599 末路
宰相府の発表。徳政令についてザルツに聞いてみると、意外なくらい情報を持っていなかった。むしろ俺の方が知っていたくらいで、どうなっているのかと思ったぐらいである。ザルツ曰く「月並みな情報」しか無いという状態。これは徳政令に関する宰相府の動きについて、限られた人間にしか共有されていなかったからだろう。
その数少ない限られた人間。そのうち一人がワロスである。魔装具で連絡を取ると、ノルト=クラウディス公爵邸で行われた「秘密協議」の実態について、ワロスから直接聞くことが出来た。何の前触れもなくシアーズから「実務者が必要だ」と、いきなり馬車に乗せられて公爵邸に入ったのが、ワロスにとっての始まりだったそうだ。
ワロスによると、会ったのは宰相閣下と宰相補佐官でクリスの次兄アルフォンス卿、そして宰相府からやってきた官吏の三人。いきなりの話で驚いたが、この三人とシアーズ、ワロスの五人で二〇〇〇億ラントの国債発行や緊急小麦融資支援の償還方法、更には貴族特別融資の追証の取り扱いについて協議が行われたのだという。
宰相閣下とアルフォンス卿は大まかな方針を話した後、宰相府の官吏に任せたので、実質的にはこの官吏とシアーズ、ワロスの間で協議が行われた。いきなりの展開に戸惑ったものの、宰相閣下の意図を察したワロスは、その意に沿うようにスキームを構築したと話した。しかし全面的に任されたという宰相府の官吏、誰だ分からないが、中々優秀だな。
俺は「限られた人間」であるシアーズとワロスから話を聞けたので、今回の徳政令に関する、宰相府の決定の概要を掴む事が出来た。要は小麦高騰で悩む民衆向けに行われた「緊急小麦融資支援」の支払い。これを免除する為の資金を『貴族ファンド』が貴族に向けて行った、小麦特別融資を担保として資金を調達するというもの。
資金調達の方法は国債。『金融ギルド』が窓口となって行った緊急小麦融資支援の融資を全て王国が負い、その代わりに『金融ギルド』が国債を引き受ける。これは『金融ギルド』から見た場合、融資先が貸金業者を介した平民から、王国に変わっただけの話。ただ多数の平民の小口融資が、王国に一本化されたのは大きな違い。
同じ巨額であっても、小口なら焦げ付きも分散されるが、大口一つとなれば話は別。脆弱な財政である王国に巨額債務が背負えるのかという問題が出てくる。この裏打ちになるのが『貴族ファンド』の小麦特別融資。ところが貴族達がこの融資を受けて買った小麦は二束三文どころか、マイナス相場で担保能力がない。
ところが融資を受けた貴族には所領という資産がある。これを担保としようと考えたのだ。膨大な小麦特別融資のカネは跡形もなく消え去ったが、貴族の所領は
またこの政令によって貴族達は所領を担保に入れられず、これ以上カネが借りられなくなっている状態。要は首が回らなくなっている訳で、そこに所領を渡せば、小麦特別融資を受けて抱え込んだ借金をチャラにしましょう。これが貴族向けの徳政令の中身で、返納された所領は当然ながらノルデン王国の直領となる。
この増えた直領を国債の裏打ちとしたのだ。つまり貴族達の財産を使って民衆の借財を償還する形。そもそも凶作だった小麦価が暴騰したのは『貴族ファンド』から借りた小麦特別融資を惜しげもなく小麦相場へ注ぎ込んだ貴族が最大の要因。それが為、宰相府は『金融ギルド』を通じて、平民向けの「緊急小麦融資支援」を行った。
要らぬものを背負わされた形となった平民の借金を徳政令で棒引きとし、その穴埋めに小麦暴騰の原因を作った貴族の財産を使うという計画は、当然の話だと言ってもいいだろう。しかしそれ以上に、これを実行する為の根拠というのが、俺が国王陛下に献呈した『貴族ファンド』の書類だというのだから皮肉なものである。
融資のカネは小麦相場で溶け切って跡形もなくなり、紙切れ一枚となってしまった小麦特別融資。この払いを貴族に迫り、それが出来ない貴族から所領を受け取り直領とする。直領となれば税収や鉱山収入が直接王国に入り、国庫が増えるのは当然の話。実質的にこれを担保として国債を発行しようという事なのだから、全ての辻褄が合う。
ただここで笑えるのが、王国が何ら成して居ないという部分。カネを出した訳でもなければ、『貴族ファンド』を潰した訳でもない。ただフェレット、トゥーリッドの財産を接収する中で、両商会が出資していた『貴族ファンド』の権利を取得して、大暴動で燃えたと思われていた契約書類を俺からタダでゲットしただけなのだから。
ノルデン王国は国家運営からそうなのだが、ある意味、究極の他力本願で運営しているとも言える。よくよく考えればエレノ世界で警察や裁判所、刑務所がないのも、全て当該者の周りにいる血縁者に片付けさせているのだから。言い方は悪いが、自ら手を汚さない手法に関しては徹底している。今回の一件もその例に洩れない。
小麦の凶作や群衆の暴動といった王国を揺るがす災厄あったにも関わらず、その結末がタダで直領が増えるというのだから、最早焼け太りだと言ってもいいだろう。その中に俺やアルフォード商会も一枚噛んでいるというのが何とも言えないが。しかしザルツの話を聞いていると、全ては過ぎ去った話であると捉えているようである
ザルツにとって目下重要な話は徳政令ではなく、モンセルを守っていた筆頭番頭のトーレンがトラニアスに上京してくる件。アルフォード商会の幹部人事な訳で、ザルツの話は熱を帯びていた。そこでザルツは意外な事実を話したのである。レジドルナから立ち去った後、何処に行ったのか分からなかった、元公爵アウストラリスの動向についてだ。
「どうやら許可証を得ず、サルジニアへ渡ったらしい」
許可証とは、出国許可証。意味合いが違うがビザのようなものだ。だが、エレノのそれはビザよりも重要。特にサルジニアとノルデンの国境においては絶対に必要なもの。何故なら許可証がなければ、両国を結ぶ唯一のゲートからノルデンに入国する事が出来ないからである。
許可証がなくても出国できるというのが謎ルールでエレノらしいのだが、許可証を得ずして出国すると、ノルデンに再入国できないというのだからシャレにならない。ゲート外の国境線はその昔、サルンアフィアが張ったいう結界によって、行き来が出来ない状態。許可証を持っていない状態での出国は、実質的に二度とノルデンへは帰って来られない。
「同行していた衛士や随員達は、ゲートの先で見送ったそうだ」
ザルツは先日モンセルへ帰った際、トーレンからその話を聞いたそうだ。だったら、帰ってきた時に言えよと思うが、ザルツにとっては重要な話ではなかったのだろう。又聞きの又聞きなので断片的な話だが、どうやらアウストラリス一行はレジドルナを去った後、東に向かってモンセルを経由。北上してサルジニアとの国境線に到達したようだ。
「しかし爵位を返上したとはいえ大貴族。寂しいものだな」
どのような経緯でそうなったのかは分からないが、許可証を持っていないアウストラリスは親族と共に徒歩でサルジニアに入ったというのである。つまり馬車を動かす御者さえも国境を跨ごうとはしなかった訳で、それをザルツは寂しいと言ったのだ。まぁ、許可証を得ないで渡るのは、相当勇気がいること。二度と帰って来られないのだから。
いくら仕えているとはいえ、家族もいるのにそこまでは出来ないというのが本音だろう。結果アウストラリスは、お付の者を誰も従えない状態でサルジニアに渡ったのである。俺はふと思い出した。乙女ゲーム『エレノオーレ!』で、クリスがトーマスとシャロンを従えて、サルジニアへと落ち延びたのを。
ゲームのクリスは従者を従えていたが、アウストラリスには親族以外、誰もいなかった。リアルクリスと会って分かった事だが、クリスと二人の従者は一心同体と言っていいくらいの厚い信頼関係で結ばれている。が、アウストラリスにはそうした関係を持つ者がいなかったのだろう。クリスに比べて、主としての魅力が欠けていたと言った方が適切か。
いずれにせよ、行方不明だった元公爵アウストラリスはノルデンから去った。許可証を持たずに出国したアウストラリスとその親族は、二度と故郷の土を踏むことはないだろう。どのような心境でサルジニアに渡ったのかを知る由もないのだが、誰に語られる事もなく去っていくというのは、この上もなく寂しいものであっただろう。
「向こうは貴族が少ない。だから大事にされるんじゃないか」
サルジニアに渡ったアウストラリスの扱いをザルツはそう予想した。北の隣国サルジニア公国は、騎士階級が分厚く貴族が殆ど居ないという話をロバートから聞いた事がある。何でも前王朝から自立した際、遠慮して王と名乗らず即位も行わなかったので、叙爵できなかったからだという。そういえばロバート、何でディルスデニアに行ってるんだ?
「骨董品が欲しいらしい」
「はぁ? ロバートがか?」
「バカを言え。ディルスデニアがだ」
一瞬、ロバートが骨董品集めに目覚めたのかと思ったら、どうやら俺の勘違いだったようである。ザルツから呆れられてしまった。しかし言葉を省略しているから、そう取っても仕方がないと思う。しかしザルツはそんな俺の気持ちを意に介さない。ワインを飲み干したザルツは、ディルスデニアの事情を話し始めた。
「疫病が収まってな。民が心の安らぎを求めて骨董品を買うようになったらしい。イッシューサムが推奨しているのも一因だ」
イッシューサム。路上踊りに精を出し、カニとメロンを配ってディルスデニア王国の宰相の座に就いたという人物は、心の
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