598 追証

 国土の二割程度の土地からしか税収を得られないという、脆弱な財務基盤のノルデン王国。それは近衛騎士団一つを見るだけでも明白だ。財政難から縮減に次ぐ縮減で、その規模を大きく減退させられ、若手将校達の憤懣が渦巻くような状態。ドーベルウィン伯の軍監就任によって、ようやくそれを押し留めた格好で、根本的解決には至っていない。


 大暴動の際には『常在戦場』やノルト=クラウディス公爵家の騎士団。そして学園学院の生徒達の援軍を受け、辛うじて群衆を食い止めたような有様。この事実は今のノルデン王国に、王国単独で国を運営するだけの力量がない事を如実に示したと言えよう。そんな国力で、二〇〇〇億ラントもの巨額債務が背負えるのかどうか。正直、疑問しか湧かない。


「ハッキリ言えば、王国の財政は脆弱。直領なんか王国内の二割に満たないらしいし」


「じゃあ、直領が増えれば財政は強化されるんだな」


「ああ、税収が増えるからな。しかし急に直領なんて・・・・・」


「増えるさ。劇的にな」


 はぁ? 俺の話を遮ったシアーズは断言した。なんだそれは! どうやったら直領がいきなり増えるんだ? 滑稽無糖なシアーズの論法に俺は苛立った。


「所領を放棄する貴族が続出して、その領地が直領に変わるからさ」


「おい、貴族にとって所領は命。所領持ちの貴族が、所領なんて放棄したら貴族じゃ無くなるじゃないか!」


「そうだ。貴族じゃ無くなるヤツが大量に出るんだよ!」


「えええええ!!!!!」


 俺は思わず声を出してしまった。そんな事が起こるのか? 一体どうやったら、貴族じゃないヤツが増えるんだ?


「近く王国より追証が請求なされる」


 追証? まさか小麦特別融資の有担保融資の追証か? 俺が確認すると、「そうだ」という返事が返ってきた。


「ちょっと待て。徳政令で小麦特別融資のカネは帳消しされる筈。あの話はガセか?」


「いや、帳消しにはされるぞ」


「ならば、どうして追証が請求できるのだ?」


「グレン。帳消しになるのは、爵位の返上と所領の返還をした者だけだぞ!」


 なんと! 貴族が抱えた小麦特別融資の借金が帳消しになるにはなるが、帳消しにしてもらうには、爵位の返上と所領の返還が必要だなんて・・・・・ 驚きの連続だ。まさか徳政令と貴族の地位がバーターだったなんて思いもしなかった。これじゃ、貴族にとって徳政令の意味がないだろ。むしろ、逆になんて罰ゲーム状態ではないか。 


「追証を支払った貴族は、爵位の返上も所領の返還も必要がないそうだ」


 本人はそのつもりではないのだろうが、当たり前の事を話すシアーズの声が白々しく聞こえてしまった。シアーズは宰相閣下から直接話を聞いたので、これは間違いない、これなら確実だと確信したという。そりゃそうだ。俺だって事前にその話を聞いていたら、自信を持ってそう言うよ。しかし宰相閣下、思い切った判断をしたな。


 俺は学園で一報を聞いた時、正直宰相閣下に幻滅した。大暴動当日に無理を押して歓楽街にあった『貴族ファンド』の事務所に向かい、必死の思いで確保した書類。皆で整理をして国王陛下に献呈までしたのに、徳政令を出して小麦特別融資をチャラにするなんて、なんて安直なと思っていたのだが、その中身はまるで別物。


 やはり噂話を真に受けちゃダメだ。一次情報に触れてから判断しなくてはいけない。そもそも貴族身分じゃないから、情報が断片的にしか入ってこない。そんな中で分析したり、判断したりすれば、判断を誤ってしまう。俺が今回、宰相閣下が貴族の圧力に負けたと早合点をしてしまったのは、まさにそれ。


 よく考えればサルンアフィア学園は貴族学園である。貴族にとって見たいもの、都合の良い情報だけ・・がグルグルと回るのは寧ろ当然だと考えなければならない。しかしそれを踏まえず、彼らが流す情報に見事踊らされてしまったのである。俺は己の不明を恥じるしかなかった。


 ところで、その追証の話。シアーズによると小麦特別融資の有担保融資の追証は、既に融資を受けた貴族家に請求されているらしい。この月末までに追証が支払えぬ貴族は、爵位の返上と所領の返納を行えば徳政令が適用され、小麦特別融資の支払いを免除される。要は自己破産をすれば、住宅ローンが免責されるアレと同じだ。


 前例としては、元公爵アウストラリスが自主的な爵位の返還と所領の返納を以て、その罪を問わなかった一件。これと同様に爵位の返還と所領の返納を行えば、小麦特別融資を支払い義務を不問とする。これを貴族への温情と取るか、薄情だと見るかは見解が分かれるところだろう。第一、貴族達がすんなりと爵位の返上と所領の返納を行うだろうか?


 先日行われた国王謁見の際に、俺が提出しようとした書類についてアレやコレやとケチを付けまくった園友会の連中を見るに、そう簡単にはいかないのではないかと思う。第一「踏み倒し防止政令」には罰則がないのだ。いざとなれば、貴族の特権を振りかざして、踏み倒しをやりかねない。


 なので自主的な返上や返納を求めるのも、それを受けて融資をチャラにするというのも、平民から甘々だと反発が出るのではないか。そうすると、宰相閣下は貴族からも民衆からも不満という圧力を受ける羽目なるのではないかと危惧してしまう。だが俺のそんな心配をよそに、気分が高まっているシアーズが一人話を続ける。


「公爵邸に呼ばれて、いきなり二〇〇〇億ラントの国債発行を求められた時には絶句したよ。本当にそんな事が出来るのかって。しかしだ、緊急小麦融資支援の融資を全て国が負う計画や、貴族への徳政令の話を聞いてな。宰相閣下の御覚悟の程を知った。このお方は間違いないと改めて思ったよ」


 シアーズはワロスと共に公爵邸へ日参し、アルフォンス卿や出向いてきた宰相府の官吏と共に案を練り上げたのだという。この話、俺が思っていたものとは全く異なり、シアーズが深く関与していたのである。貸金業界の大物であり、ノルデンきってのカネの専門家、ラムセスタ・シアーズが全面的に関わっているなら、確実で間違いはないだろう。


「グレン。これから大商いが始まるぞ!」


 国を懸けた勝負になると鼻息荒いシアーズ。しかしそれは宰相閣下も同じなのではないか。追証が請求された貴族にとっては爵位を捨てるか、抱えている借金を清算するかという厳しい判断を迫るもの。貴族が減ればノルデン王国の体制そのものが揺るぎかねない、非常に危うい決断だと言えるのだから。宰相閣下も同じく、国を懸けた勝負となるだろう。


 ――グレックナーからアンドリュース候からの受けた依頼の報告が入った。アンドリュース侯爵邸を訪れたグレックナーはアンドリュース侯と会見し、『常在戦場』ムファスタ支部に属する隊士五十名をアンドリュース騎士団へ募集する事で一致。すぐにも募集に取り掛かるように支部長のロスナイ・ジワードへ指示を出したとの話だった。


 どうしてムファスタ支部の隊員から募集するのかといえば、アンドリュース侯爵領がムファスタにほど近い場所にあり、アンドリュース騎士団も侯爵領にある為。というのは表向きの話で、本当は臣従儀礼を行っている宰相府。具体的には宰相閣下に対する遠慮から、ムファスタ支部での募集となった。


 また、あらゆる意味で状況が定まってはいない今、王都において貴族家の騎士団要員を大っぴらに募集するのは、王宮に対しての挑発行為。あるいは良からぬ企みの準備、つまりは謀反と取られかねないという判断から、ムファスタでの募集との形で話が纏まったとの事である。


 ただ、話のウェイトはそちらの方ではなく、かなりの部分が「集団盾術」にまつわる話だった。アンドリュース侯は大暴動が起こった日。「御前」と呼ばれたアウストラリス公爵邸に駆けつけた際に体験した群衆との対峙に、かなりの衝撃を受けたとグレックナーに語ったそうだ。


 アンドリュース侯は群衆の圧倒的な力を思い知らされたと話し、既に盾術を身に付けているノルト=クラウディス公爵家の騎士団を見て、アンドリュース騎士団の実力不足を痛感。この上はアンドリュース騎士団に「集団盾術」を導入してこれを体得し、自家薬籠中の物にしなければならないと、グレックナーに強い決意を示したという。


「侯爵閣下は御自身で騎士団を指導なされるくらい、武術に熱心な方のようです」


げきとかいう武器の使い手だと言ってたな」


「ええ。馬上で戟を扱える数少ないお方です」


 グレックナーによると、ノルデン王国では馬上で武器が扱える者が少ないらしい。だからリッチェル子爵領にいる地主兵ラディーラが注目されたのだと。ノルデンにおいては基本、馬は移動手段のようである。『常在戦場』の隊士のアンドリュース騎士団への募集が進むという事で、話は統帥府への隊士の移籍話に移った。


「現在五百人規模になると見ております。もう少し増える可能性はありますが」


「そんなにいるのか」


 俺は嬉しかった。五百と言えば全体の三割近い数。それだけの数の者を統帥府が引き取ってくれるというのなら大歓迎だ。


「軍監閣下は王都とレジドルナへ重点配備したいとの意向です」


「モンセル、セシメル、ムファスタは要らぬという事だな」


「お、おカシラ!」


 グレックナーが魔装具越しに苦笑している。モンセルとセシメル、ムファスタには統帥府が管轄する隊は駐留しない方針なのを示している訳で、その街に残りたい者は募集に応募はしないだろう。となると、減るのは王都の隊士がメインなのだろうな。そうなってくると、モンセルとセシメルは隊士が少ないからいいが、ムファスタは・・・・・ 二つの街にいる隊士の数より多い。そう考えればアンドリュース侯の話は、やはり渡りに船。


「ムファスタ支部の者は、レジドルナにゆかりのある者も多いので、およそ百三十人が移籍を希望しております」


「アンドリュース侯の応募と合わせれば百八十か・・・・・」


 ムファスタ支部に属する隊士の約六割が移籍する計算。上々の滑り出しだ。俺がいる間にスリム化してくれれば、安心して帰られる。その時には残った隊士達にも然るべきものを残して置かなければならないな。グレックナーと移籍話のやり取りをしながら、俺はこれから何をするべきかを考えていた。

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