571 「私」と「公」

 俺達を乗せた六人乗り馬車は、十三台の車列を組んで王宮前広場に出た。相変わらず長い車列だが、行きよりも一台馬車が少ないのは、使者としてやって来た宰相府大官房のベルス=ダウラージ子爵が乗っていた馬車がないからである。俺はクリスに疑問を投げかけた。どうして宰相閣下ではなく、国王陛下に書類を渡す話になったのかと。


「私が父上へ契約書をお渡しするようグレンに懇願などすれば、シャルロット嬢はどうお思いになるのでしょうか?」


 へっ? いきなりクラートが話に出たので、俺は混乱してしまった。ううう、クラートがどう思うと言われても・・・・・ 俺が困惑していると、クリスは言葉を続ける。


「私益の為にやったとのそしりは受けたくありません」


 あっ、そうか! クリスが俺に宰相閣下へ『貴族ファンド』の書類を渡すように言えば、それはクリスが家の為、ノルト=クラウディス公爵家の為に俺へ働きかけたと言われかねない。これは私益であるというのがクリスの考えなのか。クリスが俺との強力過ぎるパイプを使って、宰相家であるノルト=クラウディス家のほしいままにやっている。そう指弾されるか。


「自分の家やディール家も『貴族ファンド』の融資を受けている状態なのに、その上に他の親族までもが融資を受けているのよ。自分も処理したその書類を宰相閣下に預けられたら、不安にもなるでしょう。貴族派なんだから」


 なるほどな。レティの指摘を受けて納得した。これまで宰相閣下と対立していたアウストラリス派に属しているクラート家。当然ながら親戚も同じ派閥。派閥領袖であったアウストラリスが爵位を返上し、領地を返納した今。宰相閣下に『貴族ファンド』の融資書類が渡ってしまえば、厳しい処置が待っているのではないかと疑うのは当然の話。


「ですが、親族縁者が融資を受けているのは我が家も同じ。我が家のみを優遇し、他の家を冷遇するなんて出来ません。ですが・・・・・」


「優遇されるのは宰相家ばかりのみ、って言うわよね・・・・・」


 クリスはコクリと頷いた。これまでそういった陰口を何度も耳にしているのだろう。権力を持つ立場の家も中々大変そうだな。


「だから国王陛下に書類をお渡しする話にしたのだな」


「ええ。グレンがお父様に渡さず、陛下にお渡しされるのであれば、誰も何も申す事はできませんから」


「宰相家ではなく、王国に渡すのが重要って事ね」


「そうです。家は「わたくし」、王国は「おおやけ」。この話は表裏無く、おおやけに進めなくてはなりません。おそらく全ての貴族に関係のあるお話でしょうから」


 「わたくし」ではなく、「おおやけ」か。レティの指摘をクリスはそう言って肯定した。俺にとっては宰相家も王国も同じようなものだと思っていたが、実際には違うという話は中々衝撃的である。いくら宰相家であると言えども、あくまでノルト=クラウディス家の中での話。対して王国の場合、ノルデン王国そのもの。


 俺が王国、国王陛下に書類を献呈すれば、その書類についての判断は国王陛下に託された形となる。あの国王が自分で判断して決断できるのかどうかは不明だが、それでも形としてはそうなる。仮に国王陛下が宰相閣下に丸投げしたとしても、俺が宰相閣下に渡して、宰相閣下が直接処理するのと比べれば、確かに違う。 


 これをクラートから見た場合、宰相閣下に直接渡して出された判断であれば「対立していた派閥だから冷遇された」と捉えられるが、国王陛下に渡した上での判断とならば、王家から叙爵を受けた身である以上「止む得ない」と変わる。たとえ同じ判断であろうとも、経緯やルートで人の捉え方が全く異なるという訳か。


「私、エルダース伯爵夫人と一度話してみるわ」


 レティはエルダース伯爵家の親族、グレマン=エルダース男爵家が多額の小麦特別融資を受けていた一件について、伯爵夫人と話してみると言った。どうしようかと思っていたが、今の話を聞いて踏ん切りがついたらしい。どちらにしろ「おおやけ」になるのであれば、早い内に言っておいた方が良いという判断に至ったそうだ。


「私も家に帰らなければなりません」


 公爵家に戻らなきゃいけないのか。先程、シャロンから宰相閣下の従者、侍女であるメアリーからの伝言を聞いたそうである。明日には学園を発つらしく、あまりに急で慌ただしい。クリスの方も小麦特別融資を受けている親族や陪臣に対して、どのような対処を行うべきなのかについて話し合うつもりだという。


「グレン、もう学園へ来られるよね」


「ああ。来週には通えるよ」


 アイリに聞かれたので、そう答えた。普通に歩けるものの、たまにフラつく時があるので杖は離せないが、普通に通う分には問題がないだろう。来週から通常通りの授業が始まるという話だし、俺の生活も早く元に戻していきたい。鍛錬ができるようになれば、杖ともおさらば。窓越しの夕焼けを見ながら、俺はそう思った。


 ――ジャック・コルレッツからの封書が届いた。先日起こった大暴動で繁華街が大きな被害が出たので、コルレッツは大丈夫なのかと連絡したのだ。その返しをしてくれたのである。今や学園の受付へ俺宛の封書があるのかどうか、確認しに行くのが日課となってしまったジルが渡してくれた。


 ジルが言うには受付の人からも顔を覚えられてしまったらしく、将来は学園へ入学ねと言われたと喜んでいる。ジルに入るつもりなのかと聞いたら、入学する気満々だったので、思わず笑ってしまった。何でもモンセルにいる時、リサが「学園」「学園」と呪文のように唱えていたらしい。


 俺が学園に入ったのを見たリサが、入学できるのが分かっていたら入ったのにと言っていたが、それを末弟のジルにまで言い続けていたようなのだ。いつもニコニコ顔で笑っているが、ああ見えて、実はかなり執念深い。ヘビというより、マムシかコブラ並。猛毒を放つ牙のような獰猛どうもうさがある。


 それはそうとジャックからの封書を開けると、いつものように封書と便箋が入っていたのでホッとした。コルレッツはどうやら無事だったのが確認できたからである。封書がコルレッツからのもの、便箋がジャックからのもの。この双子、前から思っていたが、いつも同じ出し方をしてくるな。俺はまず、ジャックの書いた便箋を読む。


 そこに書かれていたのは、学院学徒団が大暴動当日、アウストラリス公爵邸へ動員された警備の話だった。近衛騎士団や王都警備隊、『常在戦場』にアウザール伯率いるノルト=クラウディス騎士団、そして学園学徒団と共に、学院学徒団も公爵邸の警備に当たった。夕刻から多くの群衆が公爵邸に向かって詰めかけ始める。


 これを阻止するのが任務だと聞かされていたが、とにかく群衆の圧力が強く。阻止するどころか、ジリジリと後退させられるような有様。自分達より屈強な近衛騎士団や『常在戦場』も後退を強いられているのを見て、これは相当厳しいと思ったとジャックが書いている。多数の群衆相手に大盾で防ぐのみと指示されていた学生からも不満が出た。


(剣を使わせろ・・・・・ か)


 盾だけで群衆を押さえつけるなんて不可能だから、剣で抑え込む。気持ちは分かる。得物で脅す方が早いと考えるのも無理はない。普段は剣撃を磨いているのだから。だが、そんな事でもしようものなら、ヤケクソになった群衆が大暴れして収拾がつかなくなる。しかも群衆の方が多勢なのだから、双方に甚大な犠牲が出る大惨事となるのは確実。


 こんな事、大人なら容易に理解出来るだろうが、学生達はまだ若い。まして坊っちゃんが多い貴族と違って、学院の生徒は平民階級。従順である筈もなく、業を煮やした生徒が強硬な意見を唱えたのだろう。しかし学生差配役のスピアリット子爵は、そうした状況を見透かしていたのか、剣撃厳禁の指示を飛ばす。


 あの剣聖閣下の事だ。かなり激烈に抑え付けたのだろう。スピアリット子爵がそうするのは容易に想像が付く。最終的には公爵邸の壁まで押されてしまったが、軍監ドーベルウィン伯の呼びかけ。アウストラリス公の爵位返還と所領返納の通知によって、群衆達は解散して何とかその場を乗り越えられた。ディーキンから聞いた話そのままに書かれている。


 とはいえ、学徒団から見た緊迫感が伝わってきた。それ以上にジャックが無事で怪我がなかったのが何より。かなり大規模となった暴動で怪我人らしい怪我人が出なかったのは、ある意味奇跡。安心したところでコルレッツの封書を開けると、こちらにも大暴動当日の事が書かれている。その日、コルレッツはいつもと変わらず寮で用意をしていた。


 そこに勤めている店である『ルイ・ヤトン』のオーナーが血相を変えて飛び込んできたのだという。群衆が歓楽街に集まっているので、危ないから店には行くな。それを聞いてハッとなったコルレッツが外に出ると、そこには見たことがない数の人が溢れんばかりにいたのでビックリしてしまった。


 結局、その日は一日中、家にいたが、騒がしい声は深夜まで聞こえてきたそうである。夜が明けて、人も閑散としていたので、歓楽街へ行くと景色が一変していた。辺り一帯全てが燃えていて、まだ建物が燃えていたと。コルレッツは慌てて飲み屋街へ向かうと、そちらの方は燃えておらず、お店の方も無事だった。


 その時店内には、お店のオーナーがいたので、お互いの安全を喜びあったそうである。オーナーは不安で店内を確認していたらしい。そんなオーナーから、これから何があるか分からないので、暫く店の営業は見合わせると伝えられた。これがコルレッツが書いてきた話である。まぁ本人も無事な上、店も大丈夫だったようだし良かったじゃないか。


 最後にディフェルナルが見つけてきたブラッドのキャラクターアイテム『詠唱の杖』について、お詫びと共にお礼が書かれていた。買取費用を払いたいと書いていたので、そんなのは不要だと伝えなきゃいけない。いずれにしてもブラッドに渡すのは、学園に復帰してから。俺はそう返書した。

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