第四十三章 禍乱の清算

587 二つの声

 巷では徳政令の声が以前にも増して大きくなっていた。小麦が五ラントで販売されている今、小麦暴騰によって高値の小麦を買う為に借金を強いられた民衆の中から、小麦購入費に充てられた借金について、帳消し願う声が日に日に高まっていたのだ。というのも宰相府が主導した「緊急小麦融資支援」の元本の返済猶予期限が迫っていたからである。


 「緊急小麦融資支援」は『金融ギルド』が貸金業者に融資を行い、宰相府が金利を負担する事によって民衆の借入金利がゼロになるというもので、借入額は一家一〇万ラントが上限。宰相府と『金融ギルド』が完全提携した小麦購入支援策であるが、繰り延べ返済が半年後だった為、元本の支払いが迫っていた。


 今までスキップしていたものが、目の前にやってくるのだ。宰相府は利子補給を行ったが、繰り延べ返済分の負担は一切行っていない。これは宰相府が先に一年分の金利を支払った事のバーターとして『金融ギルド』や貸金業者が実質的な負担を負うという、阿吽の呼吸の約束となっていたからである。


 なので「緊急小麦融資支援」でカネを借りていた民衆は、現段階で一ラントの負担もしていないし、誰も支払いを行っていない。その為、多くの人々はこの借金を忘却の彼方へと追いやっていた。小麦暴騰の中、幾度と起こった暴動が惨事には至らなかったのは、この「緊急小麦融資支援」の力が大きい。


 もしこの融資がなければ、飢える者続出であっただろう。多くの民衆は融資で高値の小麦を買って飢えを凌いだのである。ところが人間というもの、自分達が払わなければならいという状況になってくると、色々と切羽詰まってくる。これは俺も体験済み。住宅ローンのフラット三五で、俺はやってしまった。


 最初の十年の金利負担は少なかったのだが、十一年目から増えるプランでカネを借りた為、払いがドンと乗ってきたのである。最初の払いを安く考えてしまった結果だ。借りた時には今の事しか考えないから、その時の負担を減らす事にばかり頭が行ってしまったのである。将来は・・・・・ 


 まぁ、給料が増えるだろうという漠然とした意識で話を進めたのである。ところがその楽観視が、俺を苦しめる。子供が大きくなって費用はかかるわ、物価は上昇するわ、その割に給料は上がらないわ。住宅ローン減税なんて、正直意味を成さない。結局、最後には佳奈が働く形となってしまった。


 いずれにしろ、借金というものを何とかしたいというのは、誰だって考える。そこへ借金の棒引きという「徳政令」なんてものが出てきたら、誰だって飛びつくのは当たり前。しかし一度そんな事をしてしまったら、信用を失くしてしまうだけになりはしまいか。何故なら貸した側にはお金が戻ってこないから、怖くて貸せなくなってしまう。


 フラット三五の十年間の金利負担減ではないが、その時は良くても後が怖い。困った時にカネを借りられなかったら、元も子もないからである。しかしどうしても今を優先するのが人間な訳で、徳政令の声が大きくなるのも、これ必然というもの。この民衆の声を背景として、王国へ徳政の圧力を強力にかけている貴族達。


 実は声を大にして徳政を叫ばなければならない事情が貴族達にはあった。融資を受けた担保保証の補填。いわゆる「追証問題」である。これに関連して『小箱の放置ホイポイカプセル』は、国有化された『貴族ファンド』の資産について近々、重大な発表が行われると書かれていた。遠回しに書いているが、文面を見るに追証の話なのは確実である。


 というのも「欠損担保について」とか、「期限が過ぎた」等と書かれているからである。回りくどく書かれているのは、それだけ貴族の圧力が強いからで、細心の注意を払いながらの掲載だからであろう。これでは知識のない民衆には何を書いているのか分からないだろうが、何か重大な問題があるというのは伝わる筈。


 王国がこの追証問題について、何らかの判断をするのは間違いない。だから貴族達は王国から徳政令を引き出すべく、『翻訳蒟蒻』を使って徳政の声を起こし、民衆を媒介としてその声を大きくさせているのだ。その声を加速させて狙うのは自らの借金の棒引き。だがそれは、我が身が起こした不始末を王国へ転嫁して逃れようとしているだけではないのか。


 そもそも『貴族ファンド』から小麦を担保に入れて、小麦特別融資を借りたのは声を上げている貴族達。そのカネを惜しみなく小麦相場へ注ぎ込んで、積極的に小麦釣り上げを行った張本人ではないか。それを被害者である民衆を焚き付け、徳政令を引き出して、借金自体を無かった事にしようなんて、実に浅ましい限りである。


 この問題について違った角度から伝えているのは『蝦蟇がま口財布』。こちらの方は追証問題よりも、徳政令の方に重心をおいて伝えている。「日増しに高まる徳政令の声」「徳政令、近々決断へ」という、中々刺激的な見出しを付けた記事によると、宰相府が近々、王国全体に高まっている徳政令の声について、何らかの判断を下すと書かれていた。


 『小箱の放置』と『蝦蟇口財布』。双方の記事を見合わせて見えてきたのは、貴族と民衆に共通したこの借金問題について、宰相府が方針を示すであろうこと。宰相閣下の采配が問われると言ったところだが、親族や陪臣にまで小麦特別融資を受けた家がある中、宰相閣下がどのような判断をするのか、見どころではある。


 それはそれとして、『金融ギルド』のシアーズによると今、少なからぬ貴族が債務不履行に陥っているという。既に複数の金融業者から返済猶予の願いが届いており、さてどうするかと思案しているようであった。これは小麦相場に突っ込んだカネを『貴族ファンド』から借りたカネのみならず、貸金業者からも調達していた事を示す話。そのツケが今になって現れた。


 以前よりシアーズは、貸金業者に向けて「小麦相場は危ない」「貴族融資には慎重に」と何度も呼びかけていたと話していた。にも拘わらず融資をしてしまった業者達が焦げ付いてしまったのである。ここから見えてくるのは、小麦特別融資を受けた貴族達の財務は急速に悪化しているという事実。これはもう隠し仰せない話である。


 ――コルレッツから封書が届いた。コルレッツの兄・ジャックを経由してのものなのは相変わらずだが、コルレッツの封書と一緒に入れてくれているジャックの便箋は、学院内での出来事を伝えてくれるので非常に有り難い。今回の便箋には、学園と同時期に編成された学徒団が解散する旨の内容が書かれていたので驚いた。


 学園の学徒団と並んで、王都の治安維持を担った学徒団。特に大暴動時のアウストラリス公爵邸ではその警備の一翼を担って、群衆の動きを止める活躍を見せた。その学院学徒団が解散する。どういう事なのかと読み進めると、新任の学院長を迎えるに伴い、学院のカリキュラムが大幅に変わる為だというのである。


 何でも士官コースなるものが生まれるらしく、今学院ではその話題で持ちきりなのだという。新任の学院長の着任に合わせて発表されるそうで、ジャックも興味を持っているとの事。しかし士官とは・・・・・ そう言えばこの前、グレックナーが来た時言っていたな。統帥府の組織が大幅に改組される見通しだって。これもその影響なのか。


 まぁ、俺はいずれここから去る身。この国の行く末を考えるなんて出来る立場ではないが、士官コースの創設なんて話を見ると、長年続いた平和路線からの変更なのかと少し危惧をする。こういうのを見て、平和の大切さについて考えるのか。これまでそういう心境になった事がないので、そこに至る心の変化に驚いた。


 一緒に入っていたコルレッツの封書を開けて読むと、先ず俺の身体が治癒した事への喜びが書かれている。書き出し部分、俺の治癒についての書き方がジャックと同じだったので、やはり双子なのだと俺は驚嘆した。コルレッツは転生者だが、同時にジャックと血を分けた双子。性格気性が全く違うように見えて、実は似た部分があるのだろう。


 ブラッドのキャラクターアイテムである『詠唱の杖』を買い戻し、本人に渡した件について謝罪の言葉が書かれていた。カネはいいと書いたのに、弁済したいと書かれていたので、これは改めてその必要がない理由を書かなければならない。そうでなければ、コルレッツの方が気を揉んでしまう。何回か封書をやり取りして、その辺りのニュアンスが掴めるようになった。


 それはそうと、コルレッツの近況が綴られている文章を見て驚いた。勤めている飲み屋『ルイ・ヤトン』が大暴動が起こる前とは一変し、閑散としているというのである。それは飲み屋街全体の状態がそうだと書かれているのだから、『ルイ・ヤトン』のみの話ではない。大暴動で歓楽街の多くが焼け落ちたからなのだろうか?


 そう思って読み進めて見ると、理由が全く違っていた。小麦成金の足がパッタリと止まってしまったからなのだという。勅令で小麦が五ラントになってしまった為、それまでカネを落としていた連中が、全くカネが落とせなくなってしまったと書かれていた。また、緊急小麦融資支援のカネで呑んでいた連中もカネが尽きて来なくなったそうだ。


 しかしなんて行きあたりばったりな連中なのだ。コルレッツは書いていないが、大暴動で歓楽街が焼け落ちた事も絶対に影響している。「バブルの崩壊って、こんなのを言うのね」と書いている辺りが現実世界の住人。俺は実体験をした訳じゃないから断定できないが、恐らくは同じもの。カネを持っているから使うのであって、持っていなければ使えない。


 コルレッツはこの辺りが潮時かと思っているらしく、借金の返済に目処が付いたので、飲み屋稼業から足を洗おうかと考えているようだ。以前から転職について書いていたので、自然の流れ。こちらの世界でこれからも生きるならば、寧ろ当然の判断だろう。それよりもコルレッツは文面を見るに、正嫡殿下の動きが気になっているようである。

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