586 テンプクとガンター

 俺達が襲撃された直前、『常在戦場』の鼓笛隊による合奏を聴きたいという、エルベール派の有力貴族アルヒデーゼ伯と交わした演奏会を開く約束。身体も動き、精神的にも余裕が出てきたので、その約束を果たさなければと思っていたのだが、肝心の鼓笛隊がまさかレジドルナへ向かっていたとは思わなかった。


 鼓笛隊がレジドルナ制圧に向かった理由は分からない。ただ幸か不幸か、俺が鼓笛隊とコンタクトを取る余裕がなかった為、演奏会の話を持ちかける事もなく、レジドルナに向かったのは良かったのではないかと思う。帰ってきてから間を置かずに、親閲式にも参加したというし、もう少し落ち着いてから連絡を取ろうと考えている。


「そこまでしなくてもいいんじゃないの? 皆、小麦特別融資でそれどころじゃないし」


 俺の話を聞いたレティは、演奏会を開かなくてもいいのではと、遠巻きに言ってきた。それは有り難い申し出だ。しかしアルヒデーゼ伯は貴族会議の開催を阻止すべく、レティを連れて奔走した。その義理は忘れてはいけない。だからどうなるかは分からないが、準備だけでも進めておいた方がいいだろう。やるかやらぬかは、後で決めればいいのだから。


「じゃあ、折を見てアルヒデーゼ伯に連絡をするわ」


「ああ、そうしてくれ。こちらも鼓笛隊と打ち合わせをしておくよ」


 俺はレティのグラスにワインを注いだ。こういう話をしながら、レティとワインを飲み交わすという日常。こういう何気ない平常や日常が、如何に大切なのかが襲撃事件を体験して実感する。しかし、まだ平常に戻っていない部分もある。クリスだ。レティは学園に戻ってきたが、クリスの方はまだ帰ってきていない。ほろ酔いのアイリが聞いてきた。


「クリスティーナはまだ戻ってこないの?」


「ああ。今、親族のクラウディス=カシューガ子爵家の領地に行ってるよ」


「それって、あの小麦融資の話で?」


 アイリの質問にそうだと答える。宰相閣下とアルフォンス卿が忙しくて動けないので、クリスの叔父で「テオドール様」と慕う、一族の長老格のクラウディス=ディオール伯と共に向かったと話した。すると二人共複雑そうな顔をしている。アイリは「中々終わらないね」と言い、レティは「だから徳政令の話が大きくなっているのね」と溜息を付く。


「どうにもならん借金が、丸ごと消えれば何とかなるって思っているんだろうなぁ」


「その話だと、そうには成らないようね」


「ああ。借金の額が多すぎる」


 仮に『貴族ファンド』の借金が帳消しになったとしても、誰が新たにカネを貸してくれるというのか。これは銭カネの問題ではなく、信用の問題。いくら貴族であるから、財産を持っているからといって、一度毀損された信用を取り戻すのは至難の業。そこが分かっていないのではないか? レティが今起こっている問題について指摘した。


「何か借金を一気に払わなくちゃ、いけなくなっているらしいものね」


「追証の話だな」


 購入済みの小麦を担保に入れ、小麦特別融資を受けていた貴族達は今、重大な局面を迎えていた。いわゆる「追証問題」である。フェレット商会やトゥーリッド商会が王国に接収されたのに伴い、『貴族ファンド』は国有化された。要は民間経営の銀行が、国営化されたのである。しかし国営化されようとも、民間時代の契約が継承されるのは当然の話。


 小麦特別融資の契約書には、月末段階で融資に対して担保価値が下がっていた場合、借主担保欠損分を補填しなければならないと規定されている。これが追証。これを貴族が支払うのか否か、あるいは王国が請求するやせぬかが焦点として浮かび上がってきたのである。しかし足りない分を補填すると言ったって、普通の額ではない。


 多くの貴族が『貴族ファンド』から、年間収入を遥かに超える金額を借り入れているのだ。しかも規定では月末の小麦相場の終値で計算と書かれている。月末終値はマイナス二八五ラント。つまり小麦を担保として借り入れた額全額に加え、このマイナス分も加えた額を追証として支払わなくてはならないのである。こんなの普通の者でも嫌がるだろう。


 そこでこの局面を打開するための策が「徳政令」という訳だ。徳政令が出れば借金が棒引きされる。だから『翻訳蒟蒻こんにゃく』は連日号外を出し、「借金を帳消しに!」と叫ぶ特集を組んで、同じように借金を背負っている民衆を煽っているのだ。裏を返せば、それだけ融資を受けた貴族達が切羽詰まっているという証なのだが。


「何処の家も一緒なのね。バカな借金を抱えた親戚の尻拭いって」


 話をしている内に、レティがはたまた溜息をついた。レティの従祖伯母いとこおおおばであるエルダース伯爵夫人の親族、グレマン=エルダース男爵家が多額の小麦特別融資を受けており、クリスの話は全く他人事ではなかった。この話をエルダース伯爵夫人に話したところ、伯爵夫人はその場でへたり込んでしまったという。


「声を掛けているのに、どうして言ってくれなかったのよって」


 額を聞いて堪えるのは間違いないのだが、それ以上に話してもらえなかった方が堪えているよな。声まで掛けているのに、言わないヤツがいるかって話だ。エルダース伯爵夫人は、所領にいる伯爵に早馬を飛ばし、早々に上京してもらうように手配をしたそうである。小麦は今、五ラントで売られて街は静かになったが、小麦を巡って、まだ揺れ動いていた。


「ところでリサさんは?」


「今、ムファスタに行ってるんだよ」


「ムファスタへ!」


 そうなのだ。レジドルナに帰ってきてから間がないというのに、リサはムファスタへ向かったのである。お陰でリサからは話が聞けずじまい。何の為にムファスタへ行ったのかすら不明である。ザルツやロバートに聞いてみたが、「行くとしか聞いていない」とそっけない返事だった。ジルに至っては「家に帰ってくるつもりがないんだよ」と拗ねている。


 誰も理由を知らないまま、ムファスタへ旅立ったリサ。恐らくはウチアルフォードの出先として、ムファスタギルドの会頭を務めているジグラニア・ホイスナーに用事があるのだろうが、話を聞いた訳ではないので断定は出来ない。レティはミカエルの事で礼を言いたかったそうなのだが、いないのなら挨拶はお預けねと言った。


「何かリサがやったのか?」


「ええ。サラミスの切り通しを守るのを説得してくれたそうなの」


 王都とレジドルナを結ぶ幹線と、レジドルナとモンセルを結ぶ幹線。この二つの幹線を繋げる支線がリッチェル子爵領を南北に貫いていた。高地にある子爵領では、南部側の支線が隘路あいろとなっており、この地形を利用して封鎖しようという話だった。ところがこの方針に、子爵領にいた地主兵ラディーラ達が難色を示していたというのである。


「狭い切り通しを守れば少数で多数を止められるだろ。一番合理的なのにあいつらラディーラは違っていたのか?」


「それが違っていたから問題なのよ。それじゃ、戦闘じゃないって」


「バカじゃないのか!」


 俺は持っていたグラスを置き、思わず言い放ってしまった。少数で多数の動きを封じるのも立派な戦闘だろ。言った後でハッとした。レティが考えた訳じゃないのに、悪い事と言ってしまったと後悔したのだ。しかしレティは気にする素振りもなく、「そうよね」と頷いている。アイリは・・・・・ もう酔い潰れていた。


 レティが聞いたところによれば、ミカエルもリサも全く同じ戦術を考えていたらしい。北はリッチェル子爵領を抜けた先にある橋を封鎖し、南は狭くなっている「セラミスの切り通し」を封鎖すると。なので地主兵ラディーラ達の抵抗は、ミカエルにとって全くの予想外の反応。困った所へリサが説得したという次第らしい。


「だからリサさんとミカエルが「セラミスの切り通し」に残って、北の端には『常在戦場』の隊長さんが向かったそうよ。地主兵ラディーラ達だけじゃ、不安だってミカエルが言うから」


 あちゃー! 全く以て困ったもんだ。ミカエルが自分達の所領にいる地主兵ラディーラよりもリサを信用しちゃうなんて。ただこの策が功を奏したのかドルナを封鎖していた、レジドルナの冒険者ギルドの連中が潰走して、冒険者ギルドの援軍も北の橋を挟んで睨み合っている間に、モンセル方面からやってきた『常在戦場』の一隊を見て退却した。


「ヤヌスが役に立ったのか!」


「えっ、ヤヌスって?」


「『常在戦場』のモンセル部隊の名称だ。勝手にレジ方面へ出発しちゃってたんだよ。大活躍じゃないか」


 俺はワイン片手に笑ってしまった。ドルレアックよ、あのやる気のないモンセル隊を使える部隊によく変えたな。俺はその手腕に感心した。その後

「セラミスの切り通し」に近衛騎士団が現れてミカエル達が合流すると、そのまま北上して第三警護隊とモンセルのヤヌスも加わり、その足で一気にレジへ突入したとの事。


「そのときには皆、ミカエルの指示に従ったそうだけどね。能天気にテンプクとガンターを鳴らしながら」


 テンプクは縦笛、ガンターは大きな鈴。以前リッチェル子爵領を後にした際、俺達を見送るために地主兵ラディーラが演奏していた。この事をフレミングが言っていたのだな。鳴り物を鳴らしてけたたましくレジに入ったって。しかし、本当に面倒くさい連中だよな、地主兵ラディーラ達は。


「大変だったんだな、ミカエルも」


「そうよ。わざわざ苦労しに行って・・・・・」


 空になったグラスをじっと見ながら話すレティを見て、そのグラスにワインを注いだ。何か泣きそうな雰囲気だったからである。気が逸れたのか、レティは泣かなかったが、レティにはレティなりの複雑な思いがあるのだろう。酔い潰れたアイリを横目に二人で話していると、ロタスティの営業時間が終わりを告げた。残っていたのは俺達だけのようだ。


「アイリス、行こう」


「・・・・・う、うん」


 アイリの片腕を担ぐレティ。ところがレティもかなり呑んでいるので、足元がフラついていている。これじゃ、まるで酔っ払いじゃないかと思ったが、その後すぐに酔っ払いだと気付いた。まぁ、二人のヒロインが揃って千鳥足なんて、普通はあり得ないだろうからな。エレノ世界は相変わらずぶっ飛んでいるよな。そんな二人を見送りながら俺は思った。

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