597 建白書

 ジェドラ商会のウィルゴットからモンセルやセシメル、ムファスタにあるカジノ用地の件で問い合わせがあった。ウィルゴットがその土地を手に入れたいとか、そう言ったものではなく、俺から聞きたかったのはカジノ用地の「立地」について。フェレットがどんな場所をカジノ用地として確保したのか知りたいというのである。


「こんな話を聞いて、何か参考になったのか?」


 俺が実際に見た事があるモンセルとムファスタのカジノ用地。旧市街から少し離れた比較的広い土地という立地について一通り話した。ウィルゴットは熱心に聞いてくるが、本当に役立つのか不安になった俺は、話の感想を聞いてみたのである。すると意外過ぎる答えが返ってきた。


「なるほどな。王都の歓楽街の真ん中に道路を通すという話は理に適っているのか」


 ウィルゴットが一人感心したという感じで言っている。俺は改めて、カジノ用地について尋ねてきた理由について聞いてみた。


「実はな、ドナート侯から歓楽街周辺の土地建物の権利関係について、アレコレ聞かれているんだ」


「ドナート侯?」


 突拍子もない名前が出てきたのでビックリした。ドナート侯。貴族派第五派閥の領袖にして、自らの屋敷の造作を手掛けるDIY貴族。貴族会議開催の建議の際には派内を一人の脱落者も出さずに纏め上げ、独特の政治的嗅覚と統率力によって少数派閥ながら存在感を示した人物。


「ウチが不動産を扱っているのをお知りになってから、色々と聞かれるんだよ」


「土地の話をか?」


「ああ、そうなんだ」


 実は以前、ドナート侯から建材の話が出たので、ウィルゴットを紹介した事があった。ジェドラ商会は運送と不動産、そして建築材に強みを持っていたからで、黒屋根の屋敷の購入も修繕資材も全てウィルゴットが手配してくれたもの。建材から不動産の話に繋がるのは違和感がないが、どうしてドナート侯が歓楽街周辺の土地について調べているのだ?


「焼け落ちた歓楽街に太い幹線を通す案を考えておられるようなのだ」


「ドナート候がか?」


「ああ。これまで歓楽街は馬車が入れなかっただろ。歓楽街の過半が焼け落ちてしまった今、馬車が四、五台が並んで走るような太い幹線を通し、そこに地方からの乗合馬車の発着場を作ればどうかと」


「それは妙案だ!」


 思わず唸った。馬車ターミナルか! その発想はなかった。地方からの乗合馬車は全てトラニアス近郊で止まる。これはトラニアスの中にいくつかのボトルネックがある為、乗合馬車の立ち入りが制限されているからだ。ドナート侯はそのボトルネック自体を解消し、乗合馬車を直接市街へ乗り入れ、それも人が集まる歓楽街に乗り入れさせようと考えた。


 今、歓楽街の過半は焼け落ちてしまったが、繁華街や飲み屋街は無傷。集客する力は十分ある。そもそも郊外や地方にトラニアス規模の繁華街なんてないのだから、客を引き付けるだけの力があるのだ。そこに乗合馬車を乗り付けさせて、集客力をより上げる。流石はドナート侯。タデに自ら手がけたタイニーハウスに住んでいる訳じゃない。


「間違いなく街は活気付くぞ。人の往来が増えるからな」


「やはりそうなのか!」


 ウィルゴットが力強く返事をした。交通網が高度化して集積すれば、それだけ人が集まり、その場所の価値が高まる。基本中の基本の話なのだが、このノルデンにはそういう発想は無かった。なのでここエレノはそんな所程度にしか思っていなかったのだが、まさかあのドナート侯が考えていたとは。しかしドナート候にそんな権限があったのか?


「何でも建白書をお出しになられるとか」


「建白書?」


「何でも御上おかみにお出しになられる文章だそうだ」


 ウィルゴットは国王陛下の事を「御上」と言うのか。俺は一瞬、そちらの方に感心した。どうやらドナート侯は、焼け落ちた歓楽街の場所に大規模幹線道路と馬車ターミナルの建設しようという意見を国王陛下宛に提出しようとしているようである。その為に調べていたのだな。これも大暴動後の変化の一つと見ていいのかもしれない。


 ――平日最終日。宰相府の発表に衝撃が走った。徳政令を施行するというのである。宰相府は貴族と民衆の圧力に負けたのだ。朝に発表されたその話は、昼には学園に到達。生徒達の話題はその話一色となった。貴族子弟は小麦特別融資の借金が帳消しになったと、平民子弟は緊急小麦融資支援が棒引きになったと、それぞれが喜んでいる。


 借金をしているのものはそれでいいかもしれない。だが、融資を行った側はどうなるか。少なくともカネが返ってこないのは確実。特に平民向けの緊急小麦融資支援の原資は『金融ギルド』の資金。貸金業者を通じて融資を行っていた。これが全て返ってこないという事になれば、その損失は全て『金融ギルド』が負わなくてはならないのは確実。


 宰相府に協力し、無利子融資に出資金の三割以上を注ぎ込んだ結果がそれというのであれば、文字通り『金融ギルド』がバカを見たという話になる。これまで強力に斡旋してきた俺の責任は免れないだろう。ただ、それ以上に腹立たしいのは小麦特別融資の話だ。俺は一体何の為に『貴族ファンド』の書類を献呈したというのか。


 貴族達は小麦特別融資のカネを惜しみなく小麦相場へ注ぎ込んで、小麦価の暴騰を引き起こし、今はマイナス相場の中で「鳥籠」に入った状態。それを無条件で解き放つというのだ。俺は大暴動の際、『貴族ファンド』の書類が消失して、貴族達の借金が帳消しになるのを避けようと、事務所に乗り込んで書類を持ち出した。


 それまで好き勝手にやってきた貴族達の借金が無かった事になるのが、無性に許せなかったからである。どうしてそこまで思うのか、俺自身も全く分からないのだが、どうしても納得がいかなかった。フェレットやトゥーリッドが瓦解する中、『貴族ファンド』の権利だけは維持する為に、クリスの案を容れて王国に書類を献呈した。


 これによって『貴族ファンド』が行った融資は文字通り王国のものとなったのだが、そのカネはフェレットやトゥーリッドが出したもので、王国が出した訳じゃない。一ラントのカネすら使っていない王国は、安易に貴族と妥協しても腹は傷まないという事か。こんな話になるのなら、『貴族ファンド』の書類を献呈しなかった方が良かったかもしれない。


 これまで一生懸命にやってきたクリスを責める気にはなれないが、宰相閣下には正直幻滅した。こんな安直な方法で迫ってくる圧力を回避などしてしまえば、保身の為だけに判断したと言っても過言ではない。しかしそれにしても・・・・・ 宰相府に対し献身的に協力した『金融ギルド』のシアーズには、正直申し訳ない気持ちになった。


「おいグレン! 何を言ってる! 一体どうしたんだ?」


 魔装具を取り出して詫びた俺に、シアーズが何事かと聞いてきたのである。てっきり今後の事、出資金の放棄といった話をするものだと思っていた俺は、この予想外の反応に戸惑った。情報に敏感な筈のシアーズが徳政令の話をキャッチしていないのか? 考えられないが、そうとしか考えられない。俺は詫びた理由をシアーズに伝える。


「宰相府が徳政令を出して、緊急小麦融資支援も棒引きになるって聞いたからだ。俺が半ば頼んだのにカネが返って来なくなるのが申し訳なくてな」


「グレン、何か勘違いしてねえか? お前が心配する必要なんて何もない。全部返ってくるぞ!」


「えっ!」


 どういう事だ。シアーズの言葉に俺は混乱した。徳政令の話はガセだったのか? じゃあ、宰相府の重大発表というのは何だったのか? 頭の中でぐるぐる回るが、それを繋ぎ合わせる答えが導き出せない。


「徳政令で融資は棒引きされてもチャラになるって話じゃない。カネは全部返ってくる」


「ど、どういう事なんだ?」


 シアーズの言っている話に理解が追いつかない。借金は返してもらえないのに、カネは戻ってくる。どうやったら、そんなあり得ない話が実現できるんだ?


「緊急小麦融資支援のカネは全て王国が支払う話になった。だから全部返ってくるんだ」


「ぜ、全部!」

 

 これには呆気にとられた。平民向けに行われた緊急小麦融資支援の融資額、約一八〇〇億ラントを全て王国が肩代わりするというのである。だから民衆は払わなくても良いという話。借金が消えても、チャラにはならないとはこういう事だったのか。しかし財政豊かでない王国が、どこから一八〇〇億ラントもの巨額資金を拠出できるのだろうか?


「国債でお支払いなされる」


「国債!」


 まさかまさかの展開である。ノルデン王国が二〇〇〇億ラントを起債して、その資金で『金融ギルド』へ緊急小麦融資支援の融資額、約一八〇〇億ラントを支払うというのだ。全額王国持ち。なんて太っ腹だと思うが、財政的に脆弱だというノルデン王国。そんな巨額債務を抱えて持つのか甚だ疑問。俺はその辺りについて、シアーズに聞いてみた。


「ワシも最初はそう思ったさ。しかし、そこは心配ない」


「心配ないって・・・・・」


「宰相閣下はお偉い方だ。公正に判断を下された」


 なんだそれは! 確かにシアーズは宰相閣下と直に会った事があり、その時に意気投合して敬愛しているのは知っている。だが、持つかどうかの巨額債務を背負って心配ないとか、宰相閣下が偉いとか言われたって、まるで話が繋がらないではないか。そんな情緒論で、国の財政が変わるなんて、とてもじゃないが思えない。


「しかしだ。国債とはいっても、借金には変わりが無い。しかも前に五〇〇億ラントを起債したばかり。その上に二〇〇〇億ラントの国債を発行するって、どんな裏打ちがあるんだ?」


「グレン、それだけの裏打ちがある! 確実にあるから持つのだ。心配するな!」


 俺の不安をかき消すかのように、シアーズが力強く断言した。これ程までに強気でいられる理由は何なのか? 俺が知っている王国の内情は、ただただ緊縮あるのみ。これは財務状態が悪いからに他ならない。そんな王国にどんな裏打ちがあるというのか。俺はそれを聞いてみたくなった。

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