593 行使の責任

 ウィリアム殿下は民の為、良かれと思って進言したのだろうが、作用が働けば反作用が働く。小麦暴騰の是正策として、五ラントで小麦を売る事を命じた『小麦勅令』によって王国に施策の責任が生じた。権力の行使によって生じる様々な「歪み」に対して、対処をしなければならない状況となったのである。


 これまでのノルデン王国は、何事に置いても基本放置プレーだった。これは王国全土に占める直領の割合が二割程度しか無かった事に伴うもので、行政機構が王国の実勢に沿う形で運営されていた事によるもの。それが為、あれこれ求められる事もなかったのだろうが、強制力を行使したが故に、施策によって生じた事象への対処を迫られたのである。


 その代表が『貴族ファンド』から融資を受けた貴族への対応。小麦特別融資を受けて小麦相場へ湯水のようにカネを注ぎ込み、小麦暴騰を引き起こした貴族達は、『小麦勅令』によって暴落した小麦相場の損失を補填するよう王国に求めた。勅令を出して大損したので、徳政令を出せというのである。


 ところがそれ以前に、小麦を俺が売り込んだので、最高値より三分の一の価格に下落していた。所謂「鳥籠」によって多額の含み損を抱え、身動きが出来なくなっていたところに『小麦勅令』でトドメといった感じだったのだが、貴族達はそれを逆手に取って徳政令を勝ち取って含み損をチャラにしようと考えたのだ。


 貴族からのこの要求を王国が無視できる筈はない。何故なら貴族は王国の藩屏。王国の基盤は民衆ではなく貴族なのである。貴族の支持によって王政が成立している以上、貴族からの問いかけに対して、何らかの回答を出さなければならなくなった。あちらが立てばこちらが立たず。善政を敷くとは、かくも難しい舵取りが求められるという事か。


 貴族会議の中で決まった『小麦勅令』。勅令を出したのは国王フリッツ三世だが、貴族が求める徳政令の返答を行うのは宰相閣下。これはフェレットとトゥーリッドの資産を接収した為に、『貴族ファンド』が国有化された事によるもの。前者はウケがいいものなので楽な仕事だろうが、後者の方は回答如何で変わってくる。


 仮に貴族が望まぬ回答、例えば徳政令を拒絶する内容であれば、貴族達から総スカンを喰らい恨まれる事必定。言ってはなんだが損な役回りだと言えよう。その役を演じなければならない宰相閣下は、娘であるクリスに「親族陪臣を特別扱いしない」と明言。『貴族ファンド』からカネを借りた貴族には、一律で対処する方針を示した。


 クリスの話を聞く限りにおいて、宰相閣下は徳政令を求める貴族達に、公平公正を以て対応しようと考えているようである。確かにその精神は大切だと思うが、そんな綺麗事が、借金棒引きを求めてくる貴族達に通用するのかは、少し疑問だ。しかし流石にクリスの前で、その本心は話せないのがツライところ。


「クリスティーナ。話は終わったの?」


 宰相閣下の話が止まったところで、突然アイリがそのクリスに向かって聞いた。一瞬、何を言われたのか分からないといった感じで、えっ? と目を見開いたクリスだったが、アイリに二度ほど頷く。するとアイリは俺の方に顔を向けてきた。


「だったらグレン。今からピアノを弾いて!」


「えっ?」


 俺が驚く間もなく、アイリは立ち上がってクリスに近づいた。そして「行こう、行こう」とクリスを立ち上がらせて、そのまま部屋から連れ出してしまったのである。慌てて席を立つ俺と二人の従者トーマスとシャロン。両階段下にあるピアノ室に入ると、アイリとクリスが並んで座っていた。クリスは戸惑っているようだが、満更ではなさそうだ。


「最近調子がいいものね」


 俺が慌ててピアノの前に座ると、アイリがそう言ってきた。最近、指がよく動くようになって、ピアノの演奏が好調なのを俺とずっと一緒にいたアイリは知っていたのである。アイリはクリスに俺の身体が良くなったからだと説明すると、それを聞いたクリスも頷いていた。


「じゃあグレン、お願いね。気持ちが晴れる曲」


 俺が指鳴らしに練習曲を弾いていると、アイリがいきなり曲をリクエストしてきたので、ビックリした。しかし気持ちが晴れる曲って・・・・・ どんな曲なら気持ちが晴れるのだろうか。練習曲を弾きながら考えていると、アイリがこの前から弾いている曲をと言ってきた。おいおい、アレを弾くのか。


 そう思いながらも俺は勢いを付け、ある意味伝説のドラマ「スクール☆ウォーズ」の主題歌「ヒーロー」を弾いた。後になんちゃらかんちゃらとタイトルが付いていた筈だが覚えていない。そもそもカバー曲なので、原曲のタイトルだろう。俺はコーラス部分を口笛で補いながら曲を弾いた。


「これは何て名前の曲だ?」


「学園の廊下を馬で走って、窓ガラスを全部割る曲だ」


「えっ?」

「えっ?」

「えっ?」

「ええっ???」


 トーマスに聞かれたのでそう答えると、皆が驚いている。だって事実だもん。ドラマのオープニングで「荒廃した学校の~」みたいなナレーションの後に、バイクで廊下を走って、窓ガラスを割りまくってたからなぁ。あれは当時ネタだと思っていたら、ガチ話だったってのを後で知って、流石に仰け反ったが。


「なんだそれは?」


「いやぁ、毛色の違う生徒が学園にやって来て、いきなりボールにナイフを突き刺す話だ」


「ボールって何だ?」


「空気が入った袋みたいなものだ。それを使って二手に分かれて奪い合う」


 俺はサッカーやラグビーの話を集団大盾に置き換えて説明した。俺に聞いてきたトーマスはすぐに理解して、皆にそれを身振り手振りで説明している。トーマスの話もあって、皆スポーツの意味を分かってきたようだ。そしてドラマの序盤に出てくる、ボールにナイフを突き刺す生徒について改めて訊ねてきたので、覚えている話を答えた。


「まるでグレンみたいな話だな」


 えええええ。いやいやいや、俺は白いジャケットに赤いシャツなんか着て、学園なんかに登場しないって。大体、あんな格好の高校生なんかいないだろ。トーマスの感想に皆が笑っている。クリスも笑っていた。まさか「スクール☆ウォーズ」の話で気持ちが晴れるなんて、思っても見なかったよ。


「教官が生徒を殴りまくるわ、泣きまくるわ、とにかくヤバい話の曲なんだ」


「しかしとんでもない話なのね」


 俺が説明すると、クリスが笑いながら言った。そりゃ梅宮辰夫と和田アキ子が夫婦だからな。出鼻から飛ばしすぎだって。坂上二郎が市会議員だし、ZATの隊長が校長だもんな。やたらめったら人が死ぬし、とにかく濃厚。というか特濃過ぎて、今じゃ放送できないだろう。


「さぁ、グレン、もう一曲、行ってみましょう!」


 俺が指を止めて話していると、アイリが急かしてきた。その言葉で頭に浮かんだのが、ドリフターズのコント番組「8時だョ! 全員集合」のオープニングだ。いかりや長介の「行ってみよう!」の掛け声で始まる北海盆唄のアレンジ曲。俺の指は、自然と曲を奏でる。


 「8時だョ! 全員集合」。生放送の生演奏という今では考えられない、贅沢な作りの番組だ。生演なので、毎度曲のテイストが微妙に違う。コントが終わった時に流れる「盆回り」も毎度違う。エンディングの「いい湯だな」に至っては尺に合わせる為に、無茶苦茶テンポが上がったりと、音楽を聴くだけで十分楽しい番組だったな。


 オープニングを弾いた後、その勢いのまま「盆回り」やら、「いい湯だな」を立て続けに弾く。ノッてきた俺はそのまま「ヒゲダンスのテーマ」まで手を出してしまった。これも何かの曲のアレンジなんだよなぁ。俺がドリフの曲を弾いていると、不思議と沈んでいたクリスの表情が明るくなってきた。笑いの力というものは、それだけ大きいのだろう。


 こうなってくると指が止まらない。ノリがいいので弾きやすいのだ。これがクラシックなら、こうはいかない。俺は勢いに乗じて「ドリフ大爆笑のテーマ」を弾いた。これも昔の曲のアレンジだった筈。しかしセンスのある人がアレンジすると、本当に指が走る。見るとアイリが曲に合わせて首を振っていたので、今日の演奏は好調なのは間違いない。


「一体何の曲なの?」


 演奏が終わった後、クリスに聞かれたので、どう説明しようか困ってしまった。喜劇と言おうとしても、このエレノ世界、芝居が全く発達していないので、例えようがない。俺は「皆が色々な事をパッと忘れて、笑う時に聴く曲だ」と説明すると、だから楽しそうな曲なのですね、と納得してくれた。嫌な事を忘れるひと時は、絶対に必要だと思った。


 ――週末になってザルツがモンセルから帰ってきた。王都商館に寄ってから黒屋根の屋敷へ戻ってくるという。夕方になって、ザルツとニーナ、ジルの三人を乗せた馬車が学園の馬車溜まりに入ってきたのを出迎えると、俺達はそのままロタスティの個室へ向かった。久々にロタスティの個室を借りて一緒に食べようという話になったのである。


「ロバートとリサはいないが、こうやって家族と食べるのが一番だ」


 ザルツはワイン片手にそう話す。ザルツの家族主義は今に始まった話ではないが、俺との感覚の落差をすごく感じる。というのも裕介や愛羅が揃って、家族四人で食事なんて何年もしていない。集まりなさいと言ったことも無ければ、皆で一緒に食おうかなんて声を掛けた事だって、一度として無いのだから当たり前の話か。


 そもそも、俺にそういう概念が無いのだから仕方がないのだが、俺とは全く対照的なザルツの振る舞いを見ると、何か罪悪感を抱いてしまう。上機嫌にワインを飲むザルツ。何かいい話でもあったのかと思ったら、意外な話をし始めた。これまでモンセルのアルフォード商館を守ってきた、番頭のトーレンが王都トラニアスへ来るというのである。


「王都商館を強化しようと思ってな」


 どうやらザルツはこの話をする為にモンセルへ帰っていたようだ。今後は三番番頭のフンメルがモンセルを仕切るのだという。つまり王都には当主ザルツ、長男ロバート、二番番頭のナスラに筆頭番頭のトーレンが加わるという形。随分と王都商館が強化されたな。これはアルフォード商会の軸足をモンセルから、トラニアスに移すという事なのか。

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