590 帰ってきたリサ
アンドリュース候からの用件を俺に伝えるべく、わざわざ学園まで足を運んできたアンドリュース侯爵家の家宰ブロンテット男爵。その男爵が侯爵家の所領に戻った際、ムファスタの商人から聞いた話について尋ねられた。曰く、一部の貴族との取引を止めた商人がいると。考えられる理由は何かについて聞かれたのだが、その理由は唯一つだけ。
「回収不能」
この一点しか考えられない。このエレノ世界。基本の決済は「掛け」。つまりはツケ払い。以前であれば踏み倒しが横行していたが、今は「踏み倒し防止政令」のお陰で、踏み倒しは影を潜めて、正常で健全な取引が行われるようになった。そんな状態なのに、大口である貴族との取引を止めるなんて、余程の理由がない限り考えられない。
おそらカネに困って掛けを支払うどころではない状態に陥っている貴族が、ムファスタ周辺にいるのだろう。いよいよ小麦相場の「鳥籠」。小麦特別融資に絡め取られて身動きが取れなくなった貴族が現れた証だと言っていいだろう。そのムファスタから、偶然にもリサが帰ってきた。
ムファスタギルドの会頭ホイスナーと何某かの話をする為だったのだろうが、この際それは重要ではない。リサがリッチェル子爵領やレジドルナで何をしたのかを問う好機が巡ってきた。『常在戦場』やリッチェル子爵であるミカエル、それにリシャール達の話を聞くに、おかしな点が多すぎる。
どうして『
リサは秘密が多過ぎる。今回こそ問い詰めなければと思っていたら、なんとリサの方から話をしたいと言ってきたのである。俺はこの機を逃してはならない。俺は意気込んでロタスティの個室を取った。前にアイリとレティの三人で個室を利用した時と同じく、部屋は全て空いている。いつの間にか、ロタスティで個室を借りる生徒がいなくなったな。
俺が襲撃されるまでは個室が全く借りられなかったのに、今は借りたい放題だ。かつてドーベルウィン戦の際の決闘賭博で、みんなドーベルウィンに賭けてスッてしまい、個室を借りる者がいなくなったアレと同じ状態である。どうも生徒達の金回りが急に悪くなっているようだ。よく考えれば個室を借りていたのは、全て貴族子弟。
実家が小麦相場の上昇で金回りが良くなり、今までよりも多くの小遣いが貰えたので個室を借りていたのだろう。それが小麦相場の暴落で一変。実家が仕送りできなくなってしまった。だから個室を借りたくても借りるカネがない。そんな所か。いずれにしても、俺が思った時に個室が借りられるようになったのは、大変結構な話である。
一番小さな個室にリサと入ると、コース料理を頼んだ。ごく自然に食事をする形から入ろうと思ったのである。聞きたいことはアレコレあるが、腹が減っては戦が出来ぬという。なので落ち着いて食べる所から始めたのだ。今日の為に白ワイン『サヴォーレ・デハズ・ディブローシャー』も用意している。これでリサを問い詰める、万全の体制を構築した。
ワインを飲んで、リサが気分が良くなったところをしっかりと追及する。これならば、いつもスルリと抜け出すリサであっても、話を逸らす事が出来ないだろう。我ながら実に周密な策を立てたものだと自賛した。ムファスタ帰りのリサは疲れを見せることもなく、元気に食べている。よし、今日こそは俺が知らない所で何をしているのか問い詰めよう。
「ムファスタ行政府の跡地、覚えてる?」
突然振られたので、一瞬「うっ」となってしまったが、俺は二度頷いた。リサの方からいきなりムファスタへ行った話を始めてくるとは。こちらがどう追及しようかと考えたところで、いきなり先制攻撃を食らったような形。リサが俺と一緒に行った時に見たでしょ、と聞いてくる。それぐらいハッキリ覚えているよ。
ムファスタの広くもない繁華街の先にある広い空き地。移転したムファスタ行政府の跡地だと、ムファスタギルドの会頭を務めているジグラニア・ホイスナーが教えてくれた。あのとき手狭になった『常在戦場』ムファスタ支部の移転先を探すべく、支部長のジワードと一緒に繁華街へ繰り出したのだ。王都に比べ小さな繁華街だったから覚えている。
「確か・・・・・ フェレットの衛星が買ったとか言ってたな」
衛星とは、傘下に入った子飼い商会の俗称。子会社、あるいは下請けみたいなものだ。最近は「協力会社」とか綺麗事を言って誤魔化しているが、内実は何も変わらない。ウチの会社も売り渡されて、体の良い出向先として使われている。体裁を取って出向などと言っているが、使えぬヤツ認定された者が打ち捨てられる、単なるゴミ捨て場のようなもの。
「そうそう。フェレットが衛星のラナドルファ商会を使って買ったのよ。あそこでカジノ計画を進めるって証拠が見つかったから、ムファスタに飛んだの」
カジノか! 以前アンドリュースが話していた一件だな。あの時は話を聞いて驚いた。しかし今になって証拠が挙がってくるとは思わなかった。『常在戦場』ムファスタ支部に同行してレジドルナへ来ていたホイスナーから話を聞いたリサは、一度王都へ戻ってから、改めてムファスタへと向かったというのである。
「本当はそのままムファスタに行きたかったんだけど・・・・・」
ミカエル達と一緒に帰らないと、俺に何を言われるか分からないと思って、王都に帰ってきたという。だったら、キチンと伝えてくれればよかったのに。そう思ったが、封書は一方通行。双方向ではない。それにいくら早馬を使っても時間のラグの大きさを埋めるのは容易でなく、身の安全を示すには、結局の所は戻ってくる他は無さそうだ。
「だから戻ってきて、そこから急いでムファスタに向かう事にしたの」
情報の伝達方法が貧者な為にそうするしかなかった。リサの話を聞けば納得せざる得ない。リサは『
「で、証拠って何なんだ?」
「気になるでしょ」
ニコニコ顔でそう返してくるリサ。何を勿体ぶっているんだよ! そんな言い方されたら、こっちの方が気になるじゃないか。俺が急かすと、リサが「誰が仲介したと思う」と更に聞いてくる。この後に及んで焦らしてどうするんだよ! リサに食ってかかろうと思った瞬間、ハッとなった、あの土地。確かアンドリュース侯が言っていたな。
「ゴデル・・・・・ ハルゼイ侯・・・・・」
「よく分かったわね!」
これにはリサの方が驚いている。まさか答えられるとは思わなかったのだろう。俺はその件について、アンドリュース侯爵に教えてもらった経緯を話した。確かあの時、小麦特別融資を巡るゴデル=ハルゼイ侯の動きを伝えたら、アンドリュース侯がこの跡地の話をし始めて、フェレットにこの土地を仲介したのはゴデル=ハルゼイ侯だと教えてくれた。
「そんな事が・・・・・」
「ほら、アンドリュース侯の親族が小麦特別融資を借りていた問題があっただろ。あの時だ」
「あっ!」
リサは合点がいったという顔をした。小麦特別融資に手を出したアンドリュース侯の親族。アンドリュース=ドルト子爵家、オースルマルダ子爵家、バルトー男爵家、アイスルアーラ男爵家の四家が、融資を使って買ってしまった小麦。この売り払いをアンドリュース侯から委嘱され、リサが直接携わったのだから、覚えていない筈がない。
「話してくれれば良かったのに・・・・・」
「そんなに重要だなんて思ってなかったからだよ」
事実ではない。あの時、アンドリュース侯が旧ムファスタ行政府跡地をゴデル=ハルゼイ侯がフェレットに斡旋。それを衛星であるラナドルファ商会が取得したと話してくれたのだが、この話が重要だと思ったのでリサにも話さなかった。守秘義務ではないが、それに準じる内容だと思ったからである。だからリサに対して、ここはボケるしかない。
「グレンは本当に隠し事が多いんだから!」
えええええ! 何でそうなるんだ! いやいや、隠し事が多いのはリサだろ。今日はそれを聞くための場じゃないか! どうして俺が追及されなきゃいけなんだ?
「まぁ、いいわ。いつもの事だから」
いやいやいや、違うだろ、それ。いつもなのはリサ、お前の方だろ! そんな俺の気持ちをあざ笑うかのように、リサが溜息をつく。用意した『サヴォーレ・デハズ・ディブローシャー』はグラスに注がれるどころか、栓さえ空いていない。何事も無かったかのようにリサが話を続けたので、俺はそのままリサの話に付き合あわざる得なくなってしまった。
「あの土地はフェレット側が取得に動いて、ゴデル=ハルゼイ侯が仲介したの」
「ゴデル=ハルゼイ侯からではなかったのか?」
「ええ。最初にフェレットが働きかけて、土地の仲介したのがゴデル=ハルゼイ侯よ。そしてフェレットの衛星となったラナドルファ商会が買ったの」
アンドリュース侯は全く逆の事を言っていた。土地をフェレットに仲介したのが、ゴデル=ハルゼイ侯だと。ところがリサはフェレット商会からゴデル=ハルゼイ侯から働きかけ、衛星を介して土地を取得したという。どちらが真実なのか? 最終的な着地点は一緒なので同じように見える話だが、実はそうではない。
何故なら、どちらが主体的に動いて話が進んだのかが重要だからである。フェレットが主体的に話を進めたならばフェレットが貴族を動かした形になり、ゴデル=ハルゼイ侯が働きかけたならば、貴族が商人を動かした事になるからだ。どちらにしても貴族と商人が結託している事実には違いがないのだが、主犯と従犯という違いはある。
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