592 結果は惨敗

 早速セシメルに飛ばなきゃいけないわと、リサは俺にお構いなく準備を始めようとする。【収納】でペンと便箋を取り出して、ジェラルド宛の封書をしたためるつもりなのだろう。ジェラルドに早馬を出さないとと言うリサに、これでは追及の機会を逃すと思った俺は、慌てて聞いた。


「ところでリサ。レジで錦旗きんきを持ち出したって言う話があるが、あれは本当か?」


「えっ?」


 いきなり話題を振ったからか、リサのペン先が止まった。これは効果があったかな。ニコニコ顔が消えたリサが呆気に取られて、眼球を動かしている。これは何かを考えている時のリサ。どうやら俺の一撃は効いたようだ。


「そうよ。何か問題があるの?」


 一つタイミングが遅れている。これは俺が優位に立っている証だ。俺は追及の手を緩めない。


「お前は民間人だろ。そんなもの使っていいのか?」


「アルフォンス卿には話しているわ」


 アルフォンス卿! いきなりクリスの次兄の名を出してきたので、ハッとなった。どうしてアルフォンス卿なのだ?


「出発前にアルフォンス卿とお会いして一礼は取っているの。だってそうでしょ、賊軍討伐なのだから。錦旗を掲げる正統性が私達にはあるわ!」


 ちょっと待て。リサが賊軍討伐を命ぜられた訳じゃないだろ。それを勝手に討伐するから、錦旗を掲げさせろって、無茶振りにも程がある。


「レジ制圧のあかつきには、アウストラリス公爵領にも進めますと話して、アルフォンス卿からの内諾を得たの。だから大義は私達にあるのよ。分かった!」


 そう言い放つリサに圧倒されてしまって、何も言えなくなってしまった。これは不味い。そう思った俺は、急遽二の矢を放った。


「レジに雪崩れ込んだ一隊に、長い毛の被り物やら、袖のない赤い上着を着せていたらしいな。その奇妙な出で立ちは一体何だ?」


「何だって言われても・・・・・」


 リサが言葉に詰まった。返答に窮しているようである。やはりやましい部分があるのだろう。


「フレミングはそれを見てビックリしたらしいぞ。なんて恰好なんだと」


「だって驚かせる為に被り物をしているから、当たり前でしょ。驚いてくれないと困るわ!」


 えええええ!!!!! 何言ってんだ。リサが地主兵ラディーラ達に王都で流行はやっているから被れと言って、黒や赤の長い毛の被り物を着せたって、ミカエルやリシャールから聞いてるんだよ。敵を驚かせるよりも、味方を驚かせてどうするつもりなんだ。


「いや、だからそんなもの、王都で売ってねえだろ!」


「何言っているのよ! 事実それを見て、レジドルナの冒険者ギルドの連中は逃げ出して隠れちゃったんだから作戦は成功したでしょ」


「俺が聞いてるのはそうじゃ・・・・・」


「戦わずに勝ったのに何が問題なの? 分かった! そんなに被り物が欲しかったら、記念にあげるわ」


 リサはそう言うと、【装着】で俺に黒毛の被り物と袖のない赤い上着を着せた。へっ? この被り物って、歌舞伎で被っているヤツと一緒じゃないか! ていうか、赤い上着じゃなくて・・・・・ ちゃんちゃんこというか・・・・・ 羽織だよ、羽織! 何でこんなものがエレノにあるんだ?


「これで話は終わりね」


 ジェラルド宛の封書を認めたリサは「準備をしなきゃ」と、無言の俺を無視するかのように、上機嫌で部屋を出て行ったのである。部屋には歌舞伎の被り物のような黒毛を被り、赤い羽織を着た俺一人。どうしてこうなったのか分からぬまま、俺は、まだ誰も手を付けていなかった『サヴォーレ・デハズ・ディブローシャー』をグラスに注いで飲み干した。


 ――リサは翌日、慌ただしく旅立っていった。昨日の話を聞いて、セシメルへと向かったのだろう。ムファスタ行きの際には『週刊トラニアス』の記者が同行していたが、今回は『小箱の放置ホイポイカプセル』のティマイオスという記者が同行していた。リサはこうした辺りで、メディア界のバランスを取っていると思われる。


 そのリサと入れ替わるように、クリスが学園へ帰ってきた。が、機嫌が悪いのが、背中越しからでも分かる。恐らく親族であるクラウディス=カシューガ子爵との話し合いは不調に終わったのだろう。これは話を聞くか否か、判断に迷うところ。しかし放課後、黒屋根の屋敷へ行きたいという伝言をトーマス経由で受けたので、聞かないといけなくなった。


 俺の執務室横の会議室にやってきたクリスは、目を瞑ったまま口を横一文字にしていた。今日は運悪くニーナがいない。ニーナが居れば、少しはクリスの表情も和らぐのに・・・・・ ザルツがモンセルへ、ロバートがディルスデニア王国へ、それぞれ出張しているので王都商館に詰めているのだ。それにジルも一緒について行ってるので、屋敷には誰もいない。


 以前はニーナもそこまでしていなかったのだが、商いが増えたからなのか狩り出されているようである。俺と共にクリスの向かいに座ったアイリは、その顔をただじっと見ている。トーマスとシャロンは黙って座ったまま。思った以上に首尾が悪かったようだな、これは。クリスは感情が態度に出るので、ダメな時にはすぐに出てしまう。


「・・・・・お話にもなりませんでしたわ」


 目を瞑ったまま、クリスはそう言った。聞くまでもないよな、それは。クリスの振る舞いで全部分かる。暫くの沈黙の後、クリスがポツリ、ポツリと話し始めた。


「子爵は頑なでした・・・・・ 何を申し上げても・・・・・ 徳政令を・・・・・ 待つと言われるのみで・・・・・」


 話し方が重く辿々たどたどしい。その口ぶりからすると、余程悔しかったのだろう。


「テオドール様が仰っても、徳政令と口にされるばかりで・・・・・」


「なんだか、徳政令に取り憑かれたみたいだな」


「そ、そうです。その通りです」


 クリスのテンポが少し戻った。何というか、亡霊と話していたような感覚だったみたいである。恐らくはクラウディス=カシューガ子爵という人物、借金を帳消しできれば解決する。借金が無くなれば、全てが元に戻るという思考に囚われてしまっているようだ。人の行いというもの、決して過去には戻せぬというのに・・・・・


 親から生まれた事実や、結婚をした事実なんて、決して消すことなんてできない。それと同じで借金を背負ったという事実は変わりがないのだ。現にロタスティの個室でリサから聞いたゴデル=ハルゼイ侯の話。抱え込んだ借財が多すぎるのか、払いが全く出来ていないので、皆が手を引いているという話なぞその典型。


 借金を背負ってしまった事によって、払うべきものが支払えなかった。この失った信用は取り返せない。何故なら徳政令とやらで借金がチャラになっても、信用そのものを失ってしまっているので、誰もカネを貸さないし、誰もモノを売らないからである。つまりは借金が無くなっても、失った信用は取り戻せないのだ。


 クリスによるとクラウディス=カシューガ子爵は、王都に居てはカネが掛かるので、領地へ引き籠もる選択をしたようである。この辺り、ボルトン伯とそっくりだ。初めてボルトン伯と話をしたとき、「四頭立ての馬車を二頭立てに変えて節約!」とか真顔で言っていたからな。貴族が考える節約術というものは、大差がないようである。


「徳政令の願い出にも御名前を連ねられ・・・・・」


「それは・・・・・ ゴデル=ハルゼイ侯の呼びかけたアレか?」


 クリスはコクリと頷いた。かすかに肩が震えている。宰相閣下と対立する位置にいる貴族派第一派閥の旧アウストラリス派。その七割を押さえていると言われるゴデル=ハルゼイ侯が行った宰相府への申し入れ書に名を連ねているというのだ。宰相閣下の親族だというのに、そんな事が許されるのか? 裏切り行為と取られかねないぞ。


「私やテオドール様では、どうする事も出来ませんでした」


 悔しそうに話すクリス。血族間の結束が貴族であるが所以とされる、このエレノ世界。しかしいくら貴族であろうが、やはり人間。溺れる者は藁をも掴むというが、メンツもクソもあったものではない。クラウディス=カシューガ子爵は借金の全容どころか、小麦特別融資に手を出す経緯すら語らず、自身の陪臣達と一緒に事に当たると話すのみ。


「我が家の陪臣家ともお話をしましたが・・・・・ シャイーネ男爵以外、誰も聞く耳を持ちませんでした」


 親族だけでなく、ノルト=クラウディス公爵家の陪臣達の説得にも当たったと話すクリス。だから学園に帰ってくるのが遅かったのだな。ノルト=クラウディス公爵家の陪臣の内、三家が小麦特別融資を受けていた。しかし、スワンド子爵とペイゼ=シュターシ男爵は言を左右にしてお茶を濁すばかり。


 しかも相談している相手が主家筋ではなくて、なんとクラウディス=カシューガ子爵だと言うのだから救いようがない。これはもう重症どころの話じゃないな。負のスパイラルがどうして起こるのか。これだけでも十分分かる。唯一陪臣のシャイーネ男爵のみが「爵位の返上と領地の返納を致しても、この問題を何とかしたい」と向き合っていたという。


「それが唯一の救いでした」


 クリスが改めて溜息を付いた。


 それが唯一の救いだったと。


「それで宰相閣下にはご報告を申し上げたのか?」


 俺の問いかけにクリスが頷く。ノルト=クラウディス公爵邸で、叔父であるクラウディス=ディオール伯と一緒に報告したクリスは、宰相閣下から「よくやってくれた」との慰労の言葉を掛けられたそうである。小麦特別融資を受けた親族陪臣の扱いを巡って意見の相違があった二人に対して、それが徒労に終わっても労うところが宰相閣下らしい。


「お父様は・・・・・ 「我が家の親族や陪臣のみを特別扱いする訳にはいかぬ」と仰いました」


「いよいよ以て断をお下しになられるのだな」


 俺がそう言うと、皆一様に厳しい表情を浮かべている。いわゆる『小麦勅令』によって、小麦を五ラントで販売するように命じた事に対する責任が求められているのだ。日に日に高まる、貴族達からの徳政令の声に宰相府、いや王国は何らかの姿勢を示す必要に迫られていた。

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