表について、驚くべき事が書かれていた。何と宰相閣下自らが会見を行い、質疑の応答までしたという。これはかつて無かった事で、前代未聞の事態だと各誌が伝えている。それだけ徳政令の発表に賭ける、宰相閣下の強い決意の表れであろう。


 この席で宰相閣下は徳政令公布の事由について、小麦価格の暴騰は小麦の凶作によって発生したのではなく、特定の大掛かりな買い占めによって引き起こされた作為的と断言。極めて作為的に行われたと指弾したのである、故にその被害を受けた平民に何ら負うべき責など欠片もなく、故に緊急小麦融資支援の全額免除を決意したと表明した。


 その上で係る費用について、全額国債によって補うと発表したのである。その後に行われた質疑の席で、この度発行される国債の支払い原資について『小箱の放置』の記者に聞かれた宰相閣下は、先般接収したフェレット、トゥーリッド両商会の資産を活用すると明言したのである。


 その理由について『蝦蟇口財布』の記者が問うと、両商会が出資していた『貴族ファンド』が小麦価格の暴騰を促進させたと指摘。その資産を使って、小麦価格の暴騰で窮状に瀕した平民を救済するのは、王国としては当然の措置であると断じたのである。まさか直々の会見で、ここまで踏み込んでいたとは、全く予想外だった。


 宰相閣下は、小麦暴騰を引き起こした『貴族ファンド』の資金を担保として国債を発行し、その国債を使って平民に向けて行われていた、緊急小麦融資支援の払いを王国が担う事を堂々と表明したのである。ここまでハッキリしていれば、徳政令にケチを付けようが無いのではないか。


 一方『貴族ファンド』についてフェレット、トゥーリッド両商会より王国が出資金を引き継ぐ一方で、他の出資者が放棄を行った為に王国が完全保有した件や、『貴族ファンド』が行った融資を全て継承した件について発表。『週刊トラニアス』から小麦特別融資について、担保が欠損した場合の追証について質問が飛んだ。


 すると宰相閣下は引き継いだ契約書を踏襲すると述べ、全ては従前の契約書通り、粛々と手続きを行う事を明らかにしたのである。これを受けて『無限トランク』の記者が例外の有無について問いかけると、宰相閣下は「例外無き適用」との返答を行った上、小麦特別融資の有担保融資利用者には契約書に基づき、既に追証を請求した事を明らかにした。


 この回答を受けた『無限トランク』の記者は現在、小麦相場は低迷を続けており、『貴族ファンド』が行った、小麦特別融資の有担保融資の追証が相当額になるのではないかと指摘。借り手の財務能力を大幅に超える追証が発生する可能性も考えられる中、万が一借主が支払えなかった場合についての処置を質したのである。


「契約書には例外事項が無く、王国としては、毅然かつ厳密なる対応を行う他は無し」


 その上で小麦特別融資の利用者が尽く貴族である事を考慮すれば、爵位の返上と所領の返還を以て融資資金の免除を行うのが、藩屏たる貴族への思し召しであると宰相閣下は話した。これが貴族向けの「徳政令」という訳だ。ここで言う「思し召し」とは国王陛下の「思い」であり、これを袖にすれば、分かっておるだろうなという恫喝にしか見えない。


 この宰相閣下の言葉を聞いた『翻訳蒟蒻』の記者が、それは如何なるものかと問うたので、宰相閣下は『大御心おおみこころ』だと語った。これがディールの言っていた「勅旨ちょくしを出して爵位と所領を召し上げる」という情報源のようである。というのも『小箱の放置』によれば、『大御心』というのは国王陛下の御心の内の意。


 しかし前から思っていたのだが、国王陛下に関する言葉がいちいち大袈裟なのは仕様なのか。そういえば現実世界でも天皇陛下の「おことば」とか、「ご公務」とか、言葉が違っていたなぁ。それはそうとして、今や王国の財産となった『貴族ファンド』。つまり国王陛下が『貴族ファンド』の保有者であり、『貴族ファンド』と国王陛下は直結している。


 それが為『小箱の放置』の記事は、『貴族ファンド』と交わした契約を反故にする行為そのものが不敬の対象となると指摘。前後の文脈から察するに、勅旨を以て正す。即ち、奪爵接収が行われると解説されていた。これはおそらくグレックナーの妻室ハンナの見立てだろう。それがあながち間違っていないであろう事は、『翻訳蒟蒻』を読めば分かる。


 何故なら「徳政令、前提条件無しの完全免除を行うべし!」と大書して騒いでいるからである。そもそも貴族向け雑誌から始まっている『翻訳蒟蒻』は、終始一貫、貴族側の立場に立った記事を書き続けた。これは貴族会議の建議に際して、如実に表れている。他の四誌と一線を画しているとも言えるのだが、単に的が外れているだけではないかと思う。


 それはさておき『翻訳蒟蒻』は徳政令は全ての者に適用されるべきであって、平民のみに無条件で適用するのは問題だと主張。貴族に前提条件があるのは差別であり、片落ちであるとの意味不明の訴えをしていた。その記事の記名を見ると、何とイゼーナ伯爵夫人、車椅子ババアだ。『翻訳蒟蒻』を発行するノルデン報知結社のオーナー家である。


 しかしあの車椅子ババアは、何処までも身勝手な主張するな。そもそも緊急小麦融資支援は、小麦高騰に苦しむ平民を救済すべく宰相府が主導したものだから宰相府は緊急小麦融資支援に対して責任を持つ立場であり、それを果たすべく緊急小麦融資支援を使って行われた融資の免除一切に踏み切った。『貴族ファンド』とは成り立ちから違う。


 そもそも『貴族ファンド』は、フェレットを初めとする一部商人と有力貴族達が「自主的」に設立したもの。『貴族ファンド』の設立に宰相府は一切関与していない。王国の施策に一切関わりがない上に融資対象も貴族に限られており、やった事はと言えば膨大な小麦特別融資を行い、小麦相場に多額の資金を流入させて小麦暴騰を引き起こした。


 いわば小麦価の暴騰させた「戦犯」に、どうして徳政令を適用しなければならないのか。緊急小麦融資支援の手当ては「義務」だが、『貴族ファンド』から融資を受けた追証を払えぬ貴族には思し召し・・・・という「酌量」。この王国の、いや宰相閣下の姿勢は、至当なものである。ここで言う「思し召し」とは、ある意味私的なもの。


 王国の藩屏たる貴族のやらかし・・・・を救うという「お気持ち」が「思し召し」。しかし国有化された『貴族ファンド』の財産を理由もなく欠損させる訳にはいかない。だから小麦特別融資の追証が支払えぬ貴族に対し、爵位の返上と所領の返納を以て『貴族ファンド』への支払い一切の免除を行うという「落とし所」を作った。


 しかしその温情を無下にしたとあっては、タダでは済まない程度の事など、誰でも分かる話である。契約通り追証の支払いを行わず、爵位の返上と所領の返納も行わなかった者には、相応の処置が取られるだろうという宰相閣下の姿勢は至極当然。この相応の処置こそが『大御心おおみこころ』という言葉。つまり王権を使って処断すると言っているのだ。


 言い方は悪いが、貴族達は「自分達がいなければ王国が成り立たない」と居直っている節がある。王国領内の八割が貴族領。貴族家の数も三千家を越えており、王国最大の圧力集団を形成していると言ってもいい。そんな自分達が平民達から王国を守る盾。即ち藩屏となっているのだから、王国が自分達を守るのは当然だと考えている。


 だがそれは単なる貴族のおごりに過ぎない。会社でもそうだが「自分がいなければ仕事が成り立たない」と思っているヤツくらい、ポイされるものはない。何故なら本人が思う程には、利用価値がないからである。生き残る為には常に利用価値をアピールするか、置いておいても支障がない人畜無害になるかの二択のみ。


 いや、自分が飼う側に立つという方法もあったな。元公爵アウストラリスはこの道を選んだが、あえなく失脚した。成功すれば総取りだが、失敗すれば全てを失う。最もリスクのある方法であるとも言えよう。ただ言えるのは、小麦特別融資を借りた貴族達を王国が無条件に助ける程の価値はないという事。これだけは間違いない話である。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る