576 謁見
国王陛下がサルンアフィア学園に行幸遊ばされ、御親臨の下、行われた学徒団の慰労式典。学徒団に参加した男子生徒らの働きに、陛下から称賛と慰労の声を賜った。この式典に参列していた学園OB会「園友会」の幹部貴族。会長のゴデル=ハルゼイ侯や三人の副会長に加え、二人の貴族が立っていたので誰なのだろうと思った。
「あれは幹事長であるプラスタ=ペロジ子爵と常任理事のアブロスティー男爵ね」
俺の疑問について、レティがさらりと答えた。プラスタ=ペロジ子爵はウェストウィック派で、アブロスティー男爵はエルベール派。ということは、園友会の主要幹部はアウストラリス派改め旧アウストラリス派二人、エルベール派二人、バーデット派一人の貴族派三派閥と、もう王妃派と呼んでもいいだろうウェストウィック派一人という出身構成。
「陛下が学園へ行幸なされ、生徒達を前に御親臨遊ばされるなぞ、未だかつてなかった事。園友会諸氏が揃って御顔を出されるのは寧ろ当然であろう」
ボルトン伯が高揚感からか、いつもより抑揚を付けた話っぷりでそう指摘した。そこへ学園事務局処長であるラジェスタが「侍従がお見えになりました」と告げてきたので、ボルトン伯は「そうか」と勢いよく立ち上がると颯爽と部屋を出ていく。クリスとレティがその後に続く中、俺はトーマスに促されて、訳も分からぬまま後を付いて部屋を出た。
「ご案内申し上げます」
マシュウィル・デマード・サムフェラスと名乗る侍従がボルトン伯にそう告げると、貴賓室の方に向かって歩き出した。ボルトン伯が「マシュウィル卿」と話していたので、知り合いなのだと思われる。「卿」と敬称を付けたのを見ると、当然ながら貴族なのだろう。そのマシュウィル卿に従い、俺達は縦一列で歩いていく。
その途中、衛士が立って警備をいるところで、トーマスとシャロンが立ち止まった。二人が付いてこられるのは、どうやらここまでという事らしい。こういう部分、身分絶対のエレノ世界は厳密である。シャロンが「しっかりお願いしますね」と耳打ちしてきたので、俺は二度ほど首を縦に振った。
シャロンはシャロンなりに俺の事を心配してくれているのだろう。廊下の真ん中には、いつの間にか赤い絨毯が敷かれている。こんなの無かったぞと思っていたら、マシュウィル卿が赤い絨毯を避けて歩き、その後ろをボルトン伯やクリスが続いた。まさか、赤い絨毯を踏んではいけないのか。
厳しいカースト制度がまかり通るエレノだと思っていたが、歩く所すらも制限されるのには流石にドン引きした。廊下に衛士が並ぶ中、貴賓室へ向かって歩く。貴賓室の本室に入った俺はギョッとした。なんと園友会会長のゴデル=ハルゼイ侯が立っていたからである。俺から見て左手側。
右手側に立つ宰相閣下と向かい合わせになるようにゴデル=ハルゼイ侯が立っている。それだけではない。隣には副会長のリーディガー伯に、同じく副会長のヴェンタール伯とテレ=リブロン子爵が並んでいる。更にその横にいるのは園友会幹事長のプラスタ=ペロジ子爵か。
とすると、末席に立つのは常任理事のアブロスティー男爵という事になる。序列絶対のエレノ世界なので、こういう時にはおおよその見当が付く。しかし、ゴデル=ハルゼイ侯の前であの書類、『貴族ファンド』の事務所で確保した書類を出していいのだろうか? というのも、今回俺が謁見する理由は、小麦特別融資を含めた書類一式の献呈の為。
この小麦特別融資を最も受けていたのが、園友会会長のゴデル=ハルゼイ侯。その額四二億二〇〇〇万ラントという膨大な借金を背負っているのにも関わらず、胸を張って平然と立っている侯爵を見るに、これから何が行われるのかを知っているとは考えにくい。大丈夫なのだろうか? ギロリとこちらを見てくる侯爵を見て、俺はそう思った。
貴賓室の本室正面には、国王フリッツ三世が座っている。その後ろには式典でも見た二人の従者、侍従武官長べーティナルド子爵と、内侍のサーヴェスト子爵夫人が、俺から見て国王陛下の左側には正嫡殿下とエルザ王女。その後ろにはフリックとエディス。右側には侍従長のダウンズ伯をはじめ、羽根付き帽子の者達が並んでいる。
ダウンズ伯の隣に立つのが宮内大夫のアズラン子爵。その隣は侍従次長のトアプポーレ子爵なのだろう。後ろの二人は侍従だろうか。右手側で一列に並んでいるのは宰相閣下、財務卿のグローズ子爵、内務卿のマルソードン子爵、司法卿のヒョード男爵。学生差配役で王国剣術師範のスピアリット子爵も立っていた。座っているのは国王陛下ただ一人。
「畏くも国王陛下の
恭しい挨拶を行ったボルトン伯は、俺達を連れてきた事を報告すると、右手に並んでいたスピアリット子爵の隣に移動した。俺は国王と相対する形で真ん中、クリスとレティの間に立っている。どうしてこんな位置になってしまったのか。それは本室に入る際にクリスとレティが左右に分かれ、俺が真っすぐ進んだ結果、この場所になってしまったのである。
「面を上げよ」
国王陛下の言葉を受けて、身体を起こす。するとクリスが名乗りを上げて挨拶を行い、拝謁が許された事への感謝の言葉を述べる。その口上がやたら長いので、クリスは日頃こんな事をやらなきゃいけないのかと、正直呆れてしまった。慣れてはいるのだろうが、何か気の毒に思う。そのクリスは、俺が陛下に献呈を行いたいものがある旨を話した。
「それは如何なるものか?」
「『貴族ファンド』の書類一切にございます」
クリスがそう告げると、陛下の脇に控える宮廷官吏や、左手に立つ園友会の面々がギョっとしている。その光景をスピアリット子爵は興味深そうな表情で見ていた。国王陛下がそれは誠であるかと問うて来たので、クリスは相違ない事を告げた上で、後は俺に聞いて下さい的な事を言ったのである。いやいや、何で俺に振るのだ!
「グレン・アルフォードとやら。その書類をどのようにして手に入れたのだ」
ええっ、それを言うのか! 俺は一瞬固まったが、言うしかないと思い、個室バー『ルビーナ』の上にあった『貴族ファンド』の事務所に向かった当日。大暴動が起こったその日の模様について話し始めた。すなわち野次馬的に歓楽街にいると、カジノから火の手が上がっており、『貴族ファンド』の事務所にまで燃え広がろうとしていたと。
商人にとって契約書は生命。同じ身分の者が置かれた状況を捨て置く訳にもいかず、『貴族ファンド』の事務所にあった書類一切を確保したと話した。かなり脚色しているが、書類を持ち出したのが事実という部分が重要な訳で、動機を含めて適当なものでいいだろう。俺が話していると、ゴデル=ハルゼイ侯やヴェンタール伯の顔が引きつっていた。
確かヴェンタール伯も一〇億三〇〇〇万ラントの小麦特別融資を受けていたな。横に立っているテレ=リブロン子爵もプラスタ=ペロジ子爵も顔色が悪い。両家とも小麦特別融資のリストにあった。テレ=リブロン子爵五億二〇〇〇万ラント、プラスタ=ペロジ子爵の額はハッキリ憶えてないが、四億ラント以上はあった筈。
「ではこの書類。商人にとっては生命というこの契約書を差し出そうという意図は何か?」
国王が威厳のない声で聞いてきた。この答えについては、昨日クリスと打ち合わせ済み。
「聞くところによればフェレット商会とトゥーリッド商会が保有する財産は、全て王国に移管されたとの話。『貴族ファンド』の出資金は、この二商会が大半を出している為、王国臣民として国王陛下に献呈すべきだと考えるに至ったと説明したのである。俺の話を聞いて大いに頷く陛下。こんな説明で納得してくれたら、気が楽だ。
「恐れながら申し上げます!」
俺が安心していると、聞き覚えのある声が本室に響いた。剣聖スピアリット子爵の声である。一瞬、俺の方に目を動かして眉を上下させたので、もしかすると俺に何かを振ってくるかもしれない。陛下が申してみよと閣下に発言を許可したので、スピアリット子爵が予想通り俺の方に顔を向けて尋ねてきた。
「その書類の真贋、どのように証明なされるおつもりか?」
書類を疑うか・・・・・ スピアリット子爵の挑発的な口調を聞いて、またいつものクセが出てきたな、と思った。どこか斜に構えているのが剣聖閣下、スピアリット子爵。この状況を明らかに面白がっているだろ。書類よりもその心の真贋の方が遥かに重要なのではないか。このスピアリット子爵の指摘に対して、クリスが応じる。
「真贋を問うも何も、書類に書かれているサインを見れば明らかにございます。子爵閣下は私の目に誤りがあると仰りたいのでございますか」
「公爵令嬢。私めにはそのような意図等、露程にもございませぬ。ただ平民、平民子弟が持っておるこの書類。その真贋を客観的に測る必要があると申しておるのです」
これを聞いていたゴデル=ハルゼイ侯が何度も頷いている。成る程、そういう事か。俺はやり取りを見て、剣聖閣下の意図を察した。というのも、もしスピアリット子爵が本気でそんな事を思っているのであれば、そもそも俺となんか話すらもしない筈。つまり心にもない事を言っているのである。スピアリット子爵はすました顔をして、話を続けた。
「畏くも陛下の御前で平民が献呈を行おうという書類。吟味に吟味を重ねるのは至極当然の話」
「恐れながら、スピアリット子爵の申される事はもっともにございます。流石は剣聖閣下。卓見にござる」
やはりゴデル=ハルゼイ侯が食らいついてきた。期待を裏切らない御仁である。多額の小麦特別融資を受けているゴデル=ハルゼイ侯にとって、スピアリット子爵が言う「平民の書類を疑え」は渡りに船。書類の真贋を理由として、献呈を阻止しようという意図は明らか。剣聖閣下は、貴族至上主義だというゴデル=ハルゼイ侯を一本釣りしたのである。
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