577 御前での抵抗

 サルンアフィア学園の貴賓室で行われたノルデン国王フリッツ三世との謁見。その目的である『貴族ファンド』の書類一式の献呈を行おうとしたところ、学生差配役で王国剣術師範のスピアリット子爵から、書類の嫌疑が提起された。つかさずそれに食らいつく園友会会長のゴデル=ハルゼイ侯。すると園友会幹事長のプラスタ=ペロジ子爵が発言する。


「恐れながら、私めもゴデル=ハルゼイ侯やスピアリット子爵意見に同感にございます。平民からの献呈をお受けになる前に精査が必要かと」


 プラスタ=ペロジ子爵。この人物も多額の小麦特別融資を受けていた人物。そりゃ、融資書類の献呈なんか絶対阻止だよな。プラスタ=ペロジ子爵の左に立っているテレ=リブロン子爵が、我が意を得たりと頷いている。テレ=リブロン子爵も小麦特別融資を受けていたな。皆、同じ穴のムジナじゃないか。


「宰相よ。皆の意見を聞いてどう思う?」


 一人椅子に座って貴族達の意見に耳を傾けていた国王陛下は宰相閣下に尋ねた。いや、尋ねたというよりも思考を放棄して、丸投げしていると言った方がいいかもしれない。一体何を考えているのだ、この人物は? あまりにも主体性が無さ過ぎる。宰相閣下は国王陛下に向かって恭しく一礼すると、意見を述べた。


「現在、『貴族ファンド』の責任者をはじめ、全職員を拘束しております。その者達にこの書類の真贋について確認を行わせれば良いかと」


 宰相閣下そう具申すると、一瞬後ろを振り向いた。すると、司法卿のヒョード男爵が一礼をする。


「恐れながら申し上げますれば、事の始まりは・・・・・」


 はたまたヒョード男爵の読経が始まった。これで緊迫感も消え失せると思っていたら想像するに違わず、約十分に亘ってヒョード男爵の念仏が続いてしまったのである。


「真贋が定かとなり偽りの物とならば、法理に則りまして処置を考えるべきかと。その確認の為には先ずは書類が必要。このように臣は愚考致します」


「司法卿はこの平民からの献呈を受けよと申しておるのだな」


「はっ! 陛下の宸慮しんりょ。臣の考えつくところではございませぬ」


 なんだこのやり取りは! 三文芝居にすらならんだろ、これ。いつもこんな事をやってんのか! これでよく国が成立しているよな、ノルデンは。俺は心の底から呆れてしまった。国の奥の院なんていうが、たかが知れたものなのだな、本当に。国王陛下は脇に控える、宮内大夫のアズラン子爵に意見を求めた。


「責任者による供述と共に、契約書の筆跡鑑定を行う事によって、書類の真贋を判定すべきかと」


「複数の照合によって確認せよと申したいのだな」


「陛下の彗眼。恐れ致します」


 アズラン子爵は頭を下げて、国王陛下に花を持たせる。確実なヒントを与えながら、そう答えられるように誘導して答えると、それを褒めそやす。日頃より、このように振る舞わなければ、宮廷官吏なぞ務まらないのだろう。人の事なんか考えたくもない俺なんかには、絶対に無理な仕事。よく宮仕えなんか出来るなと感心する。


 だがそれとは別に、『貴族ファンド』の責任者の供述と、貴族の筆跡鑑定の二つを以て、書類の真贋を判定するというアズラン子爵の意見には賛成だ。確認に確認を重ねた方が、信憑性が増して嫌疑が晴れる。ここでクリスが『貴族ファンド』の書類一式の献呈を改めて申し出た。機を見て敏とはこの事だろう。


「グレン・アルフォードよ。前に」


「陛下! 暫しお待ちを!」


 侍従長ダウンズ伯の言葉を受けて俺が前に進み出ようとすると、突然制止の声が飛んできた。またもやゴデル=ハルゼイ侯。その目が血走っているのを見ると、書類の献呈を何としても阻止したいのだろう。この期に及んで足掻あがくとは・・・・・ 一体何を言うつもりか?


「陛下! 献呈と申しましてもこの平民。紙の一枚しか持っておらぬではありませぬか! 甚だ信用なりませぬ!」


(は、はぁ?)


 なんと俺が持っていた紙。単なる目録なのだが、それを見て書類が偽りの物だと言い始めたのである。俺が貴賓室の本室に入った時から持っているじゃないか! だったら、最初から言えよ。このゴデル=ハルゼイ侯の言葉に、園友会の他の貴族も「その御意見、ご尤も!」とか言い始めたので始末に負えない。ヴェンタール伯が前に進み出る。


「陛下! 私めはこのような紙一枚の献呈など、値せずと臣は考えまする」


「陛下! 我等貴族の眼、偽りはございませぬ!」


 そう唸るゴデル=ハルゼイ侯を見て、こいつらバカかと思った。こんな紙一枚、目録なんて誰でも分かる話。それを事に窮して、子供でも言わぬような難癖をつけるのか。俺が呆れただけだったが、隣にいるクリスを見ると、怒りの色が隠せない。クリスの怒りは爆発寸前だ。これはマズイ! そう判断した俺は、騒ぐ貴族達を一気に黙らせる手に出た。


「!!!!!」

「おおお!!!」

「なんだこれは!」


 俺は国王の目の前に山積みの書類を出現させた。商人特殊技能【収納】で、進呈予定だった『貴族ファンド』の書類一式を出したのだ。部屋いっぱいに出た書類の山を見て、貴族達は驚きの声を上げた後、静まり返ってしまった。書類が山積みになり過ぎて、向かいにいる国王はおろか、左右にいる宰相閣下やゴデル=ハルゼイ侯の顔が見えない。


 俺がかろうじて見えるのは、末席に立っていた学園長代行のボルトン伯と園友会常任理事のアブロスティー男爵くらいなもの。そのアブロスティー男爵の顔は引きつっているが、ボルトン伯を見るとなんと苦笑している。これぞボルトン芸の真骨頂。突然起こったこのありえない状況に、皆が固まって沈黙する中、その静寂を打ち破ったのはレティだった。


「グレン! こんな書類をここで出してどうするのよ!」


「書類一枚だって言うから・・・・・」


「もういいから! すぐに引っ込めなさい!」


 もの凄い剣幕でまくし立てて来るレティ。何もそこまで言わなくても・・・・・ そんなレティとは対照的に、クリスは硬直している。こうした、突然の事態が発生した時、クリスはいつも固まっているな。そんな風に思っていると、突然笑い声が聞こえてきた。正嫡殿下アルフレッドの笑い声だ。


「ハハハハハ。流石はアルフォードよ。やる事が違う」


「殿下が教えてくれました通りでしたわね」


 エルザ王女の声が聞こえてくる。


「姉上。これがグレン・アルフォードですぞ!」


「まさに殿下が申されておりましたグレン・アルフォード、そのままでしたわ」


 エルザ王女はそう言うと、正嫡殿下と一緒に笑う声が聞こえてきた。それと共に、複数の笑い声が聞こえてくる。ボルトン伯にスピアリット子爵。宰相閣下まで笑っているではないか。隣にいたクリスまでも笑っている。貴賓室の本室で山積みの書類を囲んだ笑いが起こってしまった。そこへスピアリット子爵が聞いてくる。


「これは全て『貴族ファンド』の契約書か?」


「はい。『貴族ファンド』が千九百八十八家の貴族家と取り交わした契約書及び付随書類一式です」


「それほどの家がか!」

「なんと!」

「誠か!」


 貴賓室の声は笑いから、どよめきに変わった。貴族家のあまりの多さに誰もが驚いたのだろう。そんな中、今度はボルトン伯が尋ねてきた。


「して、その額は・・・・・」


「四八六五億三七〇〇万ラントです。これは『貴族ファンド』の出資額を超えております」


 これを聞いたボルトン伯は絶句してしまった。他の人も同じようで、今度はどよめきすら起こらない。再び沈黙する貴賓室。その静寂を再び破ったのは、これまたレティだった。


「グレン! もういい加減に、片付けなさいよ! 陛下の御前よ!」


「わ、わ、分かったから・・・・・」


 まだ聞かないのかと言わんばかりのレティの気迫に押され、俺は書類を慌てて【収納】した。俺達の目の前を壁のように塞いでいた書類の山が一瞬にして消える。すると、正面には唖然とした顔が並んでいた。国王陛下や後ろに控える従者達や侍従達が、皆一様に固まっている。笑顔でこちらを見ている正嫡殿下やエルザ王女とは対照的だ。


 対照的だと言えば、無表情な宰相閣下や高級官吏達と、向かい側にいる蒼白となっている園友会の面々も同じである。ボルトン伯は目で双方を追っていた。そんな中、一人笑いをこらえているかのように見えるスピアリット子爵はやはり違う。恐らくこの人物は現実世界で生きていても、仕事が出来る男として世の中を遊泳していく筈である。


(やってしまった・・・・・)


 俺はその光景を見てそう思った。クリスの方を見ると未だ無表情。それに対してレティの方はというと、先程までの剣幕はどこへやら。肩をすぼめてしまっている。俺と同じようにやってしまったという心境なのは間違いない。そりゃ「陛下の御前!」と言いながら、いつものノリだもんな。そんなレティに向かって、陛下がやる気無さ気に声を掛けた。


「その方は・・・・・」


「グレン・アルフォードの立会人。リッチェル子爵家がレティシアにございます」


 先程までの剣幕とは打って変わって優雅に答えるレティ。しかし如何に淑やかな挨拶をしようが、先に出してしまった地というか、あの悪態を打ち消すことなど最早不可能だろう。そう考えると今のレティの振る舞いは、隠し仰せのないものを全力に隠すため、必死に取り繕っているようにしか見えない。


 それは『貴族ファンド』の書類を献呈させまいと悪態をつく、園友会幹部達の振る舞いと似た部分がある。レティには悪いのだが、同じような構図なので、そう見えてしまうのだ。ただレティの場合、湖面をスイスイと滑る白鳥が、激しく足を動かしているのと同じようなものなので、園友会の貴族達と全く同じ扱いにする訳にはいかないのだが。


 まぁ、その辺りが貴族とは言っても飾らない、レティらしいと言えばらしい部分。だからこそ、平民である俺とよしみを結べたし、生徒達からの人気も高い。そんなレティを見て、目を輝かせている一人の人物がいた。唯一人椅子に座っている国王陛下その人である。

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