570 儀式の意義

 大暴動が起こった日。歓楽街に群衆が押し寄せて、火の手が上がっているという話を聞いた俺は、『常在戦場』の警護の者やトーマスと一緒に、『貴族ファンド』の事務所へ急行したその経緯について話した。『貴族ファンド』の書類が散逸するのが不安で、居ても立っても居られなくなってしまい、慌てて向かったのだと説明する。


「フレインよ。相違ないか?」


「はっ、アルフォードの申します通り、アルフォードは私と『常在戦場』の者とで『貴族ファンド』の事務所に向かいました」


 宰相から指名を受けたトーマスは、学園から歓楽街へ向かう様子を伝えた。道に殺到する群衆があまりにも多いので、引き返すように周りが止めるも、俺が聞かずに現地まで辿り着いた模様を詳細に解説したのである。すると宰相閣下は、俺に聞いてきた。


「アルフォードよ。どうしてそこまでして、『貴族ファンド』の書類に拘るのか?」


「商人にとって、最も大切なのは約束であります。その約束の裏打ちが契約書等の書類。借り主が『貴族ファンド』より融資を受け、小麦を高値で買い付けた事の証明となります。その証が無くなるのが、我慢ならなかったからです」


 小麦を吊り上げたのが貴族だとは、敢えて指摘しなかった。だが、複数の官僚が硬直しているのを見ると、俺はかなり厳しい事を言っているようだ。しかしそんなもので姿勢や考え方を変えるつもりは全く無い。そもそもこの世界の住人じゃないのだから、皆が躊躇する部分であっても、余裕で踏み込める。俺は意思の固さを念押しした。


「ですので、誰が何をどう言おうとも、この書類は絶対に紛失してはならない。そう決意した次第であります」


「そうか。アルフォードの動機、理解したぞ」


 宰相閣下はこちらを見て頷いた。しかし目線を動かしていないので、俺の説明に納得している訳ではなさそうだ。しかし「鳥籠」話なんか、ここで話せるようなものではないので、これで押し通すしかない。宰相閣下も脇道に逸れた話を戻すため、了解した形としたのだろう。俺はそのまま『貴族ファンド』の事務所の状況について話した。


「『貴族ファンド』の事務所に着きましたところ、ドアが開いたままだったので中に立ち入りました。その頃には既に火の手がこちらの方へ迫っておりましたので、その場で書類の持ち出しを決断致しました」


 本当はドアをぶち破ったのだが、どちらにしても燃えてしまっているのだ。多少の脚色は問題ないだろう。今、最も重要なのは、俺が事務所の中に入って書類を持ち出したという事実。これが事実であるならば、俺が書類が紛れもない本物であるという証となるのだから。


「・・・・・だからアルフォードが書類を持っているというのだな」


「はい。持ち帰った書類を公爵令嬢や子爵夫人らの協力頂き、整理を行いました」


「・・・・・して、その内容は?」


 これが本題か。回りくどく聞くという貴族話法である以上、時間がかかるのは仕方がない。俺は敢えて一呼吸置いた後、恭しく発表した。


「融資総額が出資金を超える四八六五億三七〇〇万ラントに達しておりまして、小麦特別融資を受けた貴族家も千七百七十四家おられました」


「な、なんと・・・・・」


 これには宰相閣下もその隣にいるアルフォンス卿も絶句した。後ろに控えていた財務卿のグローズ子爵なぞ「なんだと!」と叫びながら立ち上がるという有様。内務卿マルソードン子爵に至っては「それは事実か!」と、直接俺に問い質してきた。どこまで話が伝わっていたのか分からないが、とんでもない話を聞いてしまったという感じである。


 大臣クラスでこれなのだから、幹部クラスは推して知るべし。お互いに顔を見合わせながら、小声で何かヒソヒソと話をしている。おそらくは「これは大事おおごとになったぞ」「どうするのだ、これを」といった感じのやり取りなのだろう。しかしどうするもこうするも、書類を渡す以上、何らかの形で処理してもらうしかない。


「・・・・・ア、アルフォードよ。出資金を超えると申したが、それは一体、どのような意味合いのものか?」


 流石の宰相閣下も声が上擦っている。融資額の多さと、融資を受けた貴族の多さがそれをさせているのだろう。問われた理由、出資金よりも多くの融資が行われたからくり・・・・について、俺の見解を述べる。


「はっ。『貴族ファンド』の出資金は当初三〇〇〇億ラント。ですので本来ならば三〇〇〇億ラント以上の融資は出来ない筈。ところが実際の融資額は四八〇〇億ラント以上と、大幅に出資金を超えております」


「何故そのような乖離かいりが起こるのだ?」


「出資金の上積みを行って融資額を増やしたものと思われます。『貴族ファンド』の事務所で確保した書類の中に、出資金の増資に係る書類がございませんでしたので、断定できませんが」


「誰が増やしたのか?」


「おそらくは『貴族ファンド』の立ち上げを主導したフェレット商会であると思われます。そのような巨額資金を投入できるのは、フェレット商会において他にはございませぬ」


「そうか・・・・・ 商人であるアルフォードが申すのだから、間違いなかろう」


「恐れながら宰相閣下に申し上げます」


 クリスが突然声を上げた。宰相閣下の視線が娘に移る。しかしクリスに全く臆する気配はない。


「アルフォードは確保した『貴族ファンド』の書類一切を王国に献呈致したいと申しております。宰相閣下に置かれましては、御取次の程、お願い申し上げる次第でございます」


 え? 宰相閣下に渡すのではないのか? 誰に渡すつもりなのか? クリスの言葉にギョッとしてしまった。王国に渡すとは、宰相に渡すのと同じではないのか? 俺はてっきり宰相閣下に渡して終わりだと思っていたので、全く予想外の話に驚いた。しかしそんな俺の戸惑いなど、まるで放置するかのように宰相閣下が口を開いた。


「うむ・・・・・ 内務卿よ。卿はこれまでの話を聞き、どのように思うか?」


 指名されたマルソードン子爵が素早く立ち上がると、所感を述べた。


「書類に関しては有効であると思われます」


「有効とは?」


「はっ! 『貴族ファンド』の事務所から持ち出し・・・・・」


 その時、マルソードン子爵の口が止まった。宰相閣下が後ろを振り向いたからである。


「じ、事務所で確保されました書類は有効でございます」


 宰相閣下が頷いたので、マルソードン子爵が座った。いや座ったというよりへたり込んだと言った方がいい。どうしてそう感じたのか? 顔を見るに、背中に冷や汗をかいているようだったからである。恐らくは俺が強奪したに近い手法、いや普通に盗みと言っていいとは思うが、そのような方法で確保した書類が有効かどうかを尋ねたのだろう。


 これに対して聞かれた方のマルソードン子爵は、そのまま「持ち出し」という表現を使おうとしたので、宰相閣下が睨んで言葉を「確保」と訂正させたのだ。「持ち出し」ならば窃盗の疑いがかけられる恐れがあるが「確保」なら問題はない。そのような認識なのだろう。しかし言葉を一つ変える力。これが権力というものなのか。実に恐ろしい力だ。


「司法卿。『貴族ファンド』が結んだ契約は有効か?」


 今度は老齢の貴族と思しきヒョード男爵が立ち上がった。ヒョード男爵は、ゆっくりとした口調で話す。


「『貴族ファンド』が結びました貴族各家との賃借契約は、甲乙の了承によって成立したものであるが故に・・・・・」


 ヒョード男爵は呪文を唱えるが如く、契約の意義や意味について解き始めた。なんだこの話は。坊主が行う説法のように、ひたすら喋るヒョード男爵。これまでの緊張感が一気に萎えてしまった。もしかしてそのような雰囲気を醸成する為、呪文を唱えるが如く喋っているのか?


「政令との整合性等を鑑みた上で、これを突き合わせますれば、自ずと答えが導き出されるものでございます。よって・・・・・」


「よって」


 宰相閣下がヒョード男爵の言葉を復唱した。その声から、閣下が少し苛立っているのが分かる。早く話せと言いたいのだろう。しかしヒョード男爵はそれには全く気付かないようで、そのままの調子で言う。


「『貴族ファンド』が行った契約は現段階においても有効であるかと・・・・・」


「そうか、分かった」


 ようやく意中の話を得たのであろう。宰相閣下が頷くと、ヒョード男爵はそれを合図として、何事もなかったかのように着席した。しかしまぁ、何かと緊張感を削ぐヤツが多いのは、エレノ世界のお約束みたいなものだ。多分、こうやって平和を維持してきたのだろう。宰相閣下は再びクリスに顔を向けた。


「仲介人であるノルト=クラウディス公爵令嬢の申し出。早急に手筈を整えて上奏申し上げる」


「恐悦至極に存じます」


「追って沙汰を致す故、暫し待つように」


 宰相閣下の言葉を受けて、俺達は頭を下げた。周りの雰囲気を見る限り、どうやら今日は終わりのようである。俺の書類を誰に渡すのかが、今頃になって分かってきた。宰相閣下ではなく、国王陛下に渡すのだと。しかし国王に渡すのも、宰相閣下に渡すのもさして変わりのない事ではないかと思うのだが・・・・・ イマイチその理由がよく分からない。


 よく分からないのが貴族社会であり、この分かりにくさが、現実世界で貴族制度が消えていった大きな理由なのだろう。宰相閣下は退出する俺達に随伴するように歩き、正面玄関までやってきた。すると宰相府の前にある王宮前広場で整列していた『常在戦場』の面々に、襲撃事件ではよく戦ってくれたと、わざわざ声を掛けたのである。


「厳しい状況の中、ノルト=クラウディス公爵家の衛士達と力を合わせて戦ったこと、この胸に刻むぞ」


 宰相閣下からの突然の言葉に、ミノサル・パーラメントを初めとする隊士達は片膝を付き、皆感涙した。わざわざこの一言を述べる為に、正面玄関まで一緒に来たのか。ここは宰相府。クリスを守ってくれたとは言えない中、言葉を選んでの声掛け。ある意味、今日俺を宰相府へ来訪させたのは、こちらの方が主目的であったのかもしれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る