585 子爵家の通常操業

 ――レティがようやく学園に戻ってきたので、アイリと三人で小さな慰労会を開いた。場所はロタスティの個室。最近ずっと個室が借りられなかったのに、今日はすんなりと借りられた。どの部屋でもいいと言われたのだが、三人だけなので小部屋にしたのだが、もしクリスもいたなら、トーマスとシャロンも加わるのでこの部屋では難しい。


 それはそうとレティは、ワインを一口飲むとホッとした表情を見せていた。いつも思うのだが、レティにはワインがよく似合う。今日のワインは『シュタルフェル ナターシュレイ』。「貴族のワイン」と呼ばれるレティが好きな銘柄。俺も『シュタルフェル ナターシュレイ』を口に含む。最近になって、ようやくワインが飲める心境になった。


「はぁ、疲れた・・・・・」


 レティが本当に参っていた。式典や儀式に追われまくって、もう疲れたと嘆いているのを見ると、かなりきているな。ミカエルが帰ってきた次の日からは、本当に大変だったらしい。ミカエルやダンチェアード男爵、そして地主兵ラディーラが親閲式の参加という話を聞いて、いきなりその準備に走らなければならなかったからである。


 ミカエルが帰ってきた時に同行していたババシュ・ハーンらと共に、後からやってくる地主兵ラディーラの受け入れ準備から親閲式の式次第まで、ありとあらゆる事が降って湧いてきた。特に問題になったのは、多くの地主兵ラディーラが、馬に乗って上京してきた事。百頭以上の馬を収容する厩舎が無かった為に、大騒動になったらしい。


「だから、郊外で留め置く形になったのよね」


 リッチェル子爵領は馬産地。まして国王陛下の御前おんまえでの行進だと聞き、皆が張り切って馬で王都へやってきたものだから、何処に馬をやるのだという話になったらしい。しかし場所がないので馬に乗ってきた者は皆、郊外へ留め置いたそうだ。しかし、それだったら何処で泊まったんだ?


「野営したのよ。あの人達、基本頑丈だから」


 おいおい。レティもメチャクチャ言うなぁ。しかし王都までやって来て野営なんか、夢にも思っていなかったのではないか。そんな状態で郊外と王都を行き交いする羽目となってしまい、何がなんだか分からぬ状態で準備を進めなければならなかったと、レティが嘆いている。そして訳も分からぬままに親閲式は終わったという。


「グレンがホテルを借りてくれて、本当に助かったわ」


「俺もそんな事になっているなんて、思っても見なかったよ」


 俺もグビッとワインを飲み干す。言っちゃ何だが、レティと飲むのが一番ワインが進む。もしそんな話でもしようものなら「私は当て・・じゃない!」って怒られそうだが、実に不思議である。アイリは少し口に含ませただけなのだが、もう顔が赤くなっていた。白頬が濃いピンクに染まっているのを見ると、本当に弱いのが分かる。


「やっと、落ち着きましたね」


「ああ。やれやれだったよ」

「こちらもよ」


 アイリがニッコリと笑って言うと、俺とレティはほぼ同時に返事をしたので、アイリが交互にキョロキョロ見てくる。俺は合わせようとしたんじゃないぞ。レティを見ると同じような事を思っているようだ。アイリが意味ありげな視線を送ってきたので、その場を取り繕う為に何かを話そうとしたが、その前にレティが話し始めた。


「ようやく地主兵ラディーラが帰って、肩の荷が下りたわ。だってあの人達、式典終わったら、やれ見物だとか言って、刀を差したまま、街へ繰り出すんだから」


「あの太い得物をか?」


「そうなの、子爵領と勘違いしているのよ。街のあちこちでラディーラ、ラディーラって騒ぐし・・・・・ だからこっちは目が離せないでしょ」


 地主兵ラディーラが持つ蛮刀。それは昔、リッチェル子爵家で兵士として戦った証。親閲式に参加する為、ミカエルの下で従軍した百五十人余りの地主兵ラディーラ達が上京してきたというのである。その世話をやるのに疲れたと話すレティ。確かに、機嫌よく「ラディーラ!」しか言わないもんなぁ、あいつら。


「コワルタも従軍していて、上京してきたのよね・・・・・」


「えっ? あのコワルタがか?」


「お許し下されって・・・・・」


 リッチェル子爵家の元執事次長コワルタ。レティが王都の屋敷を畳んだ際、そこで執事を務めていたコワルタをリッチェル城へ連れ帰って執事次長にしたのだが、前子爵エアリスの側に付いてしまい、ミカエルの当主就任に際してエアリスと共に追放されてしまった人物である。しかし、どうしてそんな人物が従軍していたんだ?


「どうも抜け出して参戦したらしいのよね」


「エアリスのところからか?」


「そうなのよ。地主兵ラディーラの血が騒いだのか、刀を握りしめて・・・・・」


 いざリッチェルか・・・・・ 子爵領内の土地を分け与えられ、子爵家から離れた地主兵ラディーラには、子爵家がいざ何かある際、何をおいても馳せ参じるという「いざリッチェル」という掟がある。コワルタの実家は地主兵ラディーラの中でも有力な家。参戦したコワルタは、伯父のザイザルス・コワルタに連れられて、許しを請いに来たらしい。


「許したのか?」


「許さないと、仕方がないでしょ。抜け出してまで、参加しているのに・・・・・」


 レティはワインを口に含ませながら言った。実際に馳せ参じて動いているのに、ここで許さなかったら、何をやった許すとなる。それでは地主兵ラディーラ達の子爵家への信頼が揺るぎかねない。そう話すレティの表情を見るに、心の中で葛藤があったようだ。ワインが回っているのか、トロンとした目をしたアイリが言った。


「レティは偉いわ。許すなんて。私だったら、そうするか分からないわ」


 微笑みながら話すアイリ。いやいや、笑いながら話すような言葉じゃないぞ。アイリは思った以上に執念深いのか・・・・・ リアルアイリと知り合って一年経つが、まだ知らぬ顔のアイリがいる。


「そんな事はないわ・・・・・」


「あるって。だって私も憶えているわ。レティシアが一生懸命お世話をしたのに裏切った人でしょ。それを許すなんて。家の為にそうしたレティは偉いわ」


「・・・・・ありがとう」


 レティには珍しく、素直にアイリの褒め言葉を受け取った。そのお礼なのか、レティがアイリのグラスにワインを注いで勧めている。酒に弱いアイリを気遣ってか、今までそんなところを見た事が無かったので、意外な展開に驚いた。レティがしんみりと言う。


「家族って、本当に面倒よね・・・・・」


「何かあったのか?」


 一瞬、ミカエルとの間に諍いが起こったのかと思ったが、そうではなくて実父エアリスの話のようである。エアリス・・・・・ あの調子乗りが、またやらかしたのか?


「小麦相場に手を出してたらしいのよ・・・・・」


「はぁ?」


「人に調子を合わせて・・・・・」


 そんなカネがあるのかと尋ねたら、何と借金をして突っ込んでいるらしい。謝罪を受け入れた後、コワルタからその話を聞いて愕然としたが、話はそれで終わらなかった。コワルタの伯父ザイザルスからレティの兄、歩く種馬と評されるドボナード卿も小麦相場に入れ込んでいるという話を聞いたというのである。


「二人共か?」


「違うわ。パリタスの家もよ」


 パリタスの家・・・・・ 一瞬何処かと思ったが、パリタス男爵家。レティの姉の嫁ぎ先か。レティが言うには小麦特別融資を受けていたという。その額二億三〇〇〇万ラント。完全に債務超過だな。俺が話を聞いてそう指摘すると、レティは「そうでしょ」と全面肯定してきた。勿論、呆れながら肯定したのは言うまでもない。


「揃いも揃って、まぁ、やらかすわよね。いつもの事だけど」


 しかし、親族だというのに、歯牙にもかけないこの態度。パリタス男爵夫人は実姉であり、血で言うならレティの後見人であるエルダース伯爵夫人よりもずっと近い。しかしレティの言葉は限りなく冷たいものだった。ハッキリ言うなら、親族であるとすら思っていないような口ぶりである。それだけ姉の無心が酷かったのか。


「だからこの家はダメダメなのよ」


 レティから溜息が出るのは当然だ。蟄居させられている筈の父親と兄、そして姉の嫁ぎ先がわざわざ借金をして小麦相場にのめり込んでいるのだから。もし当主と嫡嗣なら、リッチェル子爵家は間違いなく「鳥籠」送りだ。乙女ゲーム『エレノオーレ!』の初期設定の状態だったら、確実にそうなる。力技でミカエルを当主にして正解だった。


「その借金はどうなるの?」


「分からないわ。だって借金をしたのは家じゃなくて、本人だもの」


 レティからの答えを聞いたアイリは、レティのグラスに『シュタルフェル ナターシュレイ』を注いだ。アルコールが回っているからだろう、目が据わっている状態で、手に持つボトルも心許ない。


「だったらレティシア。もう飲むしかないわ」


「そうよね」


 アイリがワインを勧めた。今日はピッチが速い。もう三本目だぞ。しかしヒロインがヒロインに酒を勧めるなんて、ゲームじゃあり得ない展開。これじゃ攻略対象者の攻略どころの話じゃない。レティが「貴族は面倒くさい」と、ワインをあおりながら、愚痴っている。


「ところでアルヒデーゼ伯から何か話がなかったか?」


「えっ?」


 レティがギョッとしている。もしかして忘れたのか。暫くして思い出したのか、レティが「ああっ!」と声を上げた。


「もしかしてエルダース伯爵邸での話?」


「ああ。そうそう」


「ないわ。今、それどころの話じゃないでしょ」


「そうか・・・・・」


 確かにその通り。俺達がナシデルら、レジドルナの冒険者ギルドの連中に襲撃された直前、エルダース伯爵邸でエルベール派の有力貴族アルヒデーゼ伯と会っていた。その際、鼓笛隊の合奏が聞きたいとの要望を俺が引き受けてしまったのだ。その直後、俺が襲撃されてしまい、大怪我を負ったが為に、話そのものが止まってしまっている状態。


「律儀よねぇ」


「約束は約束だからな」


 レティが呆れたように言ってきたので、そう返した。約束しているのに放置したままというのも気持ち悪い。何とかアルヒデーゼ伯との約束を果たそうと、この前『常在戦場』の面々が屋敷にやって来た際、鼓笛隊と鼓笛隊長のニュース・ラインについて聞いたのだ。すると第一警備団や第三警護隊と共に、レジドルナへ行っていたと言うのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る