600 錯綜
ロバートがディルスデニアに足繁く通う理由。それは路上踊りで身を起こし、カニとメロンを配って宰相の座に就いたイッシューサムが打ち出した「心のゆとり」政策のに起因しているのだと、ザルツが話した。しかし「心のゆとり」が骨董品に調度品だとは・・・・・ 上手いというのか、安っぽいというのか、評価し辛い謎政策だな。
「要は骨董品なりを持っていけば売れる、商売が出来るって話だな」
「ああそうだ。だがな・・・・・」
少し困った表情をするザルツ。ん? 商売になるというのに、その微妙な顔はなんだ?
「安いんだよ、これが。民衆相手だからな。品薄になっても高値にならん」
ザルツは小麦と毒消し草の儲けに比べれば微々たるものだと嘆いてみせた。いや、少し楽をして儲け過ぎたかなと、苦笑している。ガラクタを安く買い付けて、買い付けたガラクタを安く売るという薄利多売。ところがガラクタの供給は不安定で多売にもならぬ。これではな、と言うのである。しかしイッシューサムとの繋がりから、やらざる得ないと。
「向こうの方は、サルジニアと同じで貴族が少ない。だから高級品は売れんのだ」
ディルスデニアは王国なのに、何故か貴族が少ないというのである。俺はその理由を聞いたが不明だとの事。ザルツもその辺り事情については全く知らなかった。高貴な身分の者がいなければ、貴金属やら利ざやの大きいものが売れにくい。平民が纏まったカネなんか持っていないからな。
「だったら、この際、イッシューサムに売りつけたらどうだ」
「ハハハッ!」
ザルツは俺の案を聞いて笑った。俺は半分本気なんだが・・・・・ だが、ザルツの言葉を聞いて閉口してしまった。イッシューサムは基本、買わずに貰うのだと。つまりタダでなら貴金属は受け取るが、カネを出しては買わない。これでは商売のしようがないではないかと。ザルツの言う事はもっともだ。
「薄利でもなぁ。多売出来る在庫があればいいのだが・・・・・」
利が出しにくい要因の一つが供給不安定。骨董品、すなわちリユース、中古品であるが為、在庫が安定しない。ザルツが言うには旺盛な需要があるとの事なので、在庫があって安定供給されれば、相応の利益が出てくるのだが・・・・・ 世の中、そんなに上手くいく話なんてものはない。俺がエレノ相場で常勝しているのなんか、単なるチートだからな。
「まぁ、一つグレードの高い骨董品が大量に欲しいなんて、考えてもみれば贅沢な注文。自分の国に高貴な人間を増やして来なかったから。モノが少ないだけ」
グラスにワインを注ぎながらザルツが言う。そもそも「ゆとり」がないから、絵やら陶器やら什器。それに貴金属やらを買う人間が少ないのだと。それに対して、ノルデンにはそういった者が多い。だから供給が不安定だといっても、モノはある。だが、と話を止めたザルツは俺の方を見た。
「そもそもノルデンは多すぎるんだ。高貴な御仁なんて本来、少ないもの」
もし徳政令の受け入れで貴族が減るのであれば、丁度いいのではないかとザルツは言う。中々危険な言葉である。そんな事はお構いなしに、これでノルデンも大きく変わるだろう、ウチも時代に対応せねばなと話す。俺も全く同感である。ザルツはノルデンの未来を考えれば、宰相閣下の御決断は的確だと指摘すると、グラスに残ったワインを飲み干した。
――週明け。早朝に起きてストレッチを行い、朝食を食べてから鍛錬を行って風呂に入るという、最近戻ってきたサイクルをこなして教室に向かうと、廊下で行き交う生徒が少なくなっているのに気付いた。クラスに入ってもいつもより生徒の数がぐっと少ない。何かあったのかと思ったら、ディールが俺の元にやってきて、廊下に引っ張り出された。
「おい、グレン! カタリナが帰ってきていない!」
「はぁ?」
小声で言ってきたディールの顔を思わず見た。カタリナ・・・・・ テナントがどうしたってんだ? かなり深刻そうな顔をしている。
「カタリナだけじゃない! 来ていないのが・・・・・」
「一体どうしたんだ?」
「どうしたもこうしたもないって。来ていない生徒は、例の融資を受けた家ばかりだぞ」
「あっ!」
俺のカンの鈍さがここで出た。貴族階級の人間じゃないから、そこに意識が向かなかったのは仕方ない。小麦特別融資を受けていた貴族家の子弟が、休日に家へ帰ったまま学園へ戻ってきていないのである。生徒側が通いたくなかったのか、家の者が引き留めているのかは分からないが、学園に居ないのだから戻ってきていないのは事実。
「カタリナには只事じゃないから、気持ちを引き締めておけって言っていたが・・・・・」
考えてみれば、カタリナの実家テナント男爵家も小麦特別融資を受けていた。ディールとカタリナは仲がいい。去年あった実技対抗戦の時も一緒に組んでいたからな。ただカタリナから、家が小麦特別融資を受けていた話を聞いた時には、既に小麦価が暴落した後だったそうだ。人間困ってから話をするものだから、これはどうしようもない。
「トルザムアルトも来ていないんだ」
トルザルアルトはクリスの隣に座っている伯爵家の次男。ウチのクラスでは序列二位。まぁ、一位が圧倒的なので後はどんぐりの背比べみたいなものだが。このトルザムアルト伯爵家も小麦特別融資で六億ラント以上の融資を引き出している。ディールから来ていないヤツの名を聞くと、いずれも小麦特別融資を受けた家の子弟。
「やはり先週の発表が大きく影響しているんだよ」
「宰相府のか?」
「ああ。融資を返さなければ爵位の剥奪と全財産の没収って話だからな」
「えっ? 徳政令で全て免除されるんじゃないのか?」
ディールの話を聞いて思わず聞き返した。確か先週、学園内で流れていた話ではそうなっていた筈。それに俺が幻滅したところにシアーズから話を聞いて、自主的な爵位の返上と所領の返還を行えば融資の返却を免除されるという内容だった事が分かった。しかし、ディールの口から出た話は全く知らない。どうしてそんなに話が違うのだ?
「それは自主的に爵位の返上をなされた家の話だ。もし融資を返さず爵位の返上もしなければ、
ディールが実家に帰って聞いた話として、そんな事を言い始めた。
「そんなに厳しいのか!」
「期限が今月末までなんだぞ! あと十日。十日以内にどうするか決めなきゃいけない! 時間がないんだ!」
あああああ!!!!! そうだったのか! ようやく意味が理解できた! 先月末の相場で確定した追証の支払期限が今月末。だから十日という日数が出てきたのか!
「十日以内に融資を払えって言われたって無理だろ」
ディールがそんな無体な事をと言う。いや、ディールよ。それは違うぞ。一体誰に聞いたんだ? すると母上。ディール子爵夫人からだという。さっきの爵位剥奪といい、今の貴族世界では情報が錯綜しているようだ。
「おい、ディール。そのカネは融資の返却じゃないぞ。融資を受ける為に担保にしていた小麦が二束三文になったからなんだ。小麦に担保能力が無くなったから、代わりにカネを積んで担保にしなきゃいけない。融資を受ける段階でそういう契約になってんだよ!」
「じゃあ、ウチが借りていた融資も・・・・・」
「同じ有担保融資だ。高値でリサが売ったから問題ないが、もし持ってたらカネを積まなきゃいけなくなる」
「・・・・・」
ディールの顔から血の気が引いている。以前ディール家でこの手の話を何度かしたのだが、追証については夫人同様、ディールも理解できなかったようだ。
「今回の追証は先月末のものだ。例えば融資段階、二万ラントで買った小麦千袋を担保に入れて二〇〇〇万ラントを借りたならば、月末の相場値がマイナス一〇〇ラントだった場合、二〇一〇万ラントのカネを積まなきゃいけなくなる」
「お、おい。それって融資額よりも増えてないか?」
「ああ。しかし今、小麦相場がマイナスになっているんだ。追証もそのマイナスを組み込んで積むしかない。小麦を売らず、相場値が戻れば追証も戻ってくるが・・・・・」
「・・・・・戻ってくるのか?」
「七〇ラントくらいにはな」
「・・・・・」
間違っても一万ラントなんかにはならない。これだけは言える。だから相場値が上がったとしても、戻ってくる追証は微々たるものだと思った方がいいだろう。小麦を売るにもマイナス相場だから、カネが入ってくるどころか逆に払わざる得ず、追証を積んでも融資を受けた段階の相場値には戻ってこないのは確実。
「まぁ、どちらにしても融資のカネはいずれ返さなくちゃいけないもの。それをどう考えるかだな」
「担保額を維持するのか、借金を返すか。どちらも・・・・・ 同じようなものじゃないか・・・・・」
声を捻り出すようにディールが話した。全くディールの言う通り。言う通りなのだが、そうした融資契約を行って小麦相場にカネを注ぎ込んだのは、契約した貴族達。この責任から逃れる事なんて不可能なのである。要はカネを払うのか、払わぬのか。払うとして追証なのか融資の返済なのかは、好きなの選べとしか言いようがない。
「もし、お前に相談していなかったら・・・・・ 恐ろしい事になっていた・・・・・ 俺だって学園に来られなかった、来られるような状態では無くなってる・・・・・」
「子爵夫人に感謝するしかないな」
そうなのだ。あの時、夫と長男の動きがおかしいと思った夫人が、ディールとディールの次兄ジャマールに相談し、俺へ話を持ちかけてきたのが事の始まりだった。もしディール子爵家で『貴族ファンド』と結んだ小麦特別融資の契約書を見なければ、状況を把握するのがかなり後になっただろう。それだけディール家からもたらされた情報は大きかった。
「母上もそうだがグレン、お前にもだよ」
「それを言ったら、俺の名前を持ち出したお前の兄にもだよ」
「ああ・・・・・ そうだったな」
ディールは首肯した。夫人が気付き、ジャマールが閃き、ディールが俺に振って、俺が知ってリサに投げた。様々な偶然が重なって今日に至っている。どれが欠けても繋がらない。それが繋がっている、繋がったという事はつまるところ、ディール子爵家の命運は尽きていなかったという一点に尽きる。分水嶺はこういう所で現れるものだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます